昨日はおととい買ったブリあらに入っていた大きなカマを、塩焼きにした。
これで酒を飲みながら、「日本がほんとうに壊れてみないと、ほとんどの人はわからない」と、改めて思ったのである。
三条会商店街「ダイシン食料品店」のブリあらの安さと言ったらないのであり、おとといのは頭が半身分入っていたほか、でっかいカマも入っていた。
これで350円というのは、このあたりで最安値といわれるスーパー「西友」より、さらに安いのである。
八百屋にしても、農家から直接仕入れる京野菜については、やはりスーパーの半値から3分の1くらいで売っている。
「個人商店よりスーパーが安い」というイメージが、何となくあると思うのだが、それは単に、「宣伝で負けている」というだけの話なのだ。
ブリのカマは、やはり「塩焼き」が一番うまい。
ただ塩をふって、じっくり焼くだけだから、簡単だ。
たっぷりの大根おろしを添え、ポン酢しょうゆと一味をかける。
「ほっくほくのトロトロ」なのである。
あとは豚コマ肉が少しあり、これを卵と炒めようかとも思ったのだが、それはやめ、やはり「吸物」なのである。
肉の吸物は、関西に来て初めて食べるようになったのだが、ほんとにうまく、大好きなのだ。
だしはやはり、自分で取ったほうがうまい。
吸物2杯分、2カップ半の水に、5センチ角くらいのだし昆布と、削りぶしをミニパック4袋分いれ、中火にかけ、煮立ったら弱火でアクを取りながら5分煮て、ザルで濾す。
出来た2カップのだしに、うすくち醤油大さじ2、みりん小さじ1くらいで味をつけ、まずは豆腐と割りおとした卵を弱い火ですこし煮る。
最後に豚肉をいれ、豚肉の色が変わったら火をとめる。
器によそってたっぷりの青ねぎをかけ、好みで一味をふる。
とろり半熟卵がまたうまいのである。
こないだ煮た生節の煮汁がまだ残してあったので、これでゴボウを煮た。
魚の煮汁は、徹底的に使いまわすのである。
ちなみにだし殻の昆布と削りぶしも、ポン酢と一味など好きなものをかけ、その場で食べる。
料理しながら飲む酒の、格好のアテになる。
塩もみ白菜のじゃこポン。
白菜の、葉はざく切り、茎は1センチ幅くらいに切り、一つまみの塩でよく揉んで、5分くらいおく。
水洗いしてよく絞り、ちりめんじゃこと混ぜ合わせてポン酢しょうゆをかける。
白菜も、今は甘く、みずみずしい。
それにすぐき。
毎日食べる。
酒は、いつもの通りぬる燗だ。
昨日はこれを飲みながら、
「日本がほんとうに壊れないと、ほとんどの人はわからない」
と、改めて思ったのである。
さて「日本」なのだが、都知事選は細川候補を応援していたのだが、3位の「惨敗」ともいえる結果となってしまった。
もし細川候補が勝ってくれれば、「今の日本の危険な流れを変えられるかもしれない」とぼくは希望を持っていたから、この結果は残念である。
敗因については、脱原発候補を一本化できなかったことや、細川候補が立候補したのが告示の直前だったため、「細川&小泉」でメディアに露出できなかったことなどが言われている。
まあそれもあると思うが、何よりも情けないのは、「過去3番めの低さ」という低投票率である。
東京は大雪の翌日で、条件が悪かったということはあるだろう。
それにしても、半数以上の人が選挙に行かず、さらに選挙へ行った人の半数近くが舛添候補に投票したということは、ほとんどの人は、「今の政治に危機感を感じていない」ということだ。
ぼくは今回の都知事選、これから3年、国政選挙がないことを考えると、今の流れを変えるには、「最後のチャンス」だったと思える。
それがこのような結果に終わったということは、ぼくはこれから、日本が奈落の底へころげ落ちるのは、「確実になった」と思えるのである。
結局のところ日本人は、日本がほんとに壊れてみないと、「わからない」ということだろう。
本当に壊れるまえに危機を察知するための、教育も、体制も、日本にはないのである。
前回の敗戦でも、戦争を体験した人の多くは、戦争の本当の悲惨さを語っていないのではないだろうか。
戦争の本当の悲惨さとは、単に「ひもじい思いをした」とか、「空襲や原爆で多くの人が殺された」とかいうだけのことではなく、「戦争になってしまえば、自分も人を殺さなければいけない」ことだろう。
でもその悲惨さを、日本で正面から語るのを、ぼくはこれまで見た覚えがない。
一番の悲惨さを覆い隠しておいたまま、「特攻隊」などという形で美化して語ってしまうから、いまだに「ゼロ戦バンザイ」のアホな映画が作られるのだと思う。
失敗の記憶が次の世代に継承されていかないから、前に失敗したとき生きていた人が全員死んでしまったら、また同じ失敗をくり返すことになる・・・。
これが、最近言われている「日本80年周期説」の意味なのだろう。
結局のところ、「それが日本だ」ということなのだとぼくには思える。
「水に流そう」の文化だから、つらい思い出を持ちつづけるなどできない相談なのである。
そうであったとしたならば、今できることは、「今回の失敗」がどういうことであったのかを、後世に伝える準備をすることだろう。
今度こそ、失敗をくり返さないようにするための、「知恵」が必要なのだと思う。
「おっさんの取り越し苦労かもしれないよ。」
そうかもな。
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コメント
たまたま 誠の湯を検索しついて読ませていただきましたが 貴方が誰を支持なさろうと かってですが 特攻隊を美化なんて どういう事かわかりません。
あなたもGHQのWGIPに洗脳されたのですね。
お仕事がら もう少し 日本の真の歴史を勉強して頂きたいです。
細川氏を支持されているのに ドン引きです。
いつも料理の参考にさせて頂いております。また四条大宮は学生時代の思い出の街です、といっても大学の最寄だというだけで飲みに行った事はないのですが。
さて、今回コメントしますのは、記事の後半部分に意見があるからです。
「「ゼロ戦バンザイ」のアホな映画が作られるのだと思う。」との事ですが、『永遠の0』の事でしょうか。恐らく原作を読まれてないし、映画も見られてないですよね?
もい見られての感想なら謝罪いたします。
この映画は「ゼロ戦バンザイ」そんな事が主題となっている作品ではありません。
むしろあなたが書かれているような、
「戦争になってしまえば、自分も人を殺さなければいけない」ことだろう。でもその悲惨さを、日本で正面から語るのを、ぼくはこれまで見た覚えがない。」との事ですが、
むしろこれを描いた作品だと私は考えます。
いかがでしょうか。
うわぁ、飲みながらの書き込みなので誤字がありました。酔っ払い(笑)
もい見られての→もし見られての です。
ついでに書き込みますが、特攻という作戦は最低この上ないものだと思います。しかし、国の為に命を捧げられた、特攻隊の方々には心から敬意を表します。
多分、あの作品を観た、または読んだ人はこのような感想を持つのが当然だと思うのです。
映画は見てないが、原作を読んでの感想として
「ゼロ戦バンザイ」というか「自己犠牲」を美化してるのは事実。
生に執着し続けながら、最終的には他人の身代わりになって
自ら特攻に殉じた主人公。
「自己犠牲」を美化するのは、他の作品にも共通しており
この作者の本質・本性を知れば納得がいく。
いつも料理ブログ楽しく拝見しています、ありがとうございます!
私は細川さんを指示できず。あんな他力本願で、悠々自適に余暇を過ごされてきた年配の方に、今さら重要な都政をまかせられるとは到底思えませんでした。獺原発は賛同なのですが、だからといって細川さんに一票は投じられないのです。。
失礼ながら高野さんは政治的なことはあまり向いていない気がします
首相当時の細川氏は人は良いがとにかく無能でした
決断力も行動力もなく、気が付けば一億円問題で退陣された方です
脱原発以外ではどこに魅力を感じていらっしゃるんでしょう?
彼が都知事になるなど絶対に嫌です
左翼にあらずんば文化人にあらずとは言いますが、
酒と肴と恋のことに専念されたほうが・・
その他の政治の話もいつも論点がズレ過ぎていて、
この人これ(政治話)さえしなけりゃなぁ・・と残念の一言です
さとうさんの意見に全面賛成です!
いつもブログを楽しく読ませていただいています。
王将本店に三谷焼きを食しに行ってきました。
普通の焼き方も三谷焼きもとてもおいしかったです。
だめ人間になりそうですw
↑ねたですが、私の父もよくいってました。
「日本はもう一度壊れないと、真の民主主義にならない」と
ですが、うちの父は超サヨク思想ですので、話があいませんw
食べ物の話はいいのですが、思想が残念です。
このさきも政治思想をかたるのであれば、学生運動華やかりし頃の
革命ありきの思想からの脱却をおすすめします。
生意気ですみません。
「永遠の0」は面白かったですよ。
高野さんは「サヨク」では全然ないと思いますし、いわゆる「学生運動」世代でも経験者でもありませんよ。彼の通っていた大学が、彼が学生時代を過ごした1980年代に某内ゲバ過激派セクトの最大拠点であったとしても、いままで書かれている内容からして、ご本人はそういう潮流とはまったく無縁だと思います。
ここで書かれていることも、いわゆる「サヨク」(古典的マルクス主義?)思想とは無縁でしょう。
自民党を批判したり中韓を擁護したり原発に反対したりすると、即「アカ」「サヨクの糞」とか「中国の手先」「韓国人」(昔はソ連の手先でしたねw)とレッテル張りをする風潮はたしかにありますね。
高野さんとは別の意味になるでしょうが、愛する祖国に対する危機感は自分にもあります。
細かい論証は省きますが、自民党の二世閣僚たちは、祖父や父を踏襲していまだに「米国追随・大企業優遇」で高度成長期みたいに日本を維持できると思っている(それしか発想がない)ようですが、ここに無理がありはしないでしょうか?
我々を取り巻く状況はお先真っ暗ですよ。
国内産業の空洞化、貧富の差の拡大、不正規雇用の常態化、社会保障の切り捨てによる老人棄民政策、加えて頼みのツナの米国は日本の頭越しに中国に秋波を送っています。
もちろん、米国と仲良くし日米安保を維持強化するのは大賛成です(当然です)。そのためにも、米英によって「戦犯」とされた祖父の思い込みにこだわりすぎるのは、どう考えても得策ではないでしょう。
噛み合ってない。
以前、映画「男たちの大和」にも感じましたが、大和搭乗員の悲劇と誠実さは疑う余地はありません。
しかし、米軍の指揮官ニミッツ提督は「自分も海軍軍人として堂々たる戦艦同士の一騎打ちで戦いたいのは山々だ。が時代は戦闘機と空母の時代になったのだ」と語っています。責任ある軍人の態度ではないでしょうか?。
しかも戦闘機と空母の時代の到来を敵に教えてしまったわが国の真珠湾攻撃です。
にもかかわらずその後わが日本はせっせと戦艦大和の建造に集中していました。
つまり日本にはニミッツ提督に匹敵する洞察力をそなえた軍事or政治指導者はいなかった。
搭乗員の悲劇と誠実さを過度にフォーカスすることによってあの戦争の致命的な戦略的失敗を被ってはならないと思います。
おそらく高野さんの言いたいことは、「失敗の記憶が次の世代に継承されていかないから、また同じ失敗をくり返すことになる・・・」ところに最も主眼があり、この視座は全然ブレがないように思えます。
野中 郁次郎氏の「失敗の本質」が大戦敗北の検証をおこなっていますが、それまでは戦略的失敗について原因分析したものはほとんどありません。
人道的な戦争反省とやむを得ざる南方進出と間を左右にうごめいても同じ失敗の愚を免れることはできないでしょう。
こんな感じを抱きましたので、高野さんへの厳しいコメントがなにか噛み合っていない感じを受けました。
私個人としては高野氏には今後とも、そう思ったときは政治的発言もなさるべきだと思っています。