京都河原町・マルイ前でのカウンターに参加した。
カウンターのあとには、クールダウンが必要なのである。
朝起きる時間は、日によってマチマチだ。めざましをかけないからである。
会社をやめて5年、めざましをかけたのは、朝から遊びに行かないといけなかった一度だけ。
あとはだいたい、明け方にまずトイレで起き、二度寝してまた目がさめてトイレへ行き、それでもまだ起きられないから、三度寝し、足りなければ四度寝までして、それから布団をでるようにしている。
めざましをかけなくても生活リズムは一定になりそうに思うかもしれないが、そんなことはない。
つい夜遅くまで飲んでしまうことも多いから、その場合には、朝起きる時間もその分ずれ込むことになる。
また夜おなじ時間に寝ていても、起きる時間がおなじになるとはかぎらない。
体調などにもよるのだろう、必要な睡眠時間は日によってちがうのである。
しかしきのうは、京都河原町・マルイ前でおこなわれる在特会の街宣へ、カウンター(抗議活動)に出かけることになっていた。
カウンター・グループ所有のトラメガ(トランジスタ・メガホン)を預かっているから、直接声をかけてもらえるようになり、「行きます」と約束した。
街宣は、午後3時から。早めに着くことをかんがえれば家を2時すぎには出ないといけない。
そのためには、ちょっと酒をのんで昼寝してから行こうとおもえば、いつもよりずいぶん早い時間にブログの更新を終える必要がある。
そうやって緊張していたせいだろう、朝はちょっと早く目がさめた。
なのにグズグズ支度しているうちに、家をでるのが遅くなり、けっきょくブログ更新が終わったのは1時半。
家に帰っておとといの鍋の残りで酒を一杯、昼寝はできずに現場にむかった。
河原町マルイの前へ到着すると、すでに常連カウンターの人たちが、何人かあつまっている。警官は、制服はいなかったが、私服が何人かいるようだ。
軽く打ち合わせをするうちに、在特会が到着した。
準備ののち、街頭演説をスタートする。
はじめはちょっと遠巻きにながめながら、在特会の話を聞いた。しかし聞くほどに、この連中の性根の卑しさが嫌になる。
事実無根のデマをならべ、あたかも「自分たちは被害者だ」といわんばかりの顔をして、
「在日韓国・朝鮮人は出ていけ」
という。
頭があまりに悪すぎるから、人を貶めることによってしかプライドを保てないのだ。
正直いって、こういう連中の相手をするのは面倒くさい。
「ひとりで勝手に地獄へでもどこでも落ちてくれ」
とおもいたくなる。
しかし頭の悪い人たちが、勝手に地獄に落ちてはくれないということは、いまの日本を見渡せば明らかだろう。
頭の悪い人たちは、頭が悪いぶん、「権力」には執着する。執着し、まめに活動するから、世の中にかえってはびこる。
それが「首相」にまでなってしまうことをおもえば、「面倒くさい」と放置してはいけないのだ。
先輩カウンターの人たちが、抗議活動を始めたから、ぼくもバックからプラカードを取りだした。
プラカードには、表には、「なめんな!クソ馬鹿」、裏面にはあたりにいる一般の人むけに、「差別に抗議しています」と書いてある。
プラカードを掲げながら、演説のまえをわざとゆっくり行き来する。
通りすがりざまに、
「帰れよ、タコ!」
と吐きすてるように罵倒するのは、いうまでもない話である。
バカには、「自分がバカだ」ということを、きちんとわきまえてもらわないといけない。
「もう差別などやめよう」
と、おもってもらわなければいけないのだ。
やがてカウンターの人数が増えてくると、近くで待機していた制服の警官がゾロゾロでてきて、プラカードをもったままでは演説のまえを通れなくなった。
そこでトラメガの出番である。
このトラメガ、はじめて使わせてもらったのだが、おもった以上に大音量。10メートルくらい離れていても、演説者まで余裕でとどく。
「在特会、はよ帰れや~、このタコ~~!」
ドスのきいた声で怒鳴り上げると、演説者はビクリとなり、演説が中断したりする。
しかしそのかわり、警察のおえらいさんみたいな人が飛んできて、
「怒鳴り声やめて」
と言われるのである。
またあまり怒鳴ってばかりいるのも、あたりにいる一般の人にたいしても印象がよくないだろう。
だからしばらくは、一般の人にむけて落ちついた声で、
「現在あちらで街頭演説を行っているのは在特会、京都の朝鮮学校を襲撃した罪で、最高裁で1200万円の賠償が確定した差別団体の、ヘイトスピーチです、、、」
などなどと、在特会について延々と説明し、ときどき、思いきり罵倒することとした。
罵倒すると、警官が飛んではくるが、とくべつ問題にはならなかったようである。
1時間の演説ののち、在特会は、カウンターの「帰れ」コールに送られて、すごすごと引き上げていった。
カウンターは、きのうも役割を果たせたようだ。
カウンターの人たちは、きのうは少なめで20名ほどだったからか、活動が終わるとみんなサッと帰っていった。
ぼくも電車で大宮へもどったが、どうも気持ちがクサクサする。
頭の悪い人のききたくもない話をきき、さらにそれを罵倒するのは、疲れることだ。
おまけにきのうはトラメガをつかったから、バカとはいえ相手を傷つける度合いも高かったし、一般の人や警官にもずいぶん気をつかわないといけなかった。
家に帰って、昼にできなかった昼寝をしたが、目がさめてもまだ気分がすぐれない。
「これはクールダウンが必要だ、、、」
ぼくはそう結論し、大宮へ飲みにでることにした。
まずは風呂屋へいき、風呂あがりにビールを一杯。
それから、ちょっとご無沙汰していた、立ち飲み「てら」。
スパサラと、
鶏天おろしポン酢を食べた。
そのあとは、酒房「京子」。
クサクサした心をいやすには、女将京子さんと話をし、女将のつくったものを食べるのが一番だろうと、あらかじめ予約しておいたのである。
まずは太巻き。
女将が出かけていたのを電話で無理やり予約したから、帰りに買ってきてくれたのだろう。
それから女将は、鍋焼きうどんをつくってくれた。
昆布にあごだしのうす味で煮られていて、ブリに豚肉、豆腐に白菜、それに煮込んだしいたけが入っている。
京子では、年配の女性二人連れのお客さんが横にいた。
「最近は、親が子どもを放ったらかすようになって、、、」
と、話をしている。
「昔はそれでも、放っておかれるなりにルールはあって、近所のおじさんやおばさんが子どもを叱ったり、銭湯でマナーを教えたりしたもんだけど、今はそれもなくなったからねえ、、、」
ぼくはそれをききながら、
「カウンターは、まさにこのおじさんやおばさんだ」
そうおもった。
いま日本で、在特会のような頭の悪い人たちが好き放題をするようになったのは、まわりの大人がそれを放置したからだろう。
ぼくもついこの間まで、
「バカは放っておいても駆逐される」
と思っていた。
しかし皆がそうおもって放置したら、バカも駆逐されようがないだろう。
バカなことをしているやつには、きちんと「バカ」と叱ること。
日本にはそれが必要なのではないかと、ぼくは酔った頭でぼんやりおもった。
鍋焼きうどんを食べ終わったころ、
「12人ですが、入れますか?」
若者の団体が入ってきた。
ぼくは出ることにして、「京子に12人はムリだろう」と思いながらも、
「ぜんぜんOK、入れますよ!」
と無責任なことを言いながら、家に帰った。
家に帰り、ちょっと本を読んで、早めに寝た。
そうしたら8時間、トイレも行かずにぶっ続けで寝とおしたから、やはり疲れていたようだ。
「まず自分が叱ってもらわないとね。」
ほんとだな。
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