デモをしないのはもったいないのである。(NON STOP KYOTO 2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」 )

NON STOP KYOTO 2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」 社会運動

お世話になっている喫茶店「PiPi」店主、マチコちゃんとその仲間たちが主催する「戦争反対」のデモに参加した。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

参加してみて、「デモをしないのはもったいない」と、つくづく思ったのである。

 

 

ぼくは選挙権を得てから、20代、30代と、基本的に政治には無関心で、選挙へも行かなかった。20代の頃はバブル絶頂期で、経済はうまく回っていたから、ぼくも自民党を支持していて、選挙の争点は「自民党のどの派閥を応援するか」というくらいなもので、どちみち自民党がやるのは決まっていたからだ。

30の頃バブルが崩壊し、そのあと小沢一郎主導のもと、細川政権が出来たけれども、ぼくは小沢があまり好きではなかったのでそれにもどうも関心が持てず、そのあと自民党がまた政権を取ってからも、「何だかなあ」とは思いながらも、そのままにしていた。

 

政治に初めてリアルに関心を持ったのは、40の頃、小泉内閣が誕生した時で、ぼくは「自民党をぶっ壊す!」と言う小泉氏を応援し、選挙でも、小泉氏が擁立する候補に投票した。

小泉氏が首相を降りると、第一次安倍内閣、福田康夫内閣、麻生内閣などが誕生し、また「何だかなあ」となったけれど、自民党を支持していた。

そのあたりの頃、ぼくは会社を辞めたのである。

 

会社を辞め、ひとりで仕事するようになってみると、自分が所属するのは、「京都市」、および「日本国」、この2つだけであることになった。会社に勤めていたころには、社内の様々な人間関係や社長の意向などなど、あれこれ考えを巡らしていたのだが、それが失くなってみると、目は自ずと日本国に向くことになる。

それで初めて、日本について、ネットを見たり、本を読んだりしながら考えてみるようになった。

 

そのころちょうど、これもまた再び小沢一郎主導のもと、政権交代の機運となり、ぼくも民主党候補に投票し、民主党政権が誕生した。

ところがこの民主党政権、初めて政権を担うのだから、仕方のないことだけれど、どうも足下がおぼつかない。鳩山首相がワケの解らないことになって辞め、菅首相が誕生し・・・、そして起こったのが、東日本大震災にともなう福島原発の事故だった。

 

震災で、何万人の人が亡くなったことにショックを受け、原発事故の経緯については、ちょうどまだ退職金でブラブラし、仕事をしていなかったこともあり、詳しく追いかけた。枝野官房長官の記者会見などについても、テレビはもちろん、テレビ中継されないものも、ネットの中継で見たりもした。

反原発についての本も、いくつか読んでみたりもしながら、はっきりと解ったことは、原発事故は、それまでの日本のエネルギー政策の歪みによって、起こったということだ。

原発事故の原因をきちんと究明することにより、責任を追求し、同時に利権を守ることにのみ汲々とする、政官財学の日本の中枢を解体して、再生可能エネルギーへの道を拓くことが、日本がこれから、向かうべき方向であると思われた。

 

ところがその後の展開は、そうはなっていないことは周知の通りだ。

野田内閣になってから、民主党はどういうわけか、「脱原発」を後退させ、さらに自民党が政権を奪い返し、安倍政権になってからは、原発事故のことなど忘れてしまったかのように、原発再稼働に邁進し、おまけに原発を輸出しようと、安倍首相が自ら他国へ売り込んだりまでしているのである。

 

ぼくはその流れを食い止めるため、選挙に期待した。

長年にわたって原発事故の土壌を作ってきた自民党に、絶対に政権を取らせてはならないと思ったが、それはならず、2年前の2回めの選挙のときも、脱原発を掲げる候補を応援したが、それも叶わず、「最後の望み」と思った昨年の都知事選でも、けっきょく自民党が勝った。

流れに乗る自民党は、秘密保護法を強行採決し、独裁色を強めてくる。

そしてついに、集団的自衛権を閣議決定するという、信じられないことが起こった。

 

日本のすべての法律の、大元にある憲法を、ああして日本国の首相がいともたやすく無視することは、ちょうどブラック企業の社長が労働法を無視するのと同じ、「悪徳」と言い切っていいことだろう。

ぼくは、これは絶対に、許してはいけないと思った。

あとに続く世代のためにも、この流れを少しでも食い止めるため、具体的な行動をしていかないといけないと、心に決めた。

 

ちょうどそのころ、お世話になっている喫茶店「PiPi」店主、マチコちゃんとその仲間たちが、デモへ出かける光景を目にするようになったのだ。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

お揃いのTシャツなどを着て、何だか楽しそうである。

 

デモについては、ぼくは初め、意味がよく解らなかった。原発事故のすぐ後に、大阪で行われた脱原発デモへ行ったことがあるのだが、主張を口にし、街を練り歩くだけで、「何が変えられるのだろう」と思った。

もっと何か直接的な、効果的な方法があるのではないだろうか・・・?

集団的自衛権閣議決定のすぐあとに、新宿で行われた焼身自殺などはおそらく、自殺した当人は、ぼくと同じ気持だったのではないかと思っている。

 

しかしそれから、自分が何をすべきか知るために、あれこれと勉強しながら、

「民主主義は、選挙だけでは守れない」

ことを知った。ロシアなど多くの独裁国も、普通選挙が行われていることは多いそうだ。

独裁国では、マスコミも協力しながら、圧倒的な量の政権に有利な情報が、発信されることになる。国民がそれを鵜呑みにすれば、独裁を防ぐのはむずかしい。

 

民主主義が正常に機能するには、「主権者」である国民自身が、得た情報をたがいに議論し、判断していくことがまず必要で、それは選挙の「前提」とされている。

そのために、「言論の自由」、「集会の自由」などが憲法で保証されているわけで、デモもそうした、国民同士が議論する方法の一つとされているのである。

 

ぼくはこれまで、民主主義について、あまりに無知だったと言えるだろう。

空気のように、あるのが当り前の民主主義だが、それを機能させ、守るためには、どう効果があるのかもよく解らなくて、まどろっこしいようにも見える、国民の地道な努力が必要だったのだ。

 

それがようやく解ったころ、今度はマチコちゃんが、

「自らデモを主催する」

ということになった。

それがきのう、行われ、まさに「渡りに船」で、ぼくも参加したというわけだ。

 

当日、ぼくは「晴れ男」を担当した。

直前まで降っていた雨も、デモが開始されるころには止み、デモの間は、何とか大降りにならずに済んだ。

 

集合場所は、京都市役所前。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

ぼくは、とりあえずビールである。

 

太鼓を持参している人もいる。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

「サウンドデモ」で、打楽器を鳴らしながら、「せんそう、はんたい!いっしょに歩こう!」を口にすることになっている。

 

ぼくはプラカードを持参しなかったのだが、マチコちゃんたちが事前に作ってくれていたのを渡された。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

「いわゆるデモ」という感じでない、可愛らしいところがいい。

 

マチコちゃんは、取材を受けている。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

KBS、京都新聞、IWJなどからの取材があり、当日の模様はKBSのニュースに流れ、IWJでは生中継されていた。

 

主催者挨拶。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

カンパをすると、ステッカーをくれるようになっている。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

いよいよ出発。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

人数は、出発時には200人くらいだったが、練り歩いているうちに飛び入りの参加もあり、終いには300人くらいになっていた。

 

御池通から、河原町通へ、交差点を右折する。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

右折する間は、警官によって交通が封鎖される。

 

警官が交通を規制しながら、車道の一番端の車線を歩く。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

こんなこと、そうできることでもないから、なかなか気分がいい。

 

デモ隊は、「サウンドカー」に先導されている。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

ちょうど「よさこい」みたいな感じで、ラップだの、レゲエだの、今どきのカッコイイ音楽が次々と流される。

 

サンドカーの後ろの人達は、「コール」はしなくていいことになっている。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

みんな音楽に合わせて体を動かし、パレードのような感じで歩いている。

 

ぼくも主に、サウンドカーの後ろにいた。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

しかしぼくの場合は、あまり体は動かさず、手にビール。

 

「戦争に反対します」の横断幕。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

太鼓を打ち鳴らす人たち。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

子連れでの参加もあった。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

サウンドカーでは、音楽だけでなく、主催者によるアナウンスも常時行われている。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

沿道の人でも、これに耳を傾ける人は多かった。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

河原町通から、四条通へ右折。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

新京極で、Uターン。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

マチコちゃんはじめスタッフの人たちは、前に後ろに移動しながら、列がきちんと保たれるように苦心している。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

帰りは、四条通から河原町通をもどり、三条通を右折。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

三条通を真っすぐ行って・・・、

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

三条大橋のたもとでデモは終了。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

主催者の挨拶と、これから行われるデモのインフォメーションがあり・・・、

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

デモ隊は解散となった。

 

解散時には、ドリンクが配られた。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

これは広島に住む、ぼくのブログ読者の人が、「ぜひ応援したいから」と送ってくれたものだ。

 

当日6時にKBSで放映された、デモについてのニュース映像。

 

沿道で、デモを見かけた人の評判も上々だったようだ。

などなど、以上は「京都 デモ」「河原町 デモ」などでツイッター検索して見つけたもののよう。

 

デモのあとは打ち上げ。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

マチコちゃんによる、シメの挨拶。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

さらに「PiPi」に流れて、2次会。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 

ぼくはしっかり、参加者のギャルと仲良くなった。

NON STOP KYOTO  2014.09.06 「NO WAR サウンドデモ」

 
 

今回のサウンドデモ、マチコちゃんは、

「政治だからといって他のことと区別するのでなく、自分が仲間と飲んだり、遊んだりするのと同列に、政治のことも話せるようになったらいい」

と思い、主催を決意したと言っていた。

マチコちゃん初め主催者は、平日は普通に仕事もあるのだから、準備も大変だったと思うけれど、その甲斐あって、初参加の人も少なくなく、トゲトゲしいところのない、和気あいあいとした、実に居心地のいいデモとなった。

ぼくはいつもの通り、ビールを飲みながらの参加としたが、文句を言われることも特別なかった。

マチコちゃんは、今度は12月に、消費増税反対のデモをまたやるというから、それにもぜひ参加したい。

 

今回デモに参加してみて、ぼくが一番強く感じたことは、

「デモは国民の権利だ」

ということだ。

警官が先導し、デモ隊が交差点を通る際には、交通が規制される。

京都でああして交通が規制されるのは、祇園祭とマラソンと、そしてデモくらいなものではないだろうか。

警官は、デモ隊を守る立場にあるわけで、そうして国家に守られながら、考えを主張することができることに、ぼくは正直、感動を覚えた。

 

マチコちゃんも仲間たちも、これまで反ヘイトスピーチの活動に参加したりはしてきたそうだが、別にプロの活動家などではもちろんなく、ごく普通の一般人だ。それが2ヶ月ほどの準備期間で、初めて主催したデモが、様々な人の協力があったこととは思うけれども、これだけ立派にできるわけだ。

デモ開催の敷居は、ぼくがこれまで思っていたより、相当低いということだろう。

そう考えると、「デモ開催」という国民の当然の権利を、行使せずにいることは、「もったいない」とすら言えることだと、ぼくは思った。

 

「何かしなくちゃ」と思いながら、何をしたらいいかが解らない、かつてのぼくと同じような人も、おそらくたくさんいるだろう。

そういう人は、デモに参加し、またデモを主催してみることは、とてもオススメだと思う。

 

「いい経験させてもらったね。」

チェブ夫

ほんとにな。

 

 

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