保険証が再び手に入ったら、とたんにまた、このあいだと同じ場所の歯茎が痛くなった。
しかし気合を入れたら痛みはすぐ引き、免疫諸君に頑張ってもらうためには「気合いが重要」であることが、改めて証明されたのである。
保険料が払えずに、6月から保険証がない生活がつづいていた。
保険証がないのだから、保険料は、べつに払えるときに払えばいいかと思っていたが、そういうわけではなかったようだ。区役所から呼び出しがかかった。
それできのうは、滞納している去年の保険料を分割で払う相談をし、保険証がふたたび交付された。
保険証がなくても意外に何とかなることは、先日の歯根の痛みで実証済みである。歯医者に駆け込むかわりに、体内の我が免疫諸君に気合を入れたら、たぶん歯医者へ行ってしまえば、治療に数ヶ月がかかるだろうというところ、3日で治った。
しかしもちろん、保険証は、ないよりはあった方がいいに違いない。
ありがたく受け取った。
ところが保険証が手に入ってみると、歯茎のこないだ痛かったのと同じ場所が、また痛み出したのだ。
菌は免疫諸君により、完全に退治されたわけではなく、まだ潜んでいたのだろう。それがまた、暴れ始めたというわけだ。
それはもちろん、そういうものだろうとは承知していた。菌はいても、大人しくしている分には構わないわけだから、飼い慣らし、何とか折り合いをつけていく覚悟である。
しかし菌は、なぜこの時期に、再び暴れ出したのだろう。神様は、
「保険証が手に入ったのだから、この際きちんと歯医者へ行け」
と、ぼくに告げているのだろうか。
歯医者へ行くべきかどうか、しばらくのあいだ、考えた。
考えた結果、ぼくが達した結論は、次の通りである。
「免疫諸君の気が緩んだにちがいない・・・」
これまでは、保険証がなかったから、免疫諸君も「ぼくたちが頑張らなければ」と気が張っていただろう。しかし保険証が手に入り、もういつでも歯医者へ行けるようになったのだから、「自分たちはお役御免だ」と思ってしまったのではないか。
しかしそれは、免疫諸君の勘違いであるのは、言うまでもないことだ。免疫の諸君には、ぼくが死ぬまで、頑張ってもらわないといけないだろう。
そこでぼくは、免疫諸君に、気合を入れ直すことにした。
リーダーに相応しい態度で、暴れる菌に、「なめるなよ!」と睨みを利かせた。
そうすると、ものの数時間で、痛みは引いた。免疫諸君も無事気合を入れなおし、頑張ってくれたようである。
ただしきのうは、酒を飲んでいたから、アルコールの作用で痛みが麻痺した可能性もあった。
でもきょうになっても痛みはないから、やはり免疫諸君に頑張ってもらうためには、「気合いが重要」であることが、改めて証明されたわけである。
「そのうち絶対ひどい目に遭うよ。」
そうだよな。
◎関連記事