10月25日(日)、京都で行われた在特会によるヘイトデモの、カウンターに参加した。デモ参加者が36名のところ、300人を超える市民が集まり、レイシストを罵倒した。
おれがレイシスト(人種差別主義者)へのカウンターに参加するようになったのは、まだたかだか1年ほど。現在のような形でのカウンターが始まったのは、2年半ほど前のことだそうだ。なのでおれは、どちらかといえば新参者の部類に属する。
その前は、デモに参加したことが2回ほど。カウンターはおれにとって、ほぼ初めての市民運動体験といえる。
元々は完全にノンポリで、政治のことなど考えたことがなかったおれが、初めてデモに参加したのは原発事故のわりとすぐあと。原発事故後の政府の対応になんらかの抗議の意を示さなければいけないと思った。
でもその時は、デモの雰囲気になじめなかった。
まずノボリを持った、古手の活動家らしき人がたくさんいた。当時おれは、「活動家」にたいしてアレルギーがあった。
そのデモは「サウンドデモ」と呼ばれる、先導するトラックに音響機材が積み込まれ、そこから流される大音量の音楽に合わせてコールをする、わりと新しいスタイルだった。だから活動家以外の一般市民らしき人の参加も多かった。
でもその一般市民らしき人たちの中にも、たとえば放射能防護服を着た人やら、ジョンレノンの「イマジン」やらをラジカセで流す人やら、なんだか「これ見よがし」と思えることをする人が多かった。
長年サラリーマンだったおれからみると、「肌が合わない人ばかりだ」と思え、それからは、デモには近づかないようになった。
2回めに参加したデモは、それから2年ほどの時間が空いた、去年の6月。京都・大宮の飲み屋街で知り合った、知人の誘いで参加した。
集団的自衛権の閣議決定がおこなわれ、
「おれもほんとに、何かしないとヤバイ」
と、いよいよ思ったということが参加の大きな理由だった。
そのデモの打ち上げで、カウンターにも参加する人たちと、多く顔見知りになった。
彼らのツイッターを見るうちに、9月に京都で在特会のヘイト街宣にたいするカウンターが行われることを知り、それに参加してみる気になった。
カウンターに参加して、そのあとの打ち上げにも顔を出し、色々な人と話をした。
そして、カウンターに参加する人やその活動の雰囲気が、2年前に参加したデモとは大きく違うことを感じた。
何より、その考え方が分かりやすいとおれには思えた。行動する目的がはっきりし、それをもっとも効果的に達成するための手段が考え抜かれているようだ。
カウンターを行うのは、ヘイトスピーチ(人種差別扇動)が深刻な被害を生み出すからだ。ヘイトスピーチは「言葉による集団リンチ」と言ってもおかしくないもので、被差別者を深く傷つけ、大きな心の傷を残す。
その被害を少しでも減らすためには、まずはヘイトスピーチを行う者に、それをやめる気にさせること。
暴漢が婦女暴行をおこなう現場に遭遇したら、まともな大人なら、まずは大声で「やめろクズ」と怒鳴り、さらにはそれをやめさせるため、実際に止めに入って、場合によっては暴漢を一発くらい殴るだろう。
それは「正当防衛」だ。
カウンターも、言論で同じことをする。決して殴りこそはしないが、レイシストを罵倒して、徹底的に叱り飛ばす。
それによって実際に、2年半前にカウンターが始まってからヘイト街宣・デモへの参加者は激減し、数百人が集まるのがふつうだったのが、いまでは多くても数十人になっている。
また同時に、沿道を通る一般市民にたいする周知も徹底される。
街角にはカウンターの趣旨を示すダンマクが張られる。
内容をくわしく書いたチラシの配布もおこなわれる。
それにより、一般の人に、なぜカウンターがこのようなこのようなことをするのか、理解してもらおうとする。
カウンターは、これら「目的」と「効果」にたいして非常にストイックに活動し、そこから外れるものは、できる限り排除していっているように見える。
たとえばカウンター参加者が、罵倒に女性差別や他のマイノリティー差別を含んでいたり、意味のない仮装をしたり楽器を打ち鳴らすなどすれば、それは誰かに指摘される。
それにより、カウンターはその活動が、傍目からみて、スッキリと分かりやすいようになっていると思うのだ。
カウンターの参加者が、この3年足らずのあいだに急増したのは、この「分かりやすさ」が大きいのではないかと思う。
3年前に始まった当初は数十人にも満たなかったものが、今では数百人が集まることも珍しくないようになり、ヘイトデモの参加者と完全に逆転しているわけだし、おれがちょくちょくカウンターに顔を出すのも、この分かりやすさが居心地がいいからだ。
しかしこのような活動のスタイルは、一朝一夕にできたものではないようだ。文献や映画などを見ると、10年くらい前から、組織動員によらない新しい市民活動スタイルの模索が始まり、それが原発事故以降、さまざまデモや官邸前での抗議を通じ、試行錯誤しながら徐々に発展してきたらしい。
この夏に「SEALDs」が登場し、その分かりやすさに目を奪われた人も多いと思う。
SEALDsの中心メンバーは、この新しい活動スタイルを模索する現場にも参加していたそうだ。だからSEALDsのスタイルは、まさにその模索の延長に、花開いたものなのだと思う。
おれは、その試行錯誤に加われなかったことを、ちょっと残念に思っている。新しい物がまさに生み出されていくその現場は、ハンパない苦労の連続だったことは言うまでもないにせよ、どんなにエキサイティングなものだったことか。
でももちろん、その試行錯誤は終わったわけではもちろんなく、「これからが本番」であるわけだから、おれはおれで、それにできる範囲で、関わっていくだけだ。
さてきのうは、在特会が集合する予定時間の1時間前に、集合場所である円山公園へ行くと、すでに大勢の警官がいた。
レイシストとカウンターを分離するため、鉄柵も用意されている。
ヘイトスピーチが世界的には「犯罪」とされていて、日本もまだ法律は未整備とはいえ、人種差別撤廃条約に加盟していることを考えれば、ヘイトデモが街を堂々と行進することのほうが異常だということを、警察はもうちょっとちゃんと認識してほしい。
実際に国連の人権委員会からも、日本の警察の過剰警備は、何度も指摘されている。
でも路上で警察とあまり戦っても、ただ逮捕されるだけで、勝ち目はない。だからカウンターは、警察にたいし、言うべきことはきちんと言うが、そこにあまりこだわり過ぎないようにしているようだ。
レイシストが集まり始めると、もうその時点で100名は超えるカウンターが、「レイシスト帰れ!」などと猛烈に罵倒をはじめる。
最近ではトラメガを持つカウンター参加者も増えたようで、罵倒の音量はハンパない。
四条大橋を通り過ぎるレイシスト。
京都の街に、醜いレイシストほど似合わないものはない。
レイシストの演説は、カウンターの大音量での罵倒により、かなり聞こえなくなっている。
それでもまったく聞こえなくすることはできないわけで、実際に街角で、それを耳にした被差別者の女性などが「泣いていた」という報告が、ツイッターなどでいくつもあった。
ヘイトスピーチは、それを街に出してしまった時点で、カウンターにとっては「負け」だ。
だからヘイトデモがスタートすれば、あとはカウンターにとっては、その負けをいかに小さくするかしかなくなるのだ。
御池通を行くレイシストを、300人のカウンターが追走する。
#1025京都ヘイトデモを許すな pic.twitter.com/l3a8F93Z3n
— 高野 俊一 (@shunichitakano) October 25, 2015
ヘイトデモは、烏丸御池駅で終了。レイシストは警察に守られながら、帰り支度をして電車に乗った。
レイシストが帰ったのを確認し、カウンターも解散した。
カウンターが終わったら、顔見知り何人かと慰労会。
京都駅近くの中華料理屋「中華美食店 中光園」へ行ったのだが、ここはよかった。
何しろ、冷奴、
バンバンジー、
それに餃子、
がついた「生ビールセット」が、980円。
ビールを1杯おかわりしても1,500円という激安価格で、味もよかった。
さらに、飲み助はもう1軒。
おれはそのあと、さらにラーメンを食べて帰宅した。
カウンターは、肉体的にも精神的にも、とても疲れる。
でも、それに見合う意義と効果が、たしかにあるものだと思う。
◎参考リンク
● 秋山理央さんによる動画「2015.10.25京都ヘイトデモへのカウンター」(10分7秒)
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