きのうは大阪市解体・反対のビラ撒きをしたあと、大阪で食事をして京都へもどった。
大宮で、あと一杯飲んで帰ろうと思ったら、なぜか明け方近くになってしまうのである。
橋下徹はテレビにも出ていたし、政治家としては年齢も若く、演説もうまい。今度の「大阪都構想」も、何となく、沈滞した空気を変えてくれるのではないかと期待したくなる気持ちも分かる。
でも都構想、知れば知るほどお粗末な話なのだ。
「二重行政のムダをなくす」が謳い文句で、構想の発表当初は4,000億円のお金が浮くと言われていたのが、ちゃんと試算してみると、浮くのはたった1億円。
しかも初期費用だけで680億円が必要になり、5年間で1,040億円の赤字になる計算だ。ムダをなくすどころか、新たなムダをつくり出すものでしかないのである。
しかも明日の住民投票、「都構想の是非を問う」ものでは全くない。
「大阪都」にするなどということを、大阪市民だけで決められるわけがないのは言うまでもない話であって、もし本当にそうしようと思ったら、様々な手続きを経た上で、最終的には国会の議決を経ないといけない。
しかし現在、都構想には、自民・公明・民主・共産、すべての党が反対している。国会での議決など、「夢のまた夢」と言えるだろう。
そうすると、もし明日の住民投票が通ってしまえば、大阪市が解体され、権限も何もない特別設置区に分割され、しかも大阪都にはならず終いになる可能性が非常に高い。
住民サービスは大幅に低下して、沈滞した空気を変えるどころか、大阪はこれから、もっと沈滞するだろう。
そんなことを許してはいけないと、草の根で、多くの反対運動が展開されている。その応援で、きのうは再び、ビラ撒きを手伝ってきた。
明日の住民投票は、どんなに投票率が低くても、賛成が反対を1票でも上回れば、大阪市解体が可決される。
反対の人はもちろんのこと、「もう少し考えたいから保留したい」という人も、棄権はせずに、反対票を投じることを呼びかけた。
街の人の反応は、悪くはない。どうか明日は、サックリと否決されることを、ハラハラしながら祈っている。
8時半にビラ撒きを終わって、さすがに喉が渇いたから、「飲みに行こう」ということになった。
場所は、十三にある「あらい商店」。
ビールを頼み、
水キムチにキムパプ、
串焼き、
各種、
ハチノスのトマトソース煮、
牛スジカレーに舌鼓を打った。
酒は最後は、もちろんマッコリ。
この店、本当にうまいと思う。
まずはご主人が料理が好きで、休日などは、朝から牛すじを煮込んだりもするというのが大きい。
単に仕事としてやっているだけではないから、出てくる料理にイチイチ心がこもっている。ご主人自身が、楽しみながら作っているのが伝わってくるのである。
それからもう一つ、「在日の人の料理」だということも、ポイントであるような気がする。
在日の人は、朝鮮半島にルーツを持ちながら、日本で生まれ育っている。韓国の食はもちろん、日本の食文化にもなじんでいる。
これまでも韓国料理は好きで、韓国へは何度も行ったことがあるし、東京にいた頃も、韓国料理屋へはしょっちゅう行った。でもそこで働く韓国人は、ほとんどが、この10年、20年で日本に来た人だ。
それに対して関西には、2代、3代にわたって日本に住む、在日の人がたくさんいる。あらい商店に来はじめて、在日の人の料理が、ただの韓国料理とはまた違う、何か新しいものなのではないかと思うようになっている。
「在日料理」と呼べるものがあるのではないだろうか。
たとえばハチノスのトマトソース煮にしても、キムチが添えられたカレーにしても、いわゆる「韓国料理」ではないだろう。でも日本料理でもないわけで、しかもそれが、日本人の口にはまたよく合う。
アメリカに住む日本人のお宅で食事をごちそうになった時、みそ汁にマッシュルームが入っていたのに、驚きながら、納得したことがある。
食文化が時代や土地、背景によって、ダイナミックに変化するものであることを、あらい商店の料理を食べるとあらためて感じるのだ。
あらい商店は11時に出て、阪急電車で京都へもどった。
「あと一杯飲んで帰ろう」と思って、たこ焼き「壺味」へ。
しかしこれが、薄々予想していたとはいえ、一杯では終わらないわけである。
何しろ大宮は、常連さんがいいのである。絶妙な距離を保って、新参者に接してくれる。
押し付けがましく気を使われることはない。といって、放っておかれることもない。
ちょうど居心地がいい加減にしてくれるから、こちらも気分が良くなって、つい長居してしまう。
きのうは、わりと最近、大宮へ来るようになったという夫婦がいた。この奥さんが、やはり同様、常連さんと話していて、楽しくなってしまったらしい。
一旦帰っていったのに、「やはりまだ飲む」と戻ってきた。
帰りを促したご主人に、
「私はまだいたいのに、なぜ帰らないといけないの」
と食ってかかったのだそうだ。
大宮の常連さんのこの距離感は、どこにでもあるものではないと思う。
京都の伝統ある繁華街だからこそ、培われてきたものではないだろうか。
壺味午前2時に出て、帰ればいいのに、さらに並びにあるお好み屋「ハイカラ亭」に入ってしまった。
すると近くの飲食店で働く20代ギャルが一人で飲んでいて、「隣に座っていいか」と聞くと、「いい」というわけである。
となればおじさん、さらに気分が良くなるだろう。それから1時間ほど、ボルテージは上がり続けた。
家に戻ったら3時過ぎ。
一杯飲んで帰ろうと思ったのに、なぜ明け方近くになるのか分からない。
でも酒は、飲み過ぎないといけなのだ。楽しくなって飲み過ぎて、翌日後悔するくらいだからこそ、飲んだ甲斐があるのである。
中途半端に飲むくらいなら、初めから飲まない方がいい、、、
そう思いながら、歯をみがいて布団に入った。
「毎日後悔しなくてもいいと思うよ。」
そうだよな。
◎関連記事