会社など辞めても生きていけるのである。(ブリあらのハリハリ鍋)

ブリのハリハリ鍋 ブリ

 
昨日はブリあらが買えたから、ハリハリ鍋にした。

ブリのハリハリ鍋

これを肴に酒を飲みながら、「会社など辞めても生きていける」と改めて思ったのである。

 

 

ブリは今、最盛期の終わりを迎えているところである。

いいとこギリギリ2月一杯までであり、それを過ぎると脂が急激にぬけてくるし、第一これから春のものが色々と出てくるから、ブリばかり食べているわけにもいかなくなる。

それで昨日は、魚屋にブリあらがあったから、すかさず手に取ったのである。

ブリあら

ブリあらは出てもすぐに売り切れるから、ある時に買わないと、もう手に入らなくなってしまうかも知れないのだ。

 

ブリあらを食べるには、「ブリ大根」が定番なことは言うまでもないのだけれど、ぼくはこの冬、ブリ大根は何度も食べ、わりと最近も作ったばかりだ。

そこで昨日は、ハリハリ鍋にすることにした。

ハリハリ鍋は、元々はクジラと水菜をあわせた鍋で、クジラが貴重品になってからは、ブリや豚肉がつかわれる。

「ハリハリ」は水菜のシャキシャキ感を表現した言葉だそうで、肉の脂っこさをシャキシャキとした水菜でやわらげる食べ方だ。

 

ブリなどの臭みの出やすい魚を鍋や汁物につかう場合、湯通しでももちろんいいが、「塩一つまみをふって焼く」のも一つの方法だ。

ブリのハリハリ鍋 作り方

べつに中まで火を通さなくてもいいのだから、焦げめが軽くつく程度、サッと焼けば十分だ。

 

入れるのは、あとはたっぷりの水菜と、油あげ。

ブリのハリハリ鍋 作り方

油あげと水菜もまた、相性は抜群だ。

 

鍋にだし昆布を敷き、酒をたっぷりいれて水を張る。

ブリのハリハリ鍋 作り方

中火にかけて煮立てたら、まずはブリあらだけ全部いれ、ていねいにアクを取りながら弱火で10分くらい煮る。

ブリあらに火が通ったら、油あげも全部いれて少し煮て、一回に食べる分の水菜をいれて、ひと煮立ちしたら火を止める。

ブリのハリハリ鍋

ハリハリ鍋は、水菜のシャキシャキ感が持ち味だから、くれぐれも煮過ぎないのが大事である。

 

器によそい、ポン酢しょうゆと一味をかける。

ブリのハリハリ鍋 作り方

とろとろとしたブリにシャキシャキの水菜、ポン酢の酸味が「死ぬか」と思うくらいうまいのである。

 

箸休めはすぐきと冷奴。

箸休め

鍋はやはり、簡単なものでいいから、箸休めがあるといい。

 

酒は昨日もぬるい燗。

酒はぬる燗

これを飲みながら、ぼくは

「会社など辞めても生きていける」

と改めて思ったのである。

 

さて「会社」なのだが、「辞めようか」と思うタイミングが誰にでもあるものではないだろうか。

ぼくの場合は「勤めていた会社ではやりたいことができない」ことがハッキリしたのが、「辞めよう」と思ったきっかけだった。

理由は人それぞれだろうけれども、「辞めようか」と思ったら、辞めたらいいと思うのだ。

ただそこで問題になるのが、「生活していけるかどうか」ということだろうと思う。

 

これは女性が「離婚する」場合にもおなじだと思うけれども、生活していけるかどうかを考えだすと、限りなく「生活していけない」ような気になってくるものだ。

会社のように「計画を立てよう」と思っても、不確実なことばかりで計画にならないだろう。

 

でもぼくは、太鼓判を押したいのである。

生活は、かならず「何とかなる」のである。

 

ただしぼくは、そのとき「大事だ」と思うことが2つある。

第一は、「やりたいことを持つ」ことだ。

やりたいことがある時は、「神様」が味方してくれる。

予期せぬ出会いや出来事に救われていくことになるもので、ぼくはこれは、人間の「本能」の働きだろうと思っている。

 

「やりたいこと」は、明確でなくてかまわない。

どんなに漠然としていても、「方向」さえはっきりさせれば、やっているうちに明確になってくるのである。

 

それから「会社に不義理を残さない」ことが、次に大事だとぼくは思う。

不義理をすれば、しっぺ返しを食らうことになるからだ。

もちろんこれは、「主観的に」でかまわない。

会社から、「辞めるなど許されない」と言われても、自分が「いい」と思えば問題はないのである。

 

ぼくの場合、この2つのことに1年の時間をかけた。

1年のあいだに退職金を半分にされたりもしたのだが、目先の金より大事なことがあるのである。

 

「生活は意外になんとかなる」のは、ぼくの偽らざる実感だ。

虚空に飛びこむ覚悟はいるが、ぜひ畏れずに、一歩を踏み出してほしいと思うのである。

 

「不満だけで会社を辞めてしまうのは良くないね。」

チェブラーシカのチェブ夫

それはそうなんだよな。

 

 

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自分の「本能」を信じることが大事なのである。

「やりたいこと」の方向だけ見ていればあとは何とかなるのである。

アホにはアホなりの生き方があるのである。

「客観的な判断」が「冷静な判断」とはかぎらないのである。

人生は「信じる」ことによって拓けるのである。
 

コメント

  1. もとねえ より:

    辞める勇気が、まだありません。やりたい事も、まだ見つかりません。でも、変化が欲しい。焼酎ロック、カラカラしながら5年後どうなってるか想像中でーす…

  2. 栗田三江(くんだみえ) より:

    高野さんこんばんは
    今回も「反対」意見です。確かにやりたい事があれば会社組織に縛られなくても良いような気もします。しかし一度辞めると元には戻りません。しまった、と思っても遅いのです。家族があれば家族共々路頭に迷う場合もあります。それはあまりに無責任です。

    例えば40歳で医学部再受験のために会社を辞める。とか数十年の想いを暖めていた自分流の蕎麦を提供すべく蕎麦店を開く、というような具体的な目標があり、経済的にも余裕が十分(相当な家賃収入等)あり、そして家族の理解と協力が得られればはじめて会社を辞めるという選択肢ができると考えます。漠然とした目標しかない場合で会社を辞めると大半のヒトは人生を棒に振ることになる恐れがあります。(目標があっても危険大ですから)

    ですから、ブログのテーマとしては不適切だと考えます。「高野さんも言っているのだから、辞めてもいいか」と軽い気持ちで(自分を正当化しながら)辞める馬鹿な30代が出る恐れもあります。私は決して会社人間ではありません。しかし若いヒトに「会社など辞めても生きていける」とは口が裂けても言えません。なぜならそのようなヒトは極一部だからです。そしてそのようなヒトは他人のアドバイスで動かないでしょう。今回のテーマも「誤解」の原因にならないか心配です。

    毎々反論ばかりで心苦しいです

  3. SINN より:

    全肯定、全否定するわけではなく、ただの個人的な考えだと、こんな人もいるんだぐらいに、とどめてください。
    しまったと思ったのであれば、また別のやり方なり方向なり模索して、やればいいと思うのです。
    後悔したって戻れない、前に進むしかない。
    言葉を発する側だけでなく、受け取る側の受け取り方にもいろいろあると思います。
    うまく意味や考えを読み取る力も必要なんだと思います。
    私は本と一緒で参考として、自分の視野を広げる感覚で読んでいます。

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