毎日鍋なのである。もうこのまま冬のあいだは、鍋しか食べなくなる気すらしている。
温まることこの上ないのは言うまでもない話だし、鍋は、考えるのもおもしろい。
「鍋」という限られた空間に、世界を描ききるのである。
限られているからこそ、逆に無限の可能性をはらむのは、「俳句」などを代表とする日本の文化でなじみのことだ。
それできのうは、「一鍋入魂」、もう鍋だけを作ることにした。
鍋をメニューの一部ではなく、「食事のすべて」ととらえることは、おのずと覚悟がちがってくる。それでこそ、「鍋道」が拓けてくるというものだ。
作ることにしたのは、キムチ鍋。
味が決まりやすく、肉にも魚にも合うキムチ鍋は、すでに日本の鍋としてすっかり定着したといえるだろう。
キムチ鍋は、しょうゆでもみそでも、和風のだしにキムチを入れれば、もうそれで十分おいしい。日本の食文化に導入しやすく、でありながら全くちがった風情になるのも、キムチ鍋が人気のゆえんにちがいない。
ただし、韓国ではこのキムチ鍋、全くちがった作り方をする。
以前ソウルの、「65歳ベテラン主婦」の家に泊めてもらったことがある。腕によりをかけたごちそうが並んだのは言うまでもない話だが、そのなかにキムチ鍋があった。
すでに料理に興味をもっていたから、作り方をよく見せてもらったのだが、材料はキムチと豚肉、それに豆腐のみ。味付けも塩だけだった。
韓国では、「キムチを使ったもっとも簡単な料理」として、キムチだけを水で煮て、ご飯にかける「キムチクッパ」があるそうだ。
「キムチがおいしくなければおいしくない」とのことだったけれど、韓国では、キムチはたんに「漬物」ではなく、「だし」でもあり「具材」でもあり「調味料」でもあるという、かなり広いものなのだろう。
それを存分に味わうためには、キムチ鍋も、具材や調味料は「最小限」がいいということなのだと思う。
それできのうも、それにならってキムチ鍋を作ろうと思わったわけだが、いかんせん、日本には韓国で売っているほどおいしいキムチはなかなか手に入らない。
韓国食材店へ行けば、スーパーで売っているよりはおいしいものがあるけれど、何より「ニンニクの量」が、韓国のキムチと日本のキムチとでは「桁ちがい」と思えるくらいにちがう。
ニンニクは、料理のうまみを増すのに大きな役割を果たすから、韓国と全くおなじやり方で、日本のキムチを使い、キムチ鍋を作ってしまえば、味が足りなくなると予想される。
ましてやきのう使ったキムチは、スーパーで買った350グラム298円のもの。
そこで最低限「だし」は使い、もし味が足りなければ、さらに酒やしょうゆを加えるつもりで作りはじめた。
鍋にゴマ油少々を引き、食べやすい大きさに切った豚ばらスライス肉200グラムを平たくならべる。
その上に、肉と同量、200グラムのキムチを敷きつめ、キムチの汁も十分かけて10分くらいおく。
これは泊めてもらった韓国の主婦直伝で、肉に下味をつけるのだ。
それからさらにフタをして、弱火にかけ、途中で一度くらい混ぜながら、10分ほど蒸し焼きにする。
これはさらに肉に味をしみ込ませること、およびキムチをやわらかくすることの、2つの意味があると思う。
キムチの下処理をしているあいだに、だしを取る。
水は3カップ半、ミニパック3袋分の削りぶしを入れ、弱火で5分ほど煮出す。
このだしを、削りぶしはザルで漉しとり、蒸し焼きにした鍋に加えて、弱火で30分ほど、コトコト煮込む。
キムチは徹底的に、トロトロにするのである。
煮込んだところで味を見る。
これが十分、うまかったのである。
スーパーの安いキムチだったが、やはり手をかけ、ていねいに作ればおいしいものだ。
そこで塩だけ、入れることにした。
塩は、このあと豆腐を入れるから、豆腐から水が出るのに備え、少しキツめにしておくのがコツである。
本当は味をみる時点では、ニラやもやしなどの具も入れようと思っていた。
でもここまでうまければ、あまりゴテゴテ具は入れないで、シンプルにした方がいい。
塩を入れたら、豆腐を煮る。
弱火で10分くらい煮れば、出来上がり。
あとはテーブルのコンロで、鍋を温めながら食べる。
キムチと豚肉、それに豆腐のトリオは、ほんとうに最強だ。
最後のシメは、やはり雑炊。
ご飯は「サトウのごはん」的なものを使えば手軽である。
本当は卵も入れたかったが、切らしていたからあきらめた。
鍋のうまみをすべて吸い込んだご飯。
「たまらない」のひとことだ。
酒は、熱燗。
韓国の料理には、焼酎よりも日本酒のほうが合うと思う。
「凝り性だよね。」
そうなんだよな。