深夜まで飲んでいて、起きたのが昼ごろになった上、きのうはブログ更新に半日かかり、更新が終わったら、もうすでに夜。
気力を使い果たしたので、もうそのまま風呂屋へいき、食事も外ですることにした。
「どこで食べようか、、、」
考えるわけである。
酒だけでなく、炭水化物もガッツリいこうとおもったら、行く店はかぎられる。
さらに安く、雰囲気もくつろげるとなれば、
「やはり、たこ焼き壺味だろう」
となるのである。
「壺味(つぼみ)」はたこ焼きがメインの店だが、お好み焼きや焼きそばなど、「鉄板焼き」はひと通りがある。そのほか、酒の肴も豊富だから、「飲んで食う」には打ってつけ。
しかもまた、料理がどれも、しみじみうまい。素朴ではあるのだが、飽きのこない味なのだ。
これは、
「材料と時間をケチらない」
からだろうとおもう。
たとえばこの店の看板メニュー「ねぎ焼き」。
値段は800円。
これがまず、ネギの入っている量がハンパじゃない。
決して安くはない九条ねぎを、まさに「山」のように盛る。さらに中には、甘辛く味付けされた牛すじが、これもたっぷり入っている。
これを30分以上の時間をかけ、じっくりと蒸し上げるのだ。
壺味も、決して暇な店ではない。お客さんが道まであふれ、ごった返すことも多い。
一度に焼けるねぎ焼きは、鉄板の都合で2枚。すでに2枚の注文が入っていると、出すまでに1時間以上、お客を待たせることになる。
しかし壺味は、その時間を厭わないのだ。
どんなに忙しくても、おいしくつくるために、必要な時間はかけるのである。
お客さんもわかっていて、ねぎ焼きができるまで、ほかの肴で酒をのみながら、ゆっくり待つ。
または、一旦ちかくのほかの店へ出かけ、ねぎ焼きが焼きあがるころ、もどってくる人もいる。
この忙しい時代、このようなやり方をつらぬくことは、なかなかできることではない。
しかも先代の時代には、このねぎ焼き、650円で出していて、「つくればつくるほど赤字になっていた」から、息子さんに代替わりしてからは150円値上げして、ようやく収支があうようになったという、笑えない笑い話まであるほどだ。
きのう頼んだのは、まず生ガキ。
大将は、週に一度は京都の中央市場、月に一ぺん小浜の市場まで出かけて仕入れをするから、新鮮な魚介はいつもある。
それから、「海鮮塩焼きそば」。
ホタテにエビ、イカ、タコがたっぷり入った臨時メニューだ。
壺味は、「焼きそば」がまたうまい。
ぼくは関東育ちで、「粉もん」にはそれほど執着がないせいで、壺味でガッツリ食べようとおもうときは、焼きそばを注文することが多い。
うまさのポイントは、まず野菜がたっぷり入っていること。
上の写真は2人分をつくっているところだが、玉ねぎにキャベツ、それにもやしが、「これでもか」というくらい、入れられる。
麺は、まるい太麺。これがまた、食べごたえがあって、じつにいい。
味付は、まず酒をたっぷり、惜しげもなくつかう。これも大きなポイントだろう。
ソース焼きそばも、スパイシーなどろソースがくわえられ、うまいのだが、これは塩焼きそばだから、塩ダレを使っていた。
配合は聞かなかったが、「秘伝のタレ」なのだろう。
しっかりとコクがあり、いい味だった。
このように、壺味はまず、「うまい」のだが、店の雰囲気も、とてもとても居心地いい。
「押し付けがましくない」
のが特徴だ。
壺味はだいたい、常連さんでごった返している。常連さんはみな話し好き、店内はにぎやかだ。
ここに新規で、はじめて入ろうとおもう場合、まず心配するのは、
「常連さんの話題についていけるか」
ということだろう。
飲み屋で話に入れず、「ポツン」としてしまうほど、さびしいことはないからだ。
しかしそれは、壺味では、まず心配ない。常連さんは、新しい人に気をつかい、新しい人が入れるような話題をうまいこと選んでくれる。
きのうも壺味には、若い男性の一人客、それに若い女性3人組の、はじめてのお客さんがいた。
酒豪「池井くん」をはじめとする常連さんは、まあ若者だから、「彼氏・彼女」の話になったりするわけだが、話題をうまくふりながら、会話を盛り上げる。
といって常連さんも、「義務」で盛り上げているわけではない。
みな新しい人との出会いが好きな、たのしい人ばかりなのだ。
また逆に、
「あまり話しかけられるのは困る」
とおもう人もいるかもしれない。
ぼくなども、どちらかといえばそのタイプ、ひとりでぼんやりと座りながら、たのしい雰囲気を感じているのが好きである。
しかし壺味は、そういう人でも心配ない。
常連さんは、お客さんをよく見ている。
お客さんが「ひとりでのみたい人」と見れば、決して無理には話しかけない。放っておいてくれるのだ。
それでいて、お客さんに話しかけられたときには、もちろんにこやかに応対する。
「押し付けがましさ」が微塵もない、この「つかず離れず」の距離をたもつ技は、どの飲み屋にでもあるものではないだろう。
ぼくは、この「押し付けがましさのなさ」は、京都・大宮の飲み屋全体の特徴ともいえるとおもう。店により、もちろん持ち味はそれぞれだが、多くの店で、常連さんは「つかず離れず」の、なんとも居心地いい距離をたもってくれる。
想像なのだが、その雰囲気が大宮全体に行きわたるのに、「壺味」の存在は大きかったのではあるまいか。
壺味は、もう開業20年以上、大宮ではいちばんの古手である。
この店の常連さんが、大宮の多くの店を行き来する。
それにより、壺味の居心地いい雰囲気が、大宮全体にに行きわたったのではないかとすら、ぼくなどはおもうのだ。
そういう意味で、たこ焼き「壺味」は、京都・大宮の「へそ」ともいえる店である。
大宮へ来たときには、ぜひ足を運んでみるのがおすすめだ。
「若いお客さんも多いよね。」
そうなんだよな。
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