核爆弾にも匹敵する、世界に大きな影響を及ぼし得るネタを、ぼくは持っているのである。

チェブ夫 社会運動

 
日本に対する責任は、自分なりに果たすつもりだ。

チェブ夫

核爆弾にも匹敵する、世界に大きな影響を及ぼし得るネタを、ぼくは持っているのである。

 

 

きのうは京都でもデモがあったそうだ。大宮の知り合いでも、出かけた人もいたようだ。

安倍政権が進める政策は一から十まで気に入らなく、このまま行ったら、早晩日本は奈落の底に落ちることになるとは思っている。だから安倍政権が何をしているかについては、注意して見ているし、デモも応援する気持ちはある。

でもぼくは、政治的な行動についてはあまりやる気にならないのだ。

 

例えばここに、考えが足りなくて、問題を起こす人がいたとする。その人のことを思えば、きちんと話し合いをして理解してもらうのがいいだろう。

問題を起こすことは、本人にとっても良いことにならないのは言うまでもない。

でもそのとき、話し合いをするための労力と時間に目が向く。多くの場合、それを思うと面倒くさくなり、

「だったら縁を切ろう・・・」

そう思うことになるのである。

 

人と縁を切り、問題がないことは多い。あまり会わない人ならば、連絡を取らなければ済むし、たまに顔を合わせる人でも、透明人間になってもらうという手もある。

だいたい、全ての人と、万遍なくつき合うことなど出来るわけがないのだから、つき合いたい人とだけ、濃くつき合おうとするのは悪いことではないだろう。

 

でもそれでは済まない場合も、もちろんある。義理や責任もあるからだ。

 

たとえば息子が問題を起こすとなれば、やはり話をするだろう。前の会社も、義理はあるから、できるだけのことはした。

でも例えばそれで、こちらの話を謙虚に聞こうとするのでなく、批判を「攻撃」と受け止めて、権力などに訴えて報復をしてくることがある。

そう来るならば、こちらも「それまで」という話である。縁を切るまでのことだ。

 

安倍首相のことを思うと、人の話に耳を貸すとは思えない。世話になったはずの小泉首相が、言ってもダメだったわけだろう。

面識もないフリーライターの話を聞くわけがない。

「だったら行動を」となるのも分かる。たしかにデモが、何万人にも膨れ上がれば、多少は考えもするのかもしれない。

 

でもそのための手間と時間を考えると、やはり面倒くさくなるのである。

こちらも生活しないといけない。一銭の金にもならないことに、あまり時間を割くわけにもいかない。

 

ただしやはり、全く何もしないわけには行かないだろう。日本に対して、まだ果たしていない責任があると感じるからだ。

 

大なり小なり、今の日本のあり方には、それまでに日本で暮らしてきた人が関わりを持っている。立場によっても、関わりの濃さは変わるだろうが、べつに公的な立場になくても、長く暮らしてきた人は、短い人より自然、関わりは濃いだろう。

だからぼくには、51歳なりの責任が、日本に対してあるわけだ。その日本が、今「よくない」というのなら、やはり何かはしないといけない。

責任は、「果たした」と感じるまでは、果たさなければいけないのである。

 

それで今、自分なりにやり始めていることはある。自分が「仕事」とし得る範囲で、できそうなことがあるからだ。

それは自分の、仕事上での「夢」でもあり、もし「仕事しないでいい」という恵まれた立場にならない限り、「ぜひとも成し遂げたい」と思えることだ。

 

核爆弾にも匹敵する、世界に大きな影響を及ぼし得るネタを、ぼくは持っているのである。

しばらくは、粛々とそれに磨きをかけるまでのことなのだ。

 

「まあ自分なりにがんばってね。」

チェブ夫

ありがとよ。

 

 

 

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