そろそろ鍋が食べたくなるのである。
それできのうの酒の肴は、鯛あらの湯豆腐にした。
今年の夏は、集中豪雨で被害まで出たり、そうでない日もジメジメ、蒸し蒸し、した日が多く、夏らしい「カーッ」と暑い日があまりないまま、もう秋を迎えようとしている。
天候など、年によって色々あるだろうとは思いながらも、ここ何年か暑すぎたり、雨が多すぎたりなど極端なことが多く、心配にもなるのだけれど、それはそれとして、秋になってくると食べ物には事欠かない。
サンマは盛りを迎えているし、その後にはサバ、タラ、ブリ、カキ・・・、などなどの、怒涛の魚攻勢がひかえている。
そしてやはり、秋から冬の、食事の大きな楽しみとしては「鍋」がある。
鍋も、起源はずいぶん古いだろう。土器の出現が、鍋の始まりでもあるだろうから、1万年くらいになるのではないか。
人類が初めて「煮る」ことを知った時、その喜びたるやどれほどのものだっただろうと思うのである。
具材の味がしみ出たスープは、それまで生や塩漬け、日干し、焼き物などしか食べてこなかった人類にとって、次元の違う味わいであったはずだ。
肉や魚から野菜などまで、全て一緒くたにして煮る長い時間が続いただろう。そのうち徐々に、だしやら、煮物やら、炊合せやら、細分化された一品料理が出来上がってきたに違いない。
鍋は料理の「ルーツ」とも言えるもので、太古の記憶をまとっている。
その記憶を紐解くことが、鍋の大きな楽しみなのだと言えると思う。
鍋には「家族団らん」のイメージがあり、「ひとり鍋は寂しい」と思う人もいるだろう。しかし鍋は、ひとりの食事として打ってつけだ。
まず手がかからないし、食卓にコンロを持ち込めば、調理を食べながらすることもできる。
大した材料を使わなくてもそれなりに豪華に見えるし、火を前に食事をするのは、キャンプファイアー的な情緒もある。
ひとりの鍋を作るのに、最も大きなコツになるのは、「材料を絞る」ことだ。2品がベストで、せいぜい3品。
鍋はどうしても、あれこれ入れたくなるのだが、ひとりだと具材を買い揃えるのは難しいだろうし、中途半端にいろいろ入った鍋は、かえってみすぼらしく見える。
ストイックに具材を絞ることにより、具材がたくさん入った家族の鍋とはまた違う、独自の地位を獲得できることになる。
火を前に食事をするのは、もちろんいいものだけれども、この時期は、涼しくなったとはいえ火を焚くには暑いから、その場合は調理したのを食卓へ持ち込む。別に汁がぬるくなっても、今の時期なら問題ない。
最もおすすめなのは湯豆腐で、豆腐はぬるくなってもあまり問題がないばかりか、汁が冷めるにつれ、味がしみることになる。
豚でも鶏でも魚でも、何か一つを豆腐と一緒に煮るだけで、風情のある料理になる。
きのうは鯛あらの湯豆腐にした。
鯛あらは、極上のだしが出るから、湯豆腐の具材としては最もいいものの一つである。
塩焼をしてから使うと、下処理にも手がかからない。香ばしい風味が出るのもいい。
鯛のあらは水洗いし、血の塊などを洗い落とす。
ウロコがあれば、取るのに越したことはないのだが、生のままだとウロコが硬くてケガをする危険もあるし、焼いてしまえばそれほど気にならなくなるから、あまり神経質にならなくていい。
水を拭き取り、うすいめに塩を振る。
手のひらを上に向け、指の隙間から塩を落とすようにすると、万遍なく振れる。
後からさらに煮るのだから、きちんと中まで火が通ったかは全く気にしなくていい。全体にうっすらと焼き色が付くくらいまで焼く。
鍋にだし昆布を敷き、大きめに切った豆腐と焼いた鯛あらをならべる。
水をかぶるくらいまで入れ、それが3カップなら、酒大さじ3を入れて中火にかける。
煮立ってきたら弱火にし、淡口しょうゆ大さじ1を入れ、10分くらい、あまり煮立てないようにしてコトコト煮る。
最後に味を見て、塩気が足りないようならば、控えめに塩を加える。
薬味は三葉やユズがあれば入れたらいいが、下手にネギなどを入れてしまうと鯛の味を壊すから、ないのなら、何も入れないほうがいい。
鯛の味が豆腐にしみ、たまらない酒の肴になる。
あとは、ツナサラダ。
くし切りにして種を取り除いたトマトと、輪切りにしたキュウリ、薄切りの玉ねぎを、ツナとマヨネーズ、塩コショウで和える。
ナスのじゃこポン。
塩もみし、水洗いしてよく絞ったナスを、ちりめんじゃことおろしショウガ、味ポン酢で和える。
酒は、冷や酒。
鯛には、日本酒が死ぬほど合う。
「毎日毎日ダラダラ飲むね。」
ほんとにな。
◎関連記事