サンマの食べ方として、やはり塩焼は、外すことができないだろう。
この塩焼、「料理のシーラカンス」だと思うのである。
きのうはちょうど、前に作って冷蔵庫に入れてあったサンマ鞍馬煮がなくなったこともあり、再びサンマを食べることにした。サンマは今、すでに価格も落ち着き、「出盛り」といえる時期になっている。
サンマは今年、これまでに3度食べ、まずなめろう、
それから酢じめ、
それに鞍馬煮、
と料理している。次に何を食べようかと考えると、
「やはり、塩焼だろう」
と心が決まった。
塩焼は、魚の食べ方として王道中の王道だろう。簡単でありながら、お造りなどを別とすれば、「魚は塩焼が一番うまい」というのに異論がない人は多いとおもう。
調味料は塩の他には、大根おろしにスダチ、しょうゆなど最低限のものでいいし、鯛などならむしろ何もない、塩だけの方がうまいくらいだ。
それでいて、味に足りないところはないのだから、魚はそれだけ、「元々うまい」ということだろう。
ところでこの魚の塩焼、「いつごろ発生した料理法だろう」と考えると、かなり古いはずだとおもうのだ。
料理法を新しい順に上げれば、まずは油を使った「炒め物」で、これは鉄器の普及が前提となるわけだから、まだこの1000年くらいなものだろう。
次に煮物で、これは土器で作れることになり、縄文土器の発生が1万年くらい前と言われていることを考えれば、煮物もそのくらいからなのではないか。
その前の料理を考えると、人類が誕生して以来、ずっと手にしていたものは、塩と日光、それに火だったろう。塩漬けをした漬物・発酵食品類、天日干しの干物類、そして塩を振って焼くだけの「塩焼」だったにちがいない。
塩焼は、人類最古の料理であり、それを未だに食べているのは、生きる化石・シーラカンスよろしく、「料理のシーラカンス」と言えるだろうと思うのである。
しかしこのような、最古の料理を、未だに「最もうまいものの一つ」として愛でている文化が、世界にどのくらいあるだろうと思うのだ。
もちろん塩焼は「グリル」であり、世界のどこにでもあるものだ。でもどちらかと言えば、「手軽な料理」と位置付けられているのではないか。
塩焼は、鯛や鮎ならごちそう料理の一品にもなるもので、立派な第一線級なのである。
まあ世界のことは、詳しくは知らないけれど、少なくとも日本は、何万年も前からの食文化が、今でも脈々と受け継がれている。
ぼくはこれは、とてつもなく幸せなことだと、つくづくおもう。
塩焼は、作り方を知らない人は少ないだろう。
塩をパラパラと振りかけ、ガス台にグリルがあれば、それを中火にして10分くらい焼くだけだ。
グリルがなければ焼き網でもいいけれど、むしろフライパンの方がうまく焼ける。
中火にかけ、よく熱したテフロンのフライパンに魚を入れ、フタをして、こんがりと焼き色が付くまで焼き、裏返し、今度はフタを外して、やはり焼き色が付くまで焼く。
サンマの塩焼には、やはり大根おろしとスダチがあるといい。
脂が乗って、たまらない味であるのは言うまでもない。
あとは、厚揚げとオクラの吸物。
吸物は、だし昆布で煮て削りぶしをかけるようにすれば、だしを取る必要がなく手軽にできる。
オクラは板ずり(まな板の上で塩を振り、手でズリズリとする)をしてサッとゆで、食べやすい大きさに切る。
鍋に5センチ角ほどのだし昆布と、水2カップを入れて中火にかけ、フツフツと沸いてきたら、酒大さじ2、みりん小さじ2、淡口しょうゆ大さじ2くらいで味付する。
弱火で厚揚げを少し煮て、そのあとオクラとほぐしたシメジをサッと煮る。
お椀によそい、削りぶしをかけ、少しのおろしショウガを盛る。
ナスの酢味噌。
2センチ幅くらいに切り、2~3分水でゆでて常温で冷し、やさしく絞ったナスを、同量くらいの西京みそと酢、好みで砂糖少々、それにカラシで和える。
トマトとピーマンのツナマヨ和え。
細いくし切りにして種を除いたトマトと、同じくらいの大きさに切ったピーマンを、ツナとマヨネーズ、少しの味ポン酢で和え、一味を振る。
酒は焼酎水割り。
相も変わらず、飲み過ぎているのである。
「秋はおいしいものばかりでたまらないね。」
ほんとにな。
◎関連記事