『フーリエの冒険』は「数学の世界に触れてみたい」という人にとっても少しがんばれば歯が立つと思うのである。

フーリエの冒険 高野の書籍

 
『フーリエの冒険』は、前職で学生といっしょに製作した。

フーリエの冒険

これは「数学の世界に触れてみたい」という人にとっても、少しがんばれば歯が立つのではないかと思うのである。

 

 

前職ではプライベートのミニカレッジで学生の指導をしていたこともあった。「ヒッポファミリークラブ」は語学とホームステイ交流の民間団体だが、そのミニカレッジ「トランスナショナルカレッジ・オブ・レックス」は、言語を人文科学的にではなく、自然科学的にとらえることを目指していた。

その一環として母音など言語音声をコンピュータを使って解析したりもし、そのために必要な数学「フーリエ変換」を、「それではこの際、学んでみようではないか」ということになった。

しかし試験もなしに学生を入学させるカレッジのこと、学生は全員が「数学が苦手」な人間ばかりである。

その人間が集まって、「どうやったら数学に取り組めるのか」の模索がはじまった。

 

はじめは大学のゼミなどでよくやるような、「輪講」をやってみた。微積分の本を一冊選び、第一章から順に学生の担当を決め、日程を割りふって、それぞれが章の内容を講義するやり方だ。

しかしこれは、すぐにうまく行かなくなった。第一章はともかくとして、二章、三章・・・と進むにつれ、内容が、前章の内容をふまえながら高度になっていく。

その内容を、自力で本を読み、把握できる学生はいなかったのである。

 

そこでしばらくは、本の内容を順に追うのでなく、つまみ食い式に、学生が興味をもった部分だけを講義してみるなどしていたのだが、あらためて、輪講をやってみようということになった。ただし一回で講義できるわけがないから、講義の前に2~3回、「練習」をすることにした。

一回目の練習では、もちろんのこと途中でわからなくなって沈没する。しかし沈没してみると、「自分が何がわからないのか」がハッキリわかることになる。

わからない人の多くは、「わからないことが、わからない」のだ。

ところがその「何がわからないか」が自分でわかりさえすれば、あとはそれは、本を読めば書いてあるのである。

 

それですべての学生が、数回の練習を経て、「本番」では見事な講義をした。「できない」と思っていた数学ができるようになるわけだから、学生の講義はどれも喜びに満ちている。

『フーリエの冒険』は、それら学生の講義を、担当した学生自らがまとめたものである。「記念」の意味で関係者に販売するつもりで作ったものを、「試しに」と本屋に置いたら爆発的に売れはじめた。

そこで学生総出で書店をまわり、直取引をしてもらい、一時は大手の書店は軒並み取り扱いをしてくれた。これまでに累計で20万部は出ているのではないかと思う。

 

高専や工業高校などで教科書として採用されたことも多く、さらに英訳され、アメリカなどの多くの大学やカレッジでも教科書採用されている。

フーリエ変換を実際に必要とする人にとっては役に立つことと思うが、必要としなくても、「数学の世界に触れてみたい」と思う人は、少しがんばれば歯が立つのではないだろうか。

 

初版は1988年の発行だが、最近になって装丁が新しくなったから、まだ売れているようだ。

以前は粗いドットのワープロ印字に手書きの絵や数式だったのだが、新装版ではそれも「美しく」なったそうである。

 

アマゾン、楽天などでも取り扱いがある。

 

「懐かしいね。」

フーリエの冒険とチェブ夫

ほんとにな。

 

 

 

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