昨日はそろそろ旬の終わりにむかうカキを惜しみ、卵とじにした。
これを肴に酒を飲みながら、「勤め人などつまらない」と改めて思ったのである。
冬のものがそろそろ終りを迎えるのである。
今何といってもうまいのは「ブリとカキ」だけれど、どちらももう終盤に差しかかっていて、3月になれば、今度は「鯛とアサリ」ということになる。
ブリは今年、ブリ大根も何度もやったし、塩焼きやらてり焼きやらハリハリ鍋やら、けっこう満喫したのだけれど、カキはまだ、満喫度が足りない気がした。
それで昨日は、魚屋でカキを買った。
買ったはいいが、どうやって食べるかは、考えていなかった。
以前は食べ方を完全に決めてから材料を買っていたが、最近は、「食べたいと思う材料」を、どうやって使うかはあまり考えずに買っている。
食べ方を決めてから材料を買っていたのは、家で料理を思いつき、その料理に必要な材料を買い足さないといけなくなったり、逆に冷蔵庫にある材料の使い方を思いつけずに、材料を余してしまったりするのを畏れていたからだが、「食べたいと思うもの」を買っている限り、そのようなことはほとんど起こらないことが分かった。
野菜を新聞紙でくるみ、それからビニールに入れて冷蔵庫にしまうなど、材料の保存法にすこしは気を使う必要はあるけれど、だいたいは問題なく、冷蔵庫にある材料で過不足のない、料理を思いつくことができるものなのである。
カキは生やサッとゆでたのをポン酢や酢みそで食べるのがまずおいしいし、鍋もうまい。
でもこれらは、もうすでにやっている。
フライやソテー、グラタンなどもおいしいが、ぼくはそういうのはあまりやる気がしない。
あれこれ考え、ネギといっしょに「卵とじ」にしようと思いついた。
ただ昨日は、さらに考え、
「ネギではなく、菜の花といっしょに卵とじにしようか」
とも思ったのだ。
菜の花も冷蔵庫に入っていた。
菜の花とカキも悪くないのは間違いなさそうに思ったが、主役を張れる二人を使うわりには、それほど良さそうにも思えなかった。
それで昨日は、やはりカキはネギと合わせることにして、菜の花は別の機会にあらためて使うことにしたのである。
昆布と削りぶしのだし1カップを用意して、これにみりんとうすくち醤油大さじ1で味つけする。
この煮汁で、まずは水洗いしたカキをサッと煮る。
カキはあくまで「サッと煮る」のが大切で、煮過ぎると縮んでしまうから注意が必要だ。
カキは生食用なら、ただ水洗いするだけでよく、加熱用の場合には、片栗粉を振ってもんでから、よく水洗いする。
つづいてざく切りのネギを入れ、一煮立ちさせたくらいのところで溶き卵を入れる。
少し煮立ててフタをして、火を止めて、卵が半熟くらいになるまで蒸らす。
七味をふって食べる。
プリプリ、ふっくらとしたカキは、やはり、うまい。
あとはカブの吸物。
カブもそろそろ、季節は終わりかけている。
昆布と削りぶしのだし2カップに、うすくち醤油大さじ2、みりん小さじ1で味付けし、厚く皮をむいてタテ6等分にしたカブと細切りにした油あげを煮る。
カブも煮過ぎると溶けてしまうから、たぶん時間にして3~4分、竹串で刺しながら煮加減を確かめる。
最後にざく切りにしてサッと塩ゆでし、水で冷やしてよく絞ったカブの葉と茎を入れ、温める。
あとは冷奴の一味ポン酢。
ゴボウの煮たの。
すぐき。
酒は昨日も、言うまでもなくぬる燗なのである。
昨日はこれを飲みながら、
「勤め人などつまらない」
と、あらためて思ったのである。
さて「勤め人」だが、安定しているのは間違いないが、「おもしろさ」で考えれば、自営業・自由業にくらべて圧倒的につまらないのは確かである。
まあしかし、勤め人をしている人は、「おもしろさ」など求めていないだろう。
「安定した収入が得られればい」のだろうから、別にそれに異を唱えるつもりはないのだ。
ただ人生に「おもしろさ」を求める人は、勤め人など早くやめ、自分で仕事をしたほうがいいのである。
勤め人にも、もちろんそれなりの面白さはある。
でもあくまで「それなり」なのであり、ある限られた範囲の自由があるだけだ。
でも自分で仕事をすれば、すべてを自分で決められる。
もちろん結果責任も、すべて負わないといけないわけだが、だからこそ「やり甲斐」があるのである。
コメントで、ぼくが「会社などやめろ」とそそのかすことに対し、「それは無責任だ」と言う人がいる。
「失敗し、家族に迷惑などをかければ後悔するから」ということで、まあ言いたいことは分からなくはないのだけれど、ここで気を付けないといけないのは、「後悔」には、「積極的な後悔」と「消極的な後悔」の2種類があるということだ。
自分が「やりたい」と思うことを思い切ってやり、その結果失敗し、後悔したとすると、それは「積極的な後悔」だ。
それにたいし、「やりたいことをちっともやらなかった」ことを後悔するのが、「消極的な後悔」だ。
人生、やりたいことをやっても、やらなくても、どうせ後悔するのである。
だったらやりたいことをやって後悔するほうが、どれだけいいだろうという話なのだ。
くり返すけれども、会社など辞めても、間違いなく生きていける。
「やりたいことをやって生きたい」と思う人は、ぜひ前向きに考えてみたらいいと思う。
「おっさんはお気楽だよね。」
そうだよな。
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コメント
お前みたいに貧乏するのなら、みんなが
「我慢して勤め人でいよう」って思うんじゃないのか?
お前自身が自営業のダメさを宣伝してるんじゃないの?
言ってる事とやってる事が矛盾してるんですが????
後悔うんぬんの話は、お前自身が後悔の塊だからなんじゃねーの???
匿名ちゃん11へ
人それぞれ意見が違うのはあたりまえ。
お行儀が悪いですよ。
あなたはフーテンの虎さんのような人生ですよね、
虎さんなんてのは、端から見てて笑ってるから面白いのであって、誰も寅さんのような生活がしたいとは思わないものです、またそんな人から会社なんか辞めちまえとか、政治の話とか聞いても何も説得力なんかありません。
時計の針は戻せても 今までの生きた時は 戻せんよね、
明日は蠣のメニュー!早速 まね させて頂きまっせ。
菜の花のような 紅采苔に近い菜と あっさり炊いてはと。
んー。
まあどう思われようと自由なのですが、高野さんの気ままな生活も結局は高野さんが
快く思っていない勤め人がGDPを押し上げてくれたお陰で社会資本,インフラが出来上がっていることで
成り立っているんですよね。
仮に社会資本が成り立っていない状態、たとえば20年前の中国のような状況であれば
高野さんのような生活は成り立たないどころか下手すれば餓死です。
だからどうだということではないのですが、まあ多少遠慮気味の発言にしておかれた方がよろしいかと。
勤め人を全否定するなら、それなりの地位の方から否定されたい。
あなたのような、いくつになっても女のケツを追い回しているようなのに否定されたくない。
やりたいことが、毎週のラーメンと酒飲んで女と話すだけなら、毎月、わずかな身銭を稼ぐ自営業でもいいわな。
家族の居ない奴にはわからんだろうが、後悔には2種類もないねん。「なんでやってしもたんやろ・・・」って後悔だけ。今度から、但し書きで、『独身の自由人限定』ってつけたしとけ。
まぁ、サラリーマンを途中で辞めた、ってとこで、社会人不適合者なんやろうけど。頭の良い奴はその日暮らしなんかしない。
「女が大好きなのである」 「チェブ夫・・・」お前はいくつwww
10年サラリーマンして、独立して20年経ちました。
貧乏してますが会社勤めには絶対に戻りたくないです。
安定した生活をしている人には負け惜しみにしか聞こえないみたいですが…
>くり返すけれども、会社など辞めても、間違いなく生きていける。
なんか力説しちゃってますが・・・
物事の考え方は人それぞれなんですから
勤め人のこと、放っておけばいいんじゃないですかね?
なんでそんなにしつこく言うのか?
勤め人をうらやんでいるように見えるんですがね。
匿名11さんそして勤め人さんのの意見に同感です。
他のなにものにもない理性、そしてすこしでもの知性、情があればこその人間。なにものにも責任を持てない人と責任を持てる人間とはまるっきり価値観も生き様も違う、しかし自分は後者でありいたいと思っています。
勤め人の素晴らしさは努力、忍耐、自分をとりまくものへの愛情、そして責任感、etc.それのなにが悪いのか、この日本を根底で支えているのはそういった人たちなのです。勤め人、エールこそすれ、批判の対象なんてもってのほか!
高野さんは少し勘違いされているようです。
日本ほど貧富の差がない国家はありません。これは社会保障を含め
「所得の再分配」が重視されているからです。私もそうですが低所得者は
高額所得者やサラリーマンが払った多額の税金や社会保障費の恩恵を
受けているのです。
つまり「会社など辞めても生きていける」というのは「会社勤めをして
いる人たちのおかげ」ということですね。
これらの人に感謝すべきなのではないでしょうか?
ここが日本でなければ、私も高野さんもまともに生活なんてできないですよ。
高野さんにケチをつけている人は、結局高野さんの生き方がうらやましいんでしょう。やってみたいけどやれないことをしている高野さんが腹立たしいのでしょうか。
高野さんも20年余りサラリーマンをされて見切りをつけられたのです。所得の再分配に一定の貢献を果されています。そのあげく今の生き方を選ばれたのです。結果この生き方も悪くないと、迷っている人をプッシュされてるんですよ。人はそれぞれ、人生もいろいろです。このブログの品位を傷つけないでほしい。
いやならブログスルーしては。
自営業の楽しさはやってみないと分からないですよね。仕事でかかるストレスの種類が違うというか。ただ個人事業主になってから分かった経営者側の視点もありました。利益を上げないと成り立っていかないと…。両方経験してみないと分からなかった事ですよね〜。会社に勤めていても、いつでも独立できるぐらいの自信やノウハウを身につけようという気持ちで仕事していけたら、会社にとっても個人にとってもプラスになるかもしれませんね。私もまた社会に出ることがあれば若かった頃よりは上手く立ち回れるかもしれません。よくお局様に説教されていたのでw
高野さんこんばんは
「勤め人」をひとくくりにして「つまらない」という表現はいかがなものでしょうか。勤め人でも生きがいやりがいを感じ家族のため自分のために毎日仕事しているヒトも多いです。私自身も勤め人ですが仕事が「つまらない」と思った事はありません。タイトルを見て驚きました。
「勤め人などつとまらないのである」というタイトルと読み間違えたくらいです。高野さんが全勤め人を敵に回すような書き方をされるわけが無いと考えたからです。
私は高野さんの自由な生き方が羨ましいです。憧れの部分もあります。それだけに「つまらない」と言われる事は悲しいです
ボクはサラリーマンにやりがい感じてますよ。
大きな仕事をこなせるのも「企業」に属しているからできるわけですし
仕事の満足感もあります。毎日忙しいですが楽しく仕事してますよ。
だから、「勤め人はつまらない」というのは高野さんがそうなのであって
決して万人に当てはまることではないでしょうね。
それから、収入面でも大変満足してます。そこそこの生活できてますし・・・
仕事にやりがい感じていて収入面でも満足なんだから、言う事なしだと
思ってますよ。
太田さん
確かに勤め人で満足できる収入ならば、同じ職種を自由業で行うと何十倍の収入になる可能性もあるわけです。しかし安定面で考えると、初期投資無しで決まった額が入ってきて保障もしっかりしている勤め人は堅実です。決して「つまらなく」無いのです。
くんださん
わたしは「勤め人」ですが
楽しいと言ってるんですよ?
何か勘違いしてますか?
ふーん。
「勤め人」の一言に,人は色々反応するのだなあ。
それぞれの生き方,考え方など背景がなんとなく見えてくる。
中には,焦りがにじみ出た発言も。
今は良さそうでも不安が背景に有るのでは?と思わせる発言も。
私は59歳,退職まで1年。
職場の風土は好きではなかったし,考え方は浮いてはいましたが,今振り返えってみると,給料を貰いながら30年近く自分の好きなジャンルの仕事ばかりを,しかも自分の思うようにさせてもらった事に感謝しています。
良き理解者に恵まれていたようです。
もちろん,色々陰口言われていたとを後で聞いたこともありました。 けど
人生リセットを控えて,高野さんの生き方参考になります。
仕事なんて会社であろうが自営であろうがどっちでもええっす。
家族をなんとか養えれば。
その一日のおまけが些細な楽しみ、晩酌。
ええ年したら穏やかに静かな酒を飲みたいです。
喧嘩の原因になる酒呑みってダメっすよ。
勤め人て会社や官庁に勤める人のことでしょ。それをつまらないって否定して、自由業を薦めるって、極端に言ったら国を否定して、自給自足な生活を薦めるってことです。高野さんが自分の価値観で今の生活を選んだのはとやかく言わないけど、あなたの生活は誰かが勤め人をしないと成り立たないのに、それを否定するのは無責任だと思いますよ。
これはちょっと。
저도 이상하게 생각해요..
高野さんの人生を思いやってくれる人がいるように、高野さんも人の人生を思いやって欲しい。
みんないろいろ失ってきてるのだから。
ワタシは逆です。
若い頃に自営をして思うように行かなかったので、
思い切って勤め人になりましたが、毎月給料が出るし、
責任は少ないし、思ったより実力主義で楽しい仕事も
回ってくるし、サラリーマンって最高じゃんか!
と謳歌してます。
高野さんは親御さんから仕送りがあると噂がありますが、
本当ですか?
養育費もいれていないとか言われてますが、それらの
噂が本当であるとしたらこの主張はちょっとお粗末だなぁ。
六輔さん
勤め人などつまらない、と言われるのは何だか寂しいです。がしかし高野さんの想いです。主張ですから仕方ありません。その事と高野さんのプライベートとは全く関係ありません。あなたが高野さんに経済的援助されているならハナシは別ですが、そうでは無いわけですからココに高野さんのプライベートを持ち出す事は反則です。あなたが首を突っ込む内容ではありません。
むらやん さんの最後の一言に尽きます。
私もむらやんさんと同じです。喧嘩もしても良いですが、その先の向上心が大切ですよね