きのう、「#12月28日鶴橋安寧」とツイッター上で名付けられた、大阪・鶴橋での差別抗議(カウンター)に参加した。
個人の行動は、社会を変える力になるのである。
ぼくが差別抗議(カウンター)に参加するようになったのは、今年の9月から。まだ3ヶ月あまりの新参者だ。
参加した動機は、かならずしも差別問題に関心があったからではない。
以前から、日本の現状には大きな不満をもっていた。とくに東日本大震災でおこった原発事故をきっかけとして、日本が進むべき方向と、実際に日本が進んでいる方向とのあいだに大きなギャップがあることを感じるようになり、
「このままでは、日本は大変なことになる」
と、危機感をいだいてはいた。
その危機感は、安倍首相による「集団的自衛権・閣議決定」で頂点に達した。
「何か行動しなくてはいけない」
切実におもうようになり、まずはお世話になっている喫茶店「PiPi」の店主・「マチコちゃん」とその仲間たちが企画したデモに参加した。
つづいて、デモの打ち上げなどで知りあった関西カウンター中心メンバーたちのつよい想いに、ツイッターを通して触れ、胸を打たれたことが、カウンターに参加するようになったきっかけだ。
カウンターに参加してまず知ったのは、人種差別団体「在特会」などがおこなう街頭での差別扇動(ヘイトスピーチ)が、「犯罪」とよぶにふさわしい「言葉の暴力」であることだ。
「朝鮮人を殺せ」
「朝鮮人は日本からでていけ」
などの発言は、ただの「悪口」とはまったく別物なのである。
「朝鮮人」などの属性で人格を全否定される理由がまずないうえに、そうして人種を根拠に否定されると、自分ばかりか、親・兄弟、親戚・先祖など、自分の生存の根拠を根こそぎ否定されることになる。
さらにそれを、街頭にすえられた巨大スピーカーの大音量でやられると、個人にはなすすべがなく、ただ打ちひしがれるしかない。
また街頭での演説で、それまで差別に関心がなかった一般の人までが差別に同意することになると、自分たちへの脅威が増すことにもつながっていく。
実際、人種差別撤廃条約には、
「人種的優劣又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わず、すべての暴力行為又はその行為の扇動、及び人種主義に基づく活動に対する資金援助の提供も『法律で処罰すべき犯罪』であることを宣言すること」(第4条)
「差別扇動は法律で処罰すべき犯罪」と、はっきりとうたわれている。
日本もこの条約に参加しているのだから、本来は、差別扇動を禁止する法律を制定する義務があるし、今年の7月、国連人権委員会から、早急に差別扇動を法規制するよう、「勧告」もされている。
しかし日本はその義務を怠り、法規制が遅々として進まないから、在特会などの差別扇動が野放しにされているのである。
法規制が進まなくても、差別扇動がおこなわれれば、それによって在日韓国・朝鮮人の人たちは、深く傷つく。
それならば、法規制を待つのでなく、
「自分たちでできることをやろう」
と立ち上がったのが、「カウンター」の人たちだ。
差別扇動の現場へでかけ、扇動者に罵声をあびせることにより、少なくとも在日や一般の人たちに、口ぎたない差別発言を聞かせにくくすることができる。
また扇動者に、暴力をたのしむ余裕をあたえず、差別扇動をへらす効果も期待できる。
何より、扇動者にたいして「いっしょに怒る」ことにより、在日の人たちの「心のささえ」になることもできるのである。
ぼくも在日の人たちと、カウンターの活動をとおして直接知り合うようになり、この人たちを深く傷つける在特会を、「決して許してはいけない」とおもった。
それで自分が行けるときには、多少の無理は押し、カウンターに参加するようになっている。
きのうもじつは、お世話になっているバー「スピナーズ」の忘年会があったのだが、そちらはキャンセル、鶴橋でのカウンターに参加することにしたのである。
鶴橋での差別扇動は、通常の差別扇動より「さらに悪質」といえるものだ。
鶴橋は、承知のとおり、在日韓国・朝鮮人の人たちが多く住む街。そこで在特会は、「防犯パトロール」をおこなうという。
年末に日本人が「拉致」されたり、ヘイトクライムで刺されないように、鶴橋で「拉致に用心」「朝鮮人1人でもヘイトクライムの元」と声を挙げたいと思います。
とのことだ。
そうなると、差別扇動は、日本人にむけてより、在日の人たちにむけられる。
「在日の人を傷つけるため」におこなわれることは明白で、しかも「防犯パトロール」などというふざけた言い方は、明らかにそれを「楽しもう」とすらしているのである。
この日のカウンターは、ツイッターでも早くから告知され、
「絶対に許さない」
「差別主義者を鶴橋には一歩もいれない」
と、怒りの声が高まっていた。
鶴橋の「安寧」を、守らないといけないのである。
集合時刻の午後5時に、ブログ更新と食事および昼寝を終え、鶴橋駅西口になんとか到着。
差別扇動は5時半からの予定で、まだ在特会の姿はなく、あたりはいつも通りのにぎわいをみせている。
そのうち、
「東口!」
指令が走った。
在特会は、カウンターが多くあつまる西口を避け、東口から出てきたのだ。
あつまっていたカウンターは、東口へ急行する。
しかしそこには、すでに警官が配備され、前には行けない。
そこで「西口へもどろう」となったのだが、ぼくの前にいた男性は、
「まわり込んでアタックしよう」
と、べつの方向へ走りはじめる。ぼくとあと数名も、そちらに分かれる。
すると繁華街をぬけ、住宅街を走るうちに、在特会を発見した。リーダー格とその手下の二人が、警官に連行されている。
そのときの、前を走る男性のカウンターは、壮絶なものだった。
人がここまで怒るのを、ぼくはこれまで見たことがないとおもうほどの、すさまじいまでの「怒り」の表現。
在特会に食ってかかり、泣きながら抗議をする。
ぼくもおもわず、もらい泣きをしながら抗議した。
あとで聞くと、この男性は、名古屋カウンターのリーダー格で、鶴橋に応援にきていたそうだ。
進む方向についての判断といい、抗議の仕方といい、「尊敬に値する」とぼくはおもった。
しかし抗議は、やがて警官によって引き離される。
「在特会は、自分たちが鶴橋にいれないようにするから、手を出さないでくれ」
と、警察はいうのである。
いうことをひとまず聞き、少し離れて、在特会を追走する。
住宅街をぬけ、大通りにでると、やがて多数のカウンター、および警官が合流し、警官による警備が強化、在特会には近づけないようになった。
警察は、本来なら、犯罪行為をおこなう集団「在特会」を、取り締まるべき立場である。
ところがこれまで警察は、差別扇動を「言論の自由」として擁護して、むしろカウンターが、取り締まりの対象となってきた。
しかし今回、その姿勢に変化のきざしが、すこし見られたようである。
在特会のメンバーとおなじ電車に乗っていた、関西カウンター・リーダー格の一人によれば、
「在特会が鶴橋駅の改札をでると、すぐに警官がとりかこみ、鶴橋から出そうと行動をはじめた」
そうだ。
在特会が、
「どこへ行こうと、こっちの勝手やろ」
となるのを、「まあまあ」となだめながら、なんとか鶴橋の繁華街へ行かせないようにしていたという。
それを見て、
「いいものを見たおもいがした」
と、彼はいう。
「警察も、カウンターの抗議をみるうちに、カウンターは悪者ではないと、だんだんと分かってくれたんじゃないですかね、、、」
もちろん警察の対応は、「本来あるべき姿」からいえば、在特会にはまだまだ甘い。
しかしカウンターが地道に活動することで、このように警察をも、変えてきているわけである。
警察が、
「自分たちが責任をもって、在特会を鶴橋にいれないようにするから」
というのを信じ、カウンターは、そこで一旦撤収することとなった。
メンバーは三々五々、そのあと予定されていた忘年会の会場へむかう。
ところがふたたび、
「在特会がもどってきている」
との情報が。
カウンターは、元きた道を引きかえし、現場へ走った。
現場へ着くと、大勢の警官が、在特会をとりかこんでいる。
「警察は本気で在特会を説得しているようだから、手を出さないように」
と、指令が入る。
聞くと、在特会は、
「オレたちはただ忘年会をしに来ただけだ。そのなにが悪いんだ」
と主張しているという。
「忘年会場を予約しているから、行かないとまずい」
という、笑い話のような話も漏れつたわってくる。
しばらくののち、警官と在特会は、動きはじめた。
在特会の忘年会は、許可する運びになったらしい。
ただし、警官による監視つき。
忘年会が終わり次第、鶴橋をきちんと出るまで、警官が付き添うそうである。
忘年会場となる居酒屋の前で、大勢の警官が警備をはじめる。
その警官に、
「よろしくお願いします!」
と声をかけ、ようやく鶴橋でのカウンターは、終了の運びとなった。
そのあとは、韓国家庭料理の店「アリラン食堂」で、カウンターの忘年会。
60人以上があつまった。
カウンターのあとの、酒はうまい。
また出てくるのが、ものすごいごちそう。
「飲み放題込みで4000円」の値段とは、とうてい信じられない量の料理が、次から次へと運ばれてくる。
しかもお皿が空になると、あとからあとから、補充されていくのである。
しかしこれは、お店の出血大サービスだったようだ。
カウンターは、鶴橋の人たちから、愛されているのである。
きのうのカウンターには、参議院議員の有田芳生氏も参加していた。
ヘイトスピーチの法規制を積極的に考える有田氏は、カウンターの現場を視察にきたようだ。
「視察」といっても、みずから現場の最前線で警察官と対峙したり、カウンター忘年会にも最後まで出席。
2次会にまで参加したから、かなりの気合が入っている。
その有田氏は、忘年会でのあいさつで、
「ヘイトスピーチを社会問題化したことについて、カウンターの功績はとても大きい。来年は、ぜひヘイトスピーチ法規制を実現させたい」
と、はっきりと言い切った。
カウンターが大歓声でこたえたのは、いうまでもない。
カウンターは、「社会を変える」ことを、主要な目的としてはいない。
むしろカウンターが、ああして差別主義者に罵声をあびせ、怒りを表現することに、眉をひそめる人もいる。
しかしカウンターが、在日の人たちにより添い、地道に活動することで、社会は確実に変わっている。
世論が、マスコミが、そして警察や政治が、動きはじめているのである。
カウンターは、「個人」の集団。組織をバックにすることなく、一人ひとりがツイッターを通してゆるくつながり、大きなうねりをつくりだす。
そのカウンターが、「2年たらず」というみじかい期間で、社会を大きく変えたことに、ぼくは希望をもつのである。
日本には、問題が山積している。
しかしそれらの問題も、個人ができる範囲で、行動を起こすことにより、変えていくことが、きっと、できる、、、
ぼくはいま、そうおもえるようになっている。
カウンターの忘年会は、9時半にお開きとなった。
2次会に流れた人もいたが、ぼくは京都・大宮へもどり、スピナーズ忘年会の2次会に参加した。
マスターと、顔見知りの常連さん、ひと通りにあいさつする。
やはりお世話になったのだから、年末のあいさつは必要だ。
11時から2時まで3時間、カラオケをたっぷり歌い、ぼくはさらに、一人でラーメン。
腹もふくれて家に帰った。
きのうももちろん、仕事はまったくできなかった。
家に帰ってすぐに寝て、さらにきょうは、起きるのが遅かったものだから、ブログ更新に夜までかかり、もうこれから仕事はできない。
しかしそれも、仕方がないことだろう。
仕事より、大事なこともあるのである。
「仕事も大事だよ。」
そうだよな。
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