ツイッターを相手に酒を飲み、また暴言を吐き散らした。
日本の組織の無責任体質は「つくづく嫌い」なのである。
家で酒を飲むときツイッターを相手にするのは実際の話気分がよく、おかげで酒が進んでしまうことになる。相手とは顔を合わせずにやり取りし、さらに発言の時間もリアルタイムではなくずれていて、束縛されるところが少ない、「ゆるい」感じがするのがいい。
酔いが回ってくるにつれ、「言いたい放題」になるのだが、ツイッターの場合、イヤならフォローを外すなり、ブロックしてもらうなりすればいい。現実世界の友達はフェイスブックでつないでいるから、ツイッターは気を遣うところが少ないのもいいわけだ。
酔っているから、どうしても本音が出ることになる。特にシラフのときには「言っても仕方がない」とフタをしている「嫌いなこと」を、ツイッターでは言いがちだ。
ぼくはあの安倍首相に代表される日本の「無責任体質」がつくづく嫌いで、あまりに嫌いすぎるから普段は考えないようにしているが、酒を飲むとやはり出てくる。きのうもだいぶ吠えまくっていた。
無責任体質はべつに安倍首相に限った話ではなく、上から下まで、日本の各所に見られることだ。本来は責任を自覚しないといけないはずが、「そんな堅いこと言うのはやめようや」となる。
たしかに「きまり」や「マナー」などによらず、おたがいが相手の心中を察し合うことにより、争いを避け、居心地のいい場を生み出すことは、日本の「美点」といえることだ。でもそれが、「国」や「会社」などの「組織」に持ち込まれるのは困るのだ。
組織は本来、きまりによって運営されるものだから、きまりを曖昧にされてしまうと、下の者がワリを食うのである。
仕事はすべて、「責任」によって成立している。たがいに契約した内容を責任をもって遂行するから、対価として報酬を手にできる。
組織になると、上に行くほど責任は重くなる。社長は会社の全業績に責任を負っている。
もちろんだからと言って、社長は従業員の不始末までを抱え込む必要はない。正当な理由があれば、従業員をクビにできる。
その前提として、本来なら、上司は部下に「指示」をしないといけないし、部下はその指示に従わなければならない。もしその「指示」が間違っていたために会社の業績が悪化したと株主などに判断されれば、社長のほうがクビになることもある。
以上が組織の「きまり」なわけだが、日本では往々にして、これが曖昧にされるだろう。「責任を取りたくない」からだ。
そこで上司は、部下にできるだけ「指示しない」ようにすることになる。
「部下が勝手にやったこと」なら、責任を取る必要はないからだ。
それで日本では、部下に指示なしで、「自発的」に働かせるための方法が、あれこれと発達していると言えるのではないだろうか。バブル崩壊以前には、それは「とにかく飲ませろ」だった気がする。
会社の金で飲食を共にして、上司と部下が人間関係を密にする。それにより、明確な指示がなくても部下が上司の意向を「察し」、自分で動くようになる。
でもバブル崩壊で景気が悪化し、会社も社員に飲ませる金をあまり使えなくなってきた。そこでそれに代わって登場したのが、「夢」とか「自己実現」とかではないのだろうか。
近年会社の社長が、そのような「夢」や「自己実現」の言葉を口にすることが増えているような気がするのである。
会社が夢や自己を実現するための場ではないのは、言うまでもない話だろう。会社はあくまで、指示にしたがい、その見返りに報酬を得る場である。
しかし社員が、会社が夢や自己を実現するための場であると「勘違い」してくれれば、社長にとっては「好都合」となる。
夢や自己を実現しようと思えば、人はいくらでも、自発的に働くだろう。
「勝手に」残業もしてくれるだろうし、会社としては手安く従業員をこき使えるわけである。
残業は、百歩譲って残業代が出るのなら、まだわからなくもないのだが、「サービス残業」となると「悪」としか考えられない。生活がすべて破壊されることとなる。
それを若い人が自発的にすることがあるとしたら、可哀相で仕方ない。
「不景気だから再就職できるかどうかもわからない」と思えば、会社を辞めるのもためらうだろう。
特に気を付けないといけないと思うのは、若い人を「抜擢」し、高い立場に据えることだ。
「店長」などになってしまうと、抜擢された方は「期待に応えたい」と思うだろうし、会社も「平社員ではないのだから残業は当り前」と言いやすい。
今は「ブラック企業」も多いらしい。
でもブラック企業は、従業員から「ブラック」と見られないよう変装をするものだから、だまされないよう、気を付けないといけないのである。
きのうは酒を飲みながら、そんなことを考えていたら、だんだん腹が立ってきた。
それでツイッターにまたしても、暴言を吐き散らしたわけである。
「いい加減にしておかないと嫌われるよ。」
そうだよな。
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