昨日はツイッターで見た人の真似をして、「豚肉の湯豆腐」にした。
これを肴に酒を飲みながら、「マナーとして書き下せないところに奥深さがある」と思い至ったのである。
ツイッターには自分が作った料理の写真を投稿している人も多く、ぼくも参考になることが多い。
昨日は「豚肉の湯豆腐」をアップしている人がいて、ドンピシャに「食べたい」と思ったので、それを晩飯にすることにしたのである。
湯豆腐のやり方として、「昆布だしで豆腐を温め、味ポン酢などのタレで食べる」のと、「だしに味まで付けてしまう」のと2通りがあるわけだ。
どちらにもそれぞれ良さがあり、どうしようかかなり迷ったのだけれど、豆腐に味がしっかりとしみたのを楽しみたかったから、だしに味つけすることにした。
またこの味を、みりんを入れて甘みをつけるかどうかもかなり迷った。
豚肉なら、甘みがあっても悪くないところなのだが、昨日はシンプルに、しょうゆと塩だけにした。
鍋に4カップ半の水、だし昆布の切れっ端とかつお節のミニパック4袋をいれて中火にかけ、煮立ってきたら弱火にして、アクを取りながら4~5分煮る。
昆布がびろんと伸びたらザルで濾し、酒大さじ4、うすくち醤油大さじ2、塩少々で味つけする。
それから豚コマ肉も湯通ししておく。
沸騰させ、火を止めた水でシャブシャブすると、アクが全て抜けるのである。
さらにサイドディッシュも用意しておく。
湯豆腐はゆっくり煮るから、煮ているあいだに摘めるものが必要なのだ。
大根とニンジンの酢の物。
大根とニンジンを細く切り、一つまみの塩で揉んで10分くらい置き、水で洗って水気をふき取り、細く切ったちくわと一緒に酢大さじ1、砂糖小さじ1、塩少々で和える。
大根の皮や茎、だし殻昆布とかつお節のじゃこ炒め。
細く刻んだ皮やだし殻をゴマ油とちりめんじゃこでじっくり炒め、酒とうすくち醤油で味をつけ、汁気が飛ぶまでさらに炒める。
あとは一昨日のイカワタ味噌炒めなのである。
ここからあとは、卓上でやる。
サイドディッシュを摘みながら、豚肉と豆腐をゆっくり煮る。
ここで火加減を、「ほとんど沸騰しない」くらいに小さくするのがポイントだ。
沸騰させると豚肉はかたくなり、豆腐にもスが入る。
青みには、冷蔵庫に入っていた春菊を使った。
春菊はあっという間に火が通るから、食べる直前に、食べる分だけ、入れるようにするのがいい。
器によそって食べるわけだ。
プリプリの豚肉と、味がしっかりとしみた豆腐は「たまらない」のである。
酒はぬる燗。
昨日はこれを飲みながら、
「マナーとして書き下せないところに奥深さがある」
と、ぼくは思い至ったのだった。
さて昨日は晩酌の最中に、チェブ夫と「マナー」の話になったのである。
ぼくがカフェの席で電話をし、それを「注意された」と書いたら、
「そもそもカフェの席で電話するのがマナー違反だ」
と何人かの人から指摘を受けた。
しかしこれは、マナーが「全国共通だ」と考えるところに誤解がある。
東京のカフェなどだったらマナー違反になるのかもしれないけれど、ぼくが毎日通っているカフェでは、マナー違反にはならないのだ。
ぼくはこれまで長い期間にわたって、カフェのお客さんを観察した。
その結果、老若男女すべての人が、私用・仕事にかかわらず、電話は席で座ってしている。
電話をするため席を外す人など、一人たりとも見たことがないし、電話している人が注意されているのを見たことも、ぼくの例を除いては一度もない。
このことが意味するのは、
「このカフェでは、席で電話をすることがマナーに適っている」
ということである。
ただもちろん、それを「迷惑」と思う人がいた場合、それに配慮する必要があるのは言うまでもないことだ。
ぼくも注意を受けた時には、席を外してトイレのところで電話した。
マナーは「人に不快な思いをさせないため」にあるものだ。
「何を不快に思うか」の価値観は、地域や場所で違ってくるものだろうから、それに応じてそれぞれで、マナーも異なることになる。
「マナーとして本来はこうだけれど、ローカルにはそれが守られていないこともある」ということではない。
マナーに「本来」はないのである。
ところでこの「マナー」だが、この言葉が英語であることから分かる通り、元々は西洋の考え方だろう。
日本語では、「行儀・作法」などと訳されているようだ。
「食事のマナー」などという場合には、それを「作法」と置き換えることには大きな問題はないように思える。
でも「バーのマナー」などになると、日本には、「マナー」としては括れない、違った文化が存在すると思うのだ。
東京にいた頃、行きつけにしていたバーのマスターに、ある「マナー」を教わったことがある。
「カウンターで隣合わせた見ず知らずのお客さんには、勝手に話しかけてはいけない」
というものだ。
お客さんの中には一人で静かに飲んでいたい人もいる。
その邪魔をしないよう、マスターやバーテンが「この人とは話していい」と判断し、お互いを紹介して橋渡しするまでは、話しかけてはいけないというわけなのだ。
このマナーが東京でどの程度一般的なものなのか、ぼくはよく分からないのだけれど、少なくともぼくは、バーではこのマナーを守っていた。
多くの場合、しばらく黙って待っていれば、マスターやバーテンが話し相手を紹介してくれたものである。
ところがぼくは京都へ来て、京都のバーでは、このマナーが通用しないことを知った。
お客さんは多くの店で、バーテンの紹介などなく、お客さん同士で勝手に話すのだ。
ぼくはこれに、2~3年のあいだ慣れることができなかった。
「話しかけていい」のは分かるが、どうやって話しかけたらいいのかがまず分からない。
さらに勇気を振りしぼって話してみても、無視されたり、つれない素振りをされたりすることも少なくない。
マスターに聞いても、「マナーなどとくべつ決まったことはない」と言うし、どうしたらいいものか、ホトホト困り果てたのだ。
しかしそのうち、だんだん分かってきたことがある。
京都のバーでは、お客さんは「空気」を読みながら話しているのだ。
たとえば「一人で飲みたい」と思っているお客さんがいたとしたら、空気を読み、気持ちを察して、「話しかけないようにする」のである。
また話す「話題」も、やはり空気を読みながら、相手が喜んだり、場が盛り上がったりしそうなものをうまいこと選んでいく。
この「空気を読む」ということは、「マナー」のように一般的な形に書き下すのは難しいだろう。
「どういう時に話しかけてよく、どういう時にはいけないか」などを書き下そうと思ったら、複雑すぎて、誰も実行できないものになってしまうのではないか。
でも一般的な形にはならなくても、人間なら、たしかに空気を「読む」ことができる。
ぼくもだんだんと、初めは存在すら気づかなかったバーの空気を、感じ、読めるようになりつつある。
そうしてみると、京都の礼儀作法には、「表立っては言われない」ものが多いのに気づくようになってきた。
例えば京都では、誰かに褒められた場合には、
「お礼を言って謙遜し、さらに褒め返す」
ことを誰もがする。
褒め返さないことは「非礼に当たる」とすら言えるのではないかと思うのだが、といってしなくても、誰に咎められることもない。
知り合いの京都の人は、
「その人が褒め返さなくても何も言わず、『あ、この人は分かっていないんだ』と心のなかで笑うんですよ。京都人っていやらしいですよね」
と言っていた。
でももしこのことが、マナーのように、
「褒められたら褒め返すこと」
となっていたら、ただ堅苦しいだけではないか。
「相手を喜ばせよう」と思って褒め返すからこそ、それにより、人間関係が深まっていくことがあるように思うのだ。
さらにぼくは、「関西流のおかしい話」も、このことの延長線にあると思える。
たとえばバーのカウンターで隣の人に、
「そのジャイアントコーン、ぼくにも一つちょうだい」
などと頼んだ時、ジャイアントコーンではなく、ビスタチオが手渡されたりすることがある。
これは何も意地悪されているのではなく、「ネタ振り」なのだ。
そこで、
「そうそう、最近のジャイアントコーンって、殻が付くようになったんですよね」
とでも言ってボケながら、それを素直に食べる素振りを見せ、
「なんでやねん」
とつっこめば、みんな「アハハ」と笑えることになる。
ぼくはいまだに、まずこのネタ振りに気づくことがなかなかできず、したがってボケることもできないのだが、これも関西流の礼儀作法の一種ではないかという気がぼくはするのだ。
「褒め返す」のと同じように、「相手を喜ばせよう」とする気持ちが生み出す一つの形ではないかと思うのだが、もちろんこれもマナーとは異なり、できなくても咎められることはないのである。
このように日本には、西洋式なら「マナー」の領域であるところを、独特の、違ったやり方で処理していく文化がある。
以上は「京都」「関西」の例なのだが、土地によって様々の異なったやり方があるだろう。
ところがマナーに、「本来」のもの、「全国共通」のものがあると思ってしまうと、ついつい、自分たちの文化を「その地方ローカルのつまらないこと」と捉えてしまいがちになるのではないだろうか。
でもぼくはそうではなく、自分たちの文化を大事にし、それを積極的に推し進めていくことが、逆に広い世界を見つけることにつながるのではないかと思うのだ。
・・・という話を、ぼくは昨日、チェブ夫に語ったわけなのだ。
しかしチェブ夫は、ぼくの長話に退屈してしまったようで、気づいたらぼくの隣で、スヤスヤと寝てしまっていたのである。
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コメント
公共の場で携帯OKの国の方が多いような気がします。勿論会話がOKな場所って前提ですが。
ややこしい口火を切ったので最後まで意見を。
カフェでの電話はマナー違反ではなくモラルに反するのでは?という事。
明確な規定がないからルール違反ではなく、他人を想いやる気持ちと行動が大事だということ。それがモラル。
そこに東京も京都も電車も居酒屋もない。
「ここではみんなしてるから」だと少し考えかたが?です。
間違いなくまわりの何十%の人は不愉快に思っています。
あとはそれを注意するかどうかだけです。
ぼくはそのような空間では電話しないし、友人にもさせない。
でも京都のタリーズってそれが普通?
なんかガッカリ。
そんなことないんじゃない?
人には色んな感じ方があるってことですね。
高野さんこんばんは
タバコ問題でも十二分に配慮してくださる高野さんですから、喫茶店で、他人の迷惑になるような携帯電話の使い方をされる訳ないと考えていました。まさにマナーとは一様でなく、場所や時間によって変化するのでしょうね。注意した60代男性は「注意している自分」に酔っておられたのかもしれません。
同じような光景を見たことがあります。車内に3人しか乗車していない新幹線車内で身なりの良い紳士A(70代か80代)が耳が遠いためか大声で携帯電話での通話をはじめました。するともう一人の男性B(70代くらい)が大声で「デッキに行け馬鹿」と怒鳴ったのです。するとAは電話を切って言い返します。殴り合いにはなりませんでしたが、高齢男性同士の激しい言い争いに、車内でくつろいでいた私は目が覚めました。
同じく新幹線で幼児が泣き叫んでいる事がありました。私は車内で仕事をしようと考えていたのですが、それどころではありません。車掌に言って車両を変えてもらいましたが、時間の無駄は下車駅まで取り戻せませんでした。泣き声は携帯電話以上迷惑なのに、本人(保護者)にも自覚ありません。マナーとは相手に不快感を与えない礼儀作法であるならば車内での子供の泣き声は何よりのマナー違反だと考えます
高野さんの仰る事よくわかります。モラルもマナーも時と
場所によって変わるものです。栗田さんの仰るように60代男性は正義感に酔っておられたのだと。仮にその人がヤクザ風だとしたら・・・多人数の場所ではまだ注意する行動に出るだけの酔狂さは持ち併せておられたかも知れません。
だが周りに人がいない一対一の場ではおとなしい子羊のように振る舞われたと思います。
高野さんはその注意男性にとって取っ組みやすい、文句の付けやすい、おとなしそうに見えたのだと思います。
こういう注意男性は男女ともに見受けられますが、自分のヒステリックな感情を社会的な常識、モラル、マナーにすり替える手法は女性に特に多いかと思われます。
高野さんの仰ることはもっともだと思います。ただ、それをブログで書いたとしても、少数派ですが、その注意男性にシンパシーをも持つ人もいると思います。高野さんの気持ちを解ってくれる人にだけブログを書けばいいじゃないですか?
公の秩序に反する行為ではないのだし。
ぼくはブログに「一般ウケ」は全く考えていないので、もとよりそのつもりなんですよ(^_^)
すいません。解りにくい個所があると思います。
仮にその人が→仮に注意を受ける人が
確かに皆さんの仰る通り。
高野様
ご無礼をお許し下さい。
いえいえ、大丈夫ですよ。
>知り合いの京都の人は、
>「その人が褒め返さなくても何も言わず、『あ、この人は分かっていないんだ』と心のなかで笑うんです>よ。京都人っていやらしいですよね」
>と言っていた。
私は京都人ではないですが,最近,周囲の訳のわからないことをまくし立てる人に対して,同じように笑っている自分をいやらしく感じています。
「流す」ってこういうことなのかな。
でも,もしかしたら流された人は,根底にある考え方を察して腹を立てているだろうな。
本当は,もう少し広い心で相手に対応することが良いとは思いますが,なかなかね・・・
もっと枯れる必要があるようです。
モラルとかマナーと違った自戒の発言でした。
高野さん的にはダメなお酒とにんにく!
私は大好きなので今日は丸ごと1個スライスして(偶然にも一致!)醤油ベースの豚と豆腐…お野菜たっぷりのお鍋で飲んでます(*^^*)♪
いつもは勢いよくガツガツ煮てガツガツ食べてたけど、ブログ見てとろ火でゆーっくり煮てみました!
不思議と全部が優しい感じになりました。満腹感も緩やかでいいですね~(^^;
ほっこり幸せな気持ちになってます。
お鍋眺めちゃうのわかりました!
毎日些細な事でホゲーっと幸せになってる単純なわたくしですが、高野さんの作り方や雰囲気を感じると更に奥から染み渡る幸せを感じる事が出来ます。
今までの作る過程、食べる事の雑さを感じました。
摂食障害でもあるので、毎日のご飯にちゃんと向き合って、高野さんのようにたっぷり吟味して大切にしていきたいと思います。とても助かっています。
でわわ!今宵も素敵な晩酌をです!
いつも詳しく材料から作り方、盛り付け、食べた感想等、ご飯レポ
あらら!
コメ途中で送ってしまいました!
申し訳ありませんです(>_<)!
とにかくブログ楽しみにしてます!
そしてありがたいです!
さらけ出してる感、好きです!
こどもの泣き声が迷惑っていうのは…。
すこし悲しい気持ちになります。
こどもの泣き声が迷惑なのではなく、泣かせてしらないふりをしている
保護者が迷惑という気持ちはわかりますが…。
小さな子供は大人のマナーなどなかなか理解できないと思いますよ…。
これから覚えていくのだから、
大人が少しずつ根気よく教えていくものではないでしょうか…。
マナーとか行儀とか礼儀とかって思いやりでは…。
これがマナーです!行儀です!って世間でいわれていること、
全部完璧にできてますって人いるのかな…。
自分も含めて教える立場の大人がそんなもんだから…。
携帯事件も泣き声事件も、そこに居合わせたひとの
いろいろな考え方や、体調なり気分なり状況なり
も関係してるみたいで、難しそうですね…。
おっしゃる通りだと思います。泣きわめく乳幼児が問題なのではなく、公共の場で放置してる親が問題です。まるで周囲に「小さい子なんだからあんたらガマンしてね」と言わんばかり。自宅ではないんですからあやすなりデッキに連れ出すなりするべきですね。でも、そういう親って少なくなりました(東京では)。
もうひとつ。
車内の化粧も「定着」?したみたいですから、店内車内の携帯通話もいずれ「定着」し「容認」されるのでしょう(もうしてる?)。ただくどいようですが、個人的には、これらの行為(化粧・通話)は、その場にいるひとを通りすがりの石ころのように無視した行為に感じられ、やはり抵抗があります。自分の家族だったら止めさせます。
あと、自戒をこめてですが、最近は、若い人より、おじさんおばさんの方がマナー悪いと思います。車内でイヤホンせずにワンセグ見てるおじ(い)さんとか、いろんなものを引っ張り出してえんえんと顔をぬったくるおばさんとか。東京だけかな?
長文御免。
実子でなくとも、兄弟の子、親友の子など大切な子どもが身近にいれば街で会う親子を迷惑がることは出来ない。
育児の大変さとそれに勝る子どもの可愛さを知っているから。
迷惑がる方々を批判するつもりはないです。
ただ子ども迷惑論を目にする度に、社会全体が友人、親せきなどの親しい関係を嫌う縁の薄いものになってるのかなあと寂しいです。
高野さん、横からでてきてすみません。
公共の場での携帯のお話。
先日まで外国に住んでいた身から申し上げますと、
日本のマナーがおかしいと感じています。
これまで居住•旅した国を含め、
カフェ、電車、バス等。
好きな所で携帯を使って非常識とされる国はありませんでした。
携帯電話は、いつでもどこでも話せるから必要なのではないですか?
オリンピック開催時には一瞬、外国人が増えるでしょうから。
インターネットの異常な不便さと合わせて、携帯マナーも他国と同レベルに育って貰いたいものです。
また、子供に対する冷たい目や、
公共の場で人を注意する時の独特な高圧的態度は、久しぶりの日本暮らしで驚愕でした。
>あなたも昔は泣き声で、
人に迷惑をかけていた赤ん坊だった。
と言う過去をすっかり忘れ、
自分の利益のみを主張し、母親や幼子を責める大人の姿は人間として、
間違っていると思います。
無力な母親が居たら、
周りの人達が助け舟を出すべきです。