きのうは餃子の王将で昼ビールをし、京都駅前でカウンター活動、それから打ち上げに参加し、第一旭でラーメンを食べ、大宮で、ギャルとツーショットの写真を撮った。
カウンターは、初めての体験だったのである。
ブログの更新が終わったら、外でビールが飲みたくなった。PiPiは休みだし、そういう場合は「餃子の王将」だ。
餃子の王将は値段が安く、ラーメンを除けば、どれもうまい。四条大宮のは1号店だからというのもあるかも知れないが、店員も感じがよく、居心地よく時間を過ごせる。
このところ餃子の王将で頼むのは、焼きそば、
それからギョウザ。
どちらもビールの肴になるから、大瓶がちょうどいい。
1時間ほど昼寝をし、京都駅前、タワー下へ出かける。
「カウンター」の活動を応援するためだ。
「在日特権を許さない市民の会(在特会)」が、在日韓国人・朝鮮人に対して差別的な街頭演説(ヘイトスピーチ)を繰り返し、大きな問題になっているのは、もう多くの人が知っていることと思う。他人を貶めることにより自分が優位に立とうとするのは、つまらない奴のすることで、ぼくは以前は、「無視すればいい」と思っていたが、しかし差別は、する側だけではなく、「される側」のことも考える必要がある。
差別をされる側にとっては、「無視すればいい」では済まないことは言うまでもない話なわけで、差別をされたら、きちんと抗議しないといけない。
日本は国連の人種差別撤廃条約にも加盟しているのであり、このあいだ通り、ヘイトスピーチは、本来は法律で規制されるべきものだと思うけれども、日本では現状はそうなっていない。
そこで2年くらい前から、「カウンター」と呼ばれる日本人、および在日の人達による抗議活動が、ヘイトスピーチが行われる場でされるようになった。
きのうは京都駅前で、在特会の街頭演説が行われることになっていて、そのカウンターを応援する呼びかけが、ツイッターでされていた。
ぼくは以前までは、「カウンターを応援しよう」と思ったことはなかったけれど、最近、マチコちゃん主催のデモに参加したりする中で、京都でカウンター活動を行う20代の在日男性「凡さん」と知り合った。ツイッターをフォローしたりして、発言を見るうちに、凡さんがどのような気持ちでカウンターをしているのか、何となくわかってきた。
そうなると、やはり応援したくなる。
きのうは凡さんの呼びかけで、京都タワーへ馳せ参じたわけなのだ。
京都タワー下へ着くと、すでに警官が物々しい警備をしている。
在特会の街頭演説は、現在は「言論の自由」として法律で守られる立場にあるから、逆にカウンターの抗議活動が、警官による規制の対象となっている。
凡さんや、居合わせた大宮の仲間に心得を聞くと、
「とにかく無理しないように」
とのことである。在特会とカウンター、さらに警官の三者が三つ巴の混乱状態を生み出すから、そこに巻き込まれることになると、最悪ケガをしたり、逮捕されたりなどのこともあるようだ。
いよいよ在特会の街頭演説が始まった。
聞くに堪えない醜悪な内容だが、カウンターの「帰れ」コールなどによりかき消され、一般の人にはほとんど聞こえないだろう。
演説場所の前も、警官の規制により、立ち止まることが許されないから、演説に耳を傾けることもできない。
このように、差別的な演説が一般の人の耳に入らないようにすることが、カウンター活動の第一の功績だろう。
在特会のメンバーは、7~8人。それに対してカウンターは、70~80人がいた。
在特会は、40代くらいの人が中心となっているようだが、20代と思しき若い男性、それに60代と思しき年配の人もいた。
何も知らない若い人が、ああいう活動に引き込まれてしまうことは解らないではないけれど、いい年をした人が、分別もあるはずなのに、ああいう活動に参加するとは「恥ずかしい」としか言いようがない。
カウンターの活動は、一つはプラカードを持ったりしながら演説の前を通ること。
しかしこれは、すぐに警官によって脇にどけられてしまう。
それから少し離れたところで、抗議の声を上げること。
ぼくはここで、ちょっと恥ずかしかったから小さな声で、帰れコールに唱和した。
あとはさらに脇の方で、主に女性が、通りすがる一般の人に対して、カウンターの活動に理解を求めるコメントをしたり、ビラを配ったりしている。ぼくは街頭演説の後半は、このビラ配りを手伝った。
在特会に抗議するのも大事だが、一般の人にきちんと考えてもらうのは、それに劣らず大事だろう。
以前はカウンターの人に対して、
「在特会もそうだけど、あなた達も迷惑だよ」
などと感想を漏らす人も少なくなかったとのことなのだが、ここ数ヶ月で急速に、ヘイトスピーチの実態が知られるようになったからだろう、きのうはビラを受け取る人も少なくなく、また受け取らなくても、「理解している」と小さく肯く人も何人もいた。
在特会の演説は1時間ほどで終わり、メンバーは街宣車に乗り、これまた醜悪な捨て台詞をスピーカーからまき散らしながら帰っていった。
カウンターの活動も、大きな混乱もなく無事終了となり、メンバーは解散した。
解散後、少し離れた街角の喫煙コーナーでタバコを吸っていると、凡さん初めカウンターのメンバーが、前をゾロゾロと通って行く。大阪や、さらに東京から来た人たちもいるから、打ち上げに行くのだそうだ。
ぼくは本当は、カウンターが終わったら、帰って仕事をするつもりだった。貧乏暇なし、きちんと仕事しないと生きていけない。
しかし、せっかくの機会である。
凡さんとも話がしてみたかったし、少し迷ったけれど、打ち上げに参加することにした。
打ち上げの会場は、京都タワー裏にあるパブの「HUB」。
飲み物は、それぞれ自分で頼むから、大人数でも勘定はわかりやすい。
男性はもちろんだが、けっこうかわいい女性も多い。これは嬉しいわけである。
色んな人への挨拶で忙しい凡さんだったが、少し話もさせてもらえた。在特会への抗議活動を始めたのは、もう5年ほど前に遡るとのことだった。
きっかけは、在特会が、自分が卒業した学校、および自分のおばあさんが入所していた老人ホームに街宣をかけたことで、
「これはヤバイ団体だ」
とわかり、それから在特会の街頭演説へ足を運ぶことになったそうだ。
ところがその当時はまだカウンターの活動はない頃で、出かけるのは凡さん一人きりだった。
「一人で在特会に抗議していたんですか?」
と聞くと、そういう人もいたけれど、それだと在特会に動画を撮られ、それをYouTubeなどに上げられて、姿を晒されることになる。自分は仕事もしているし、そうなっては困るから、少し離れた場所からツイッターで、「こんなひどいことを言っている」などと報告したりしていたそうだ。
そういう活動を細々と続けるうちに、昨年、初のカウンター集団が東京で、日本人を中心として結成され、凡さんは「これだ」と思って東京へ行き、話を聞くなどして、それから関西を中心として、カウンター活動を始めるようになった。
そして現在に至るわけだが、4年余りものあいだ、差別に一人で抗議を続けた、凡さんの心中を思うと胸が痛んだ。
打ち上げでは、やはり20代の、在日の女性とも話をした。差別的な発言は、小学1年のときに「朝鮮人は自分の国に帰りなよ」と級友に言われたことを皮切りに、数え切れないほど受けてきたが、
「街頭演説などで不特定多数に向けて言われることが、一番キツイ」
のだそうだ。
知っている人から個人的に言われれば、「あの人は家庭に問題があるから・・・」と考えるなどすることで、その人の発言を、自分の中で消化することもできる。
しかし不特定多数に向けて言われたことはそれが出来ず、傷として残るという。
在特会の街頭演説は、その場に行かず、実際にそれを聞かなくても、どんなことが言われるかは、手に取るようにわかる。だから家にいても、けっきょく泣く。
そのため、
「泣くなら演説の場で泣こう」
と決め、カウンターの活動にはできるだけ参加するようにしているそうだ。
きのうも、
「それまでは威圧的に私を規制していた若い警官が、私が涙を流したのを見て、急に態度を変え、手を後ろにまわして、あまり強く当たってこないようになった」
という。
「警官も、上から言われて、仕事としてやっているだけだから、人が傷付いているのを直接見て、はじめて我に返り、演説で何が言われているかを考えるのだろう」
とのこと。
「そういう意味でも、カウンターの活動には意義がある」
と言うのだが、そこまで体を張ってやらないと、差別のひどさに気が付かないとは、「日本の警察は何をやっているんだ」と、ぼくは情けなくなった。
差別は、差別された人を深く傷付け、悲しませる。
「そのことを忘れてはいけない」と、ぼくはきのう、改めて、強く思った。
凡さんは、それからネットのラジオで活動の報告を流している。
カウンター初参加だったぼくも、少しだけ出演した。
打ち上げは、9時に終わった。
知り合った人たちに挨拶し、帰途に付いたが、
「いい経験をした」
と、つくづく思った。
京都駅に向かって歩きながら、腹が減っていることに気が付いた。考えてみたらまだ、食事をしていなかった。
京都駅近くで食事をするなら、これは完全に一択だ。
第一旭たかばし本店。
30分以上待ち、ようやくビール。
および、きのう二度目のギョウザ。
そしてラーメン。
澄んだ豚骨スープの、「京都標準」と言える味で、実にうまい。
バスで大宮へ戻ったが、まだ少し飲み足りない。
そこで、「壺味」でサワーを一杯。
「ピッコロジャルディーノ」でワインを2杯。
さらに「へそまがり」で、味噌おでんに焼酎3杯。
へそまがりには、男女4人のグループがいたが、まず男性が2人とも帰り、さらに連れの女性も帰って、かわいいギャル一人が残った。
するとそのギャル、
「もしかして、雑誌に載ってましたよね?」
と、ぼくがモデルとして登場した『Men’s Leaf』
を知っていたから、話が早い。
へそまがりが閉店となったので、さらに連れ立って「Kaju」へ行った。
二人で乾杯。
そして、ツーショット。
満足して、家に帰った。
家に帰って時計を見たら、もう3時。
仕事もせず、金も使うだけ使い、全く何ということだ。
しかしきのうは、楽しかったから仕方ないのである。
「出会いもたくさんあったしね。」
ほんとにな。
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