昨日は昼にビールを飲み、夜は知り合いの女の子が喫茶店の開店記念パーティーをやるというから行ってきた。
そこで顔見知りの男性と話をしながら、「やりたいことの方向だけ見ていればあとは何とかなる」と、改めて思ったのである。
土曜の昼は「ラーメン屋でビール」と決まっているわけで、これはもう水曜日くらいから楽しみにしているのだから、仕方がないのである。
ただ店へ行き、餃子をつまみにビールを飲んで、最後にラーメンを食べるというだけの話で、誰と話をするわけでもないのだけれど、これが、いい。
下手に話をしてしまうと、ラーメンがおいしくなくなるような気すらする。
黙って食べ、味を噛みしめるのが、一番幸せを感じられるのである。
ここのラーメンに「中毒性」があるのは、何もぼくに限った話ではないようで、いつも行く豆腐屋のご主人夫妻も、やはり
「一週間に一度は食べたくなる」
と言っている。
世の中に、「おいしいラーメン」はいくらでもあると思うのだが、「中毒になるラーメン」は、そう多くないのではないか。
「中毒になる」というのは、酒でもタバコでも、恋愛でもそうだけれど、
「幸せを感じられる」
からだろう。
新福菜館三条店のラーメンは、ただ「おいしい」に留まらず、「人に幸せを感じさせる」という、類まれなものだと言えると思う。
それが何故なのかについては、一言でいえることではもちろんなく、敢えていえば
「全身全霊が込められている」
ことになると思うが、ぼくなりにポイントだと思うことはある。
それは
「甘みのある味つけになっている」
ことである。
一般にラーメンは、「甘みがない」ことが特徴になっている。
甘みがあると「蕎麦つゆ」になってしまうからで、これが「中華そば」の存在理由だと言ってもいいのではないか。
ところがここのラーメンは、甘みが付けられているのである。
戦前に創業の古いタイプのラーメンで、まだ戦後の「そばVSラーメン」抗争がそれほど激化していなかったため、「日本人の口にあう味」を素直につけたのではないかとぼくは見ている。
日本人は、やはり「和風の味つけ」が、最も幸せを感じられるものだろう。
新福菜館三条店の「中毒」のポイントは、そこにあるのではないかと思うのである。
新福菜館三条店から帰って、いつもどおり昼寝をし、そうするとあっという間に夕方になってしまった。
夜は知り合いの女性が1月からはじめた喫茶店の「開店記念パーティー」へ行くことにしていたから、その準備をしないといけないのである。
そのパーティーは、「死体」のコスプレをすると料金が500円引きになるとのことで、どうしようか考えたのだが、チェブ夫にコスプレをさせることにした。
絆創膏をいくつか張り、赤と黒のマジックで血の模様をかいて一丁上がりだ。
それから途中の花屋で、小さな鉢植えを一つ買った。
やはり「開店記念」となれば、そのくらいはしないといけないだろう。
喫茶店は、四条壬生川通を2~3分下がった東側にある「PiPi」である。
店につくと、早速死体のメイドがお出迎えをしてくれた。
知り合いはこの喫茶店でアルバイトをしていたが、先代のオーナーから権利を譲ってもらったらしい。
チェブ夫のコスプレも喜んでくれ、無事500円引いてもらえた。
パーティーには、死体が続々とやってきた。
傷口はティッシュで作るのだそうで、みんなかなり凝っている。
食べ物も、食べきれないほど用意されていた。
オーナーのお父さんが作ったものもあるとのことで、どれも大変おいしかった。
結局昨日は、ぼくはハメが外れることとなり、延々12時ごろまで飲みつづけ、二次会へもつきあった。
そこで話をしていて、ぼくは
「『やりたいこと』の方向だけ見ていれば、あとは何とかなる」
のだと、改めて思ったのである。
さて「やりたいこと」なのだが、パーティーの最中に、若い男性がぼくの隣に来て、話しかけてきたのである。
今は会社勤めをしているが、それをやめ、
「飲食業がやってみたい」
とのことなのだ。
ぼくは飲食業についてはまったく疎いが、「やりたいことをやる」ことについては、ぼくなりの考えがあるわけだ。
「やりたいことの、方向だけ見ていれば、あとは何とかなる」
ということである。
「やりたいことをやる」に当たって、誰でも一番不安になるのは、
「生活していけるのか」
ということだろう。
「やりたいこと」は、多くの場合漠然としているから、会社に勤める場合のように、「どうやったらお金を稼げるのか」の道筋がはっきりと見えてこない。
飲食店を始めてみても、お客さんが来ない場合だってもちろんある。
「どうやったらお客さんが来るのか」は、簡単に答えられるものではないだろう。
でもそれについては、ぼくは自分の経験から、はっきりと思うのだ。
「やりたいこと」をやろうとしていさえすれば、お金は必ずついてくる。
まずはやりたいことをやろうとしている人については、周りの人が応援してくれることになる。
「損得」ではなく、「やりたいこと」を必死にやろうとしている人を、人は応援したくなるものである。
さらにぼくは、「神様」までが、そういう人を応援すると思うのだ。
これは全く不思議なことで、本当に困ったときには、予期せぬお金がポンと入ってきたりする。
でもこれはおそらく、人間なら誰もがもつ、動物としての「本能」の働きなのではないだろうか。
本能は、「やりたいことをやろう」とするとき最大に発揮されるとぼくには思え、それにより、まだ明確でないことでも感知できるようになるのだと、ぼくは思っているのである。
「やりたいこと」は多くの場合、初めは漠然としているものだが、それで全くかまわない。
その「方向」だけ見ていれば、やりながらだんだんハッキリとしてくる。
ただし一つだけ、自分の「才能」と「運」を疑わないことだけが大事だ。
才能も運も、最終的に成功したとき、初めて評価できるわけだから、その途中では、「最大」にしておけばいいのである。
ぼくはそんな話を男性にして、
「ぜひやりたいことをやってみたらいい、ぼくも応援するよ」
と言った。
男性は満足そうにニコリと笑い、ぼくの側から立ち去っていった。
「一次会だけで失礼しよう」と思っていたパーティーだが、「そうは問屋が卸さない」のは知れた話だ。
ただでさえ意志が弱いぼくだから、楽しくなるともう帰れなくなる上に、二次会の会場がいつも行く「スピナーズ」と聞いてしまうと、
「ぼくだけ行かないと、スピナーズのマスターにおかしく思われるのではないか」
など、しなくていい心配までするのである。
総勢20人ほどでゾロゾロと移動して、スピナーズでの二次会となった。
カウンターにはいつもの常連さんがいたけれど、昨日はその人たちとは話ができず、テーブルで飲んだのだ。
二次会も延々とつづいた末、3時過ぎになってお開きとなった。
死体の中には、本当の死体になった人も、何人かいたのである。
金曜は、外飲みをしてもサックリ帰り、早めに寝ることができたのだが、昨日は帰ったのは明け方だった。
今日ももちろん、お酒がたっぷり残っていて、このブログの更新も、四苦八苦しているわけである。
「今日からは気持ちを入れ替えて仕事してよね。」
そうだな、がんばるよ。
◎絶賛発売中
◎関連記事
コメント
高野さんこんにちは
「やりたい事」だと気づかなくても続けるうちに「やりたい」事になる場合もあります。私自身も大学時代にはまさか教育に関わると思ってませんでした。しかし非常勤で首を突っ込んだのがはじまりで、今では天職とさえ感じています。同じような事が飲食物でもいえそうです。苦手だった発酵食品は「食べたい物」ではありませんでした。しかし凄く食べやすい
フナ寿しをいただき、あまりのまろやかさでフナ寿司が大好きになりました。気が付くと「食べたい物」のひとつに発酵食品全般が含まれるようになったのです
↑
名前を書き忘れてました
コスチェブ夫 可愛いですぅー(*^^*)
バシバシ保存しました!!
自分はしないでチェブ任せ、ウケます!
大好きな仕事に就き、30年。
一生この仕事を続けるだろうと思っていたのですが、
2月からもう一つの夢であった飲食店を開店することにしました。
開店が近づくにつれ、崖っぷちに追い込まれるような気分に・・・。
「やりたいこと」の方向だけ見ていればあとは何とかなるのである。
気持がちょっと楽になりました。
ありがとうございます。