先のことはわからないからこそ生きる価値があるのである。

チェブ夫 人生についての持論

 
相も変わらず不安定な生活を送っている。

チェブ夫

でも先のことはわからないからこそ、「生きる価値」があると思うのである。

 

 

会社を辞め、退職金で暮らしていたころ、

「もし金がいくらでもあるならば、うまい酒が飲めればそれでいい」

と思った。それまであれこれとやりたい事があるような気はしていたけれど、それは仕事しているから、仕事上でやりたいと思うのであり、もし仕事しないでいいのなら、それらも別に、無理にやらなくてもいい事だと気付いたのだ。

仕事はもちろん、大切なものだけれど、あくまでも「人生の一部」である。仕事するために人生があるのではなく、人生をよりよく送るために仕事がある。

自分はそれまで、その順番を間違えているところがあったと、会社を辞めてみて思ったのだ。

 

とはいえ仕事はしていかなくてはいけないわけで、ならば少しでも意義深いものにしたいとは思う。嫌々仕事するよりは、仕事を少しでも「やりたい」と思えることに近づける努力をしたほうが、精神衛生上いいだろう。

先日これまでテーマにしていたことを、このブログ上で展開して行けることに気がついて、それを少しでも仕事に近いものにしていけたらいいと思っている。勉強に時間を割かないといけないからで、それにはこのブログの広告を見てもらったり、品物を買ってもらったりすることによる収入が増えてくれるとありがたい。

でもそれは、ブログのアクセス数にもよるところが大きいから、地道にやっていくしかなく、並行してライターの仕事もしているわけだ。

 

ネットの広告会社が立ち上げるサイトのコラムを書く仕事なのだが、分野を問わずに対応でき、しかも書くのが早いことからわりと重宝してもらっている。記事の単価も始めたころは安かったが、今はそのころよりは多少、高くなってはいる。

不安定といえば不安定、金の苦労はしょっちゅうなのだが、でも不思議なことに、これまで本当に困ったことがない。「もうダメか」と思うこともあるのだが、そういうとき、「ポコリ」と金が入るのだ。

 

前の彼女とつき合いだし、何かと物入りになったちょうどそのころ、お世話になっている広告会社が「税金対策のため」といってかなりの額を前払いしてくれた。おかげで彼女と食事へ行ったりもそれほど不自由なくできた。

名古屋で友達の葬式があり、行かないといけなかったのにその金がなかったときも、やはり前日、臨時の金が入ってきた。絶版かと思っていた「おっさんひとり飯」が昨年末、突如として再販し、その印税で1月、2月はなんとかしのげた。

 

実は今月も、かなり苦しかったのである。そうしたら、以前お世話になっていた会社が、ポコリと臨時で、割のいい仕事をくれた。それからきのう、まったく知らない新規の会社が、「このブログを見て」とのことで仕事をくれて、それはこれから継続していきそうだ。

さらにきのう、お世話になっている広告会社が記事の単価を倍にアップしてくれた。仕事の手間も増えるのだが、ありがたいのは言うまでもない。

 

そうしてみると、

「ぼくには神様がついている」

としか、どう考えても思えない。神様が、ぼくを生き長らえさせ、何かをさせようとしているのだろうと思えるのである。

 

しかしおそらく、これは誰にとっても同じなのではないだろうか。

自営業・自由業が「不安定」という意味は、「先の保証がない」ことだろう。大きな会社に勤めていれば、一応は給料は、決まった額が、毎月振り込まれることになる。

でも金は、入るときには入るものだ。それが予定できないから不安にもなり、突如として入るから、「神様がついている」とも思ってしまうということだろう。

 

さらに言えば、今の時代、会社は大きいからといっても、いつ潰れるかわからない。またリストラも、今では当り前のことになった。

だから「先の保証」など、本当は誰にもないのだろう。それが自営業のように「露わにない」のか、会社員のように「一応はあるように見えるが実はない」のかの違いではないだろうか。

 

人間は、先の保証を求めたがる生き物だろう。特に金の不安は、「死」と直結するだけに、「恐怖」ともいえる感情を呼び醒ます。

しかしただ恐怖に駆られて行動するのは、「動物」とおなじだろう。人間なら、不安であればあるほど理性的に振るまうものだ。

 

先のことなど、本当は誰にもわからない。

しかしわからないからこそ、「生きる価値」があるのではないだろうか。

 

「わからな過ぎるのもどうかと思うよ。」

チェブ夫

そうだよな。

 

 

 

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