きのう、「#12月7日京都ヘイトアクションを許すな」に参加した。
「カウンターは、新しい」と思うのである。
きのう12月7日に、差別煽動(ヘイト)団体「在特会」が大規模な行動を予定し、それにたいする抗議活動「カウンター」がおこなわれることは、ツイッターで以前からアナウンスされていた。
カウンターやデモなど最近の、とくに若い人が中心になっておこなう市民運動は、昔のように組織をバックとせず、個人を中心とした小さな団体が主催して、動員も、ツイッターのみの呼びかけでおこなわれるものが多い。
それでそれなりの人が集まるから、これは「ネットを利用した新しい形の市民運動」ということができるのだろう。
ぼくもなじみの喫茶店「PiPi」店主「マチコちゃん」の誘いを受け、デモなどに参加するようになってから、関西カウンターの中心メンバー何人かと知りあい、彼らのツイッターアカウントをフォローするようになっている。
正直、「活動家」という人種を、はじめのうち警戒していたのは事実である。
ぼくなどの世代だと、知りあう活動家は組織をバックにしていたから、ある特定の組織の思想に誘導されるおそれがあった。
もちろん、どんな思想を支持しようと、それは個人の自由である。
でもぼくは、思想を誰かに誘導されるのでなく、自分自身で考えてみたいと思ったから、組織からは自由でいたかった。
しかし若い活動家たちと接するうち、彼らが組織などによって作られた、固定した思想を信奉しているのではないことが、だんだんとわかってきた。
それでぼくも、徐々に活動に踏み込むようになってきたのだ。
きのうの在特会の行動は、「朝鮮学校襲撃5周年」と銘打ったものだった。
5年前、在特会は京都市内の朝鮮学校にイチャモンをつけ、
「(学校は)公園を50年も不法占拠している」
「この学校の土地も不法占拠だ」
「我々の先祖の土地を奪った。戦争中,男手がいないとこから,女の人をレイプして奪ったのがこの土地」
「これはね,侵略行為なんですよ,北朝鮮による」
「ここは北朝鮮のスパイ養成機関」
「犯罪者に教育された子ども」
「ここは横田めぐみさんを始め,日本人を拉致した朝鮮総連」
「朝鮮やくざ」
「こいつら密入国の子孫」
「朝鮮学校を日本からたたき出せ」
「出て行け」
「朝鮮学校,こんなものはぶっ壊せ」
「約束というのはね,人間同士がするもんなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」
「日本に住ましてやってんねや。な。法律守れ」
「端のほう歩いとったらええんや,初めから」
などと、根拠のない、事実誤認の、聞くもおぞましい罵詈雑言を、教職員と児童たちに浴びせかけた。
これは刑事事件として立件され、在特会のメンバー4人が有罪判決をうけ、また民事訴訟でも、京都地裁・高裁で、在特会に1226万円の賠償金を命じる判決が下っている。
刑事・京都地裁 http://t.co/GnnXsoRKry (これのみ在特会も公表)/刑事・大阪高裁 http://t.co/ITRrn72emy
民事・京都地裁 http://t.co/Jwf6HKRXta /民事・大阪高裁 http://t.co/SJ5ANyDuRt— 3羽の雀 (@three_sparrows) July 13, 2014
朝鮮学校の教職員はもちろんのこと、児童たちの心まで深く傷つけるこの「犯罪」を、在特会は「快挙」とたたえ、「それを記念する行動を起こす」というわけである。
そのようなことを許すことができないのは、言うまでもないだろう。カウンターの呼びかけにも、いつも以上に力がこもる。
在特会を圧倒するには、頭数が必要だ。
ぼくも午後からのカウンターへ出かけることにし、ツイッターでも参加の呼びかけを手伝った。
カウンターの活動には、思想的な「新しさ」をつよく感じる。
まず第一に、在特会が「バカ」なのは、上の発言や街宣の実際の模様をYouTubeなどで見てみれば、ふつうの人ならすぐわかる。低能なくせにプライドだけは高いやつらが、デマで人を貶めることにより、自分が優位に立ちたいだけだ。
この「バカ」にたいする対処法として、日本人の多くが、
「相手にしない」
というやり方をとってきたのではないだろうか。
「バカは死んでも治らないのだから、相手にするだけムダ、放っておくのが一番いい」
と、少なくともぼくは思っていた。
しかしカウンターは、このバカを、膨大な時間と手間をかけ、わざわざ一人ひとり相手にして、「抗議をする」というわけだ。
なぜそのような面倒なことをするかといえば、それは在特会が差別扇動をおこなうことで、在日コリアンの人たちが「深く傷つく」からである。
在特会の差別扇動は、有罪判決・賠償命令がでていることからも明らかなとおり、在日コリアンを傷つけることを目的とした「言葉の暴力」だ。
本来なら、世界の多くの国と同様、日本でも、法で規制されるべきだと思うが、日本では残念ながら、まだそれに至っていない。
「それならば、大人として、その暴力を放置してはいけない・・・」
このことが、カウンターの活動の動機となっている。
これは、「社会人としての一般常識」とも、いえることではないだろうか。
日本人のこれまでの考え方に、大きな変更をせまるこの活動が、その動機のところにいかなる「高尚な思想」もふくまず、「ごくあたりまえな常識」から出発しているのである。
さらにカウンターでは、差別扇動する相手にたいし、「罵倒」することをもって良しとする。
このことは、カウンターを知らない人が、カウンターの活動を誤解する大きな理由ともなっている。
街角で、在特会とカウンターとがやり合っているのを見かけると、何も知らない人からは「ただケンカしている」ようにも見える。そうすると日本人の古くからの考え「ケンカ両成敗」により、「どちらも悪い」となりがちだ。
実際にカウンターは、現在でも多くの人から、
「もっとスマートに、冷静な言論のみで抗議することはできないのか」
との指摘をうける。
しかし冷静な言論が成り立つのは、相手も事実にもとずいた、冷静な言論をおこなう場合にかぎられる。
在特会は、主張は一から十まで「デマ」ばかり、しかもそれは、相手を傷つけるためにおこなう「暴力」だ。さらに在特会のメンバーは、そうして暴力をふるい、人を傷つけることを「楽しんで」すらいるのである。
そういう相手に必要なのは、「冷静な言論」ではないだろう。
必要なのは、相手に「二度と暴力はふるいたくない」と思わせるだけの、
「社会的な制裁」
だ。
そこでカウンターでは、その社会的制裁として、在特会のメンバーを一人ひとり「罵倒する」というわけなのだ。
このことも、「高尚な思想」などをふくまず、「社会常識」といえることではないかと思う。
カウンターの活動が、このように「社会常識」から出発していることにより、その思想は逆に、これまでの思想がもつ、「左翼」とか「右翼」とかいう区別を超越している。
カウンターは左翼でも右翼でもなく、「社会悪に対処するため」に、誰にとっても必要なことなのだ。
だからカウンターには、もともと左翼だった人もいれば、右翼だった人もいる。
ぼくのように、「ノンポリ」だった人も、加わるようになるのである。
さらにおなじ理由から、カウンターは「社会を変える大きな力」を秘めていると、ぼくには見える。
カウンターが活動を開始した2年前、ぼくと同様、日本人のほとんどは、「在特会」「ヘイトスピーチ」「カウンター」などの言葉を耳にしたことすらなかっただろう。
それが2年も経たないあいだに、すでに日本で、マスコミの評価もふくめ、
「在特会のヘイトスピーチは悪である」
とする共通の認識ができつつあるといえるのではないか。
カウンターの力だけではないにせよ、もしカウンターが活動をはじめなければ、いまのこのような状況は、やって来なかったと思えるのである。
在特会は、いまや安倍首相をはじめとして自民党政権の多くの幹部と、緊密な関係をむすんでいることもわかっている。
そう考えれば、このカウンターの活動は、単に「在特会」だけの話でなく、さらに今後の日本を考えるうえでも、重要な意味をもつとすら思うのだ。
カウンターは、一見わかりにくいところがあり、理解するための敷居は、デモなどにくらべるとちょっと高い。
でもカウンターに参加して、その活動内容にふれることは、ぼくとしては、
「絶対におすすめ」
なのである。
さてきのう、京都でのカウンターに参加するために、プラカードを作ることにした。
カウンターに参加して初めの1~2回、ぼくもカウンターのメンバーが在特会を罵倒するのに、少し違和感を感じていた。
しかし2回、3回と参加して、その意味がちょっとずつわかってくるにつれ、「自分でも罵倒したい」と思うようになってくる。
そうなると、「どうせなら自分の言葉で罵倒したい」わけである。
それでいろいろ考え、「相手をもっとも効果的に罵倒できる言葉」として、次のものを選んだ。
「なめんな!クソ馬鹿」
人を罵倒するには、長ったらしい理屈より、直接的なものがいいだろう。
また裏面は、前回のときとおなじ。
「差別に抗議しています。」
これは沿道の一般の人に見てもらい、理解をもとめるためである。
このプラカードをバッグに入れ、ブログ更新を終えてから、集合場所の円山公園へ出かけていった。
ぼくが円山公園に到着したのは午後2時ごろ。差別デモは3時からの予定で、在特会のメンバーはまだ到着していなかった。
しかしカウンターは、すでにかなりの人数が集まっていた。人数は、時間とともにふくれ上がり、在特会のメンバーが到着すると、いっせいに罵声をあびせかける。
人数は、在特会は50名ほど。それにたいしてカウンターは、総勢400名あまりという、京都のカウンターとしては最も多くがあつまって、在特会を圧倒した。
ぼくも声をかぎりに、在特会に罵声を投げつけた。
ぼくの声が、あまりにうるさかったからだろう、前にいたおまわりさんは、耳を抑えていた。
それからぼくは、在特会のデモ隊列の前に移動。
差別デモが公園から出るのを阻止するためだ。
莫大な人数が、前へ行き、警官から排除されると後ろにまわりとしながら、分厚い人の壁をつくる。
おかげで差別デモは、出発時刻が予定より30分も遅れてしまい、これは「カウンター史上初」だったそうだ。
差別デモが街へ出ると、ぼくはデモに並走、罵声を浴びせつづける役回りにくわわった。
カウンターが進もうとするのを警官が隊列を組んでおしとどめるから、それをすり抜け、先回りする必要がある。
差別デモは、現在「表現の自由」として、警官から守られる立場にある。
なのでカウンターは、警官の規制に抵抗しながら、抗議しないといけないのだ。
差別デモは祇園を出発、四条通を西へ行く。
四条河原町交差点「マルイ」前でも、莫大な人数のカウンターが待機していて、ぼくはそれを見て、ちょっと涙がでそうになった。
差別デモは四条河原町を右折、河原町通を北上する。
マルイ前での待機組もくわわって、カウンターの膨大な数の人の波が、歩道をデモにあわせて移動する。
差別デモは三条通を右折して、三条大橋の河原へむかう。ここで解散するようだ。
しかしカウンターが、橋の上や河原のまわりを取りかこむ。
在特会は、帰ろうにも帰れない。
在特会は仕方なく、鴨川を南下する。
しかし四条通もカウンターに取りかこまれ、ようやく仏光寺通まで南下して、やっと解散できたようだ。
京都市民の、「差別扇動は許さない」という意思が、400名のカウンターによりはっきりと示されたきのうのデモ。
在特会も、もう二度と、京都での差別デモなど計画しないでほしいところだ。
カウンターを終え、そのあとはカウンターの中心メンバーによるネットラジオ公開放送があったから、そこに参加。
さらにぼくは、そのあとの打ち上げにも参加して、カウンターの諸先輩方と話をすることができた。
地下鉄の終電で大宮へもどり、さらに「餃子の王将」。
ラーメンを食べ、家に帰った。
カウンターの中心メンバーの人たちが、持ち帰る機材などで手一杯だったから、ぼくも共有の「トラメガ」1台の持ち帰りを担当した。
この憧れのトラメガが、次回カウンターでは、ぼくの使い放題なのである。
1時ごろには寝たのだが、明け方に脚がつって、目が覚めた。
「脱水症状だから」と、脚がつる時いつもするように、水をコップに2杯飲んだが治らない。さらに水を2杯飲み、ようやく収まった。
考えてみたらあまり水も飲まずに走り続け、そのあと酒も飲んだから、ずいぶんな脱水症状だったのだろう。
何度か目は覚めたのだが、起き上がれずに、10時を過ぎてようやく起きだす。
叫びつづけで喉はガラガラ。さらに横隔膜は筋肉痛。
ようやく12時ちかくになって、ブログの更新をスタートした。
疲れたけれど、気分は決して悪くない。
「大人としての当然の責務」を、何とか果たすことができた。
それに、カウンターの「仲間」がいる。
カウンターに参加するたび、カウンターの人たちとの結びつきが、少しずつ強くなるのを感じるからだ。
「いい年なんだからムリしないでよ。」
そうだよな。
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