昨日は池波正太郎の本に出てくる「三井老人」風に大根を煮た。
これを肴に酒を飲みながら、ぼくは「見ることがすでにコミュニケーションなのだ」と思い至ったのである。
このごろブログの更新にひどく時間がかかるようになってしまい、仕事が押してしまって大変なのである。
ぼくは仕事は一日3~4時間、それを月に20日すれば、何とか最低限の生活は成り立つようになっているのだが、それだけの時間すら、取るのが厳しくなっている。
といって仕事しないわけにもいかないから、仕事はどうしても夜の時間にずれ込むことになる。
昨日はカフェで仕事を終えたのが10時だったから、それから家へ帰って「さて何を作ろうか」と考えはじめたのが10時半だったのだ。
とりあえず焼酎のお湯割りを作り、ソファに座ってツイッターなどを見て、飲みながら考えるわけなのだが、八百屋で丸大根を買っていたから、昨日はそれを煮ることは決めていた。
うす味で、油揚げや鶏肉と煮るとうまいわけだが、そうするとどうしても、下ゆでに30分ほど、さらに味をつけてから30分は煮ないといけなくなるわけで、食べ始めるのが深夜0時を軽くまわってしまうことになる。
それではさすがに辛いので、時間短縮のために、「三井老人風大根煮」にすることにした。
池波正太郎『そうざい料理帖』の中に出てくる「三井老人」がやっていた大根の煮方で、水で煮て、やわらかくなったら醤油をかけて食べるから、味をしみさせる必要がないのである。
ただし昨日はせっかくだし昆布があるのだから、それは使うことにした。
たっぷりの水にだし昆布をいれ、中火にかける。
鍋の内側に気泡が付いてくるようになったら火を弱め、そのままの温度を保ちながら4~5分煮る。
昆布がびろんと伸びたら取り出せば、アクを出さずにだしが取れるのだ。
あとはここに皮をむき、2~3センチ厚さに切った大根をいれ、卓上でコトコト煮る。
火加減は、あまり弱くしてしまうと大根は火が通らないから、弱めの中火くらいにして、軽く煮立つ状態を保つようにする。
20~30分して大根がやわらかくなってきたら、酒少々と塩一つまみを振りいれる。
さらに少しだけ煮れば、もう食べられるようになるわけだ。
しょうゆを一たらしして食べる。
「む・・・」
三井老人が大根を食べた時に発したというこの声を、ぼくも思わず発してしまったのである。
大根を煮ているあいだに摘む肴は、昨日は3品用意した。
まずは言うまでもなく、大根の皮とだし殻昆布のじゃこ炒め。
細く刻んだ大根の皮とだし殻昆布を、ゴマ油とちりめんじゃこでじっくり炒め、醤油をいれて、さらに汁気が飛ぶまで炒める。
それからわさび醤油の冷奴。
わさびにすると、豆腐の甘みが引き立つようだ。
さらに昨日は、レタスの酢の物も作ってみた。
ぼくは日ごろサラダを作らないため、レタスをあまりに使わないから、「たまには」と思って買ってみたのだ。
レタスはサラダに合うのだから、酢の物にも合う道理である。
塩もみし、少ししてから水で洗ってよく絞り、ちりめんじゃこと一緒に酢大さじ1、砂糖小さじ1、塩少々で和えてみたら、当たり前のようにうまかった。
昨日は日本酒を切らしてしまったから、酒は焼酎お湯割りにしたのである。
ぼくはお湯割りを作るとき、給湯器のお湯をそのままジャーといれてしまう。
これを飲みながら、ぼくは、
「『見る』ことが、すでにコミュニケーションなのだ」
と思い至ったのである。
さて酒を飲みながら、ぼくはつらつらと考えるのだが、今最大級に嬉しいことが、「立ち飲み屋でなじめるようになってきたこと」なのだ。
ぼくにとって最も難しかった店だから、そこで居心地よくいられることは、「京都で学んだことの集大成」の感すらある。
その「京都で学んだこと」というのが、
「『見る』ことがすでにコミュニケーションである」
ということだ。
東京で育ったぼくにとって、これは本当にわからなかった。
実際の話、「東京の人が他人を見ない」ことについては、一般的な傾向としてまちがいない。
街ですれ違う人と目線が合うことなどはまずなく、ぼくは名古屋へ引っ越したとき、すれ違う女性とあまりに目線が合うもので、自分が急にモテるようになったのかと錯覚してしまったほどだ。
これは東京に人が多すぎることが理由であり、「毎日が祇園祭か」と思うような場所だから、すれ違う人を一人ひとり見てしまっては、歩くことができないのだ。
ぼくも名古屋へ行ってから、たまに東京へ戻ったときなど、街を歩くと人とぶつかってしまって大変だった。
東京以外の地方はどこでも、東京の人にくらべれば、よく他人を見ると思う。
しかしさらに京都では、この「人を見る」ということが、人付き合いのやり方の根幹に組み込まれているように思うのだ。
たとえば立ち飲み屋で一人で飲んでいるとして、大将はもちろんそこそこは話してくれるが、常連のお客さんとは話をするのが難しい。
話しかけても多くの場合、つれない態度をされてしまい、会話がうまく弾まない。
そうなってしまうと、身の置きどころがなくなるのである。
東京の飲み屋のように、大将がお客さんとの会話を仲立ちすることもないから、「一人ぼっち感」が高まって、その場にいるのが辛くなるのだ。
しかし実は、その時にも、京都の人はこちらを「見ている」のである。
「見られることがすでにコミュニケーションだ」と思えるようになってから、ぼくは立ち飲み屋で黙って一人でいることが、何も苦痛でなくなった。
人間は他人を見ながら、その人のイメージを自分の中に作るだろう。
同じ人に何度も会えば、そのイメージは、だんだんクッキリとしていくことになる。
そうやって、まだ何も話をしないうちから、ぼくは常連さんの心の中に存在を始めているのだ。
そして何度もお店で見かけるうちに、ぼくの人格が首尾一貫したものとして感じられるようになった時には、常連さんとぼくは「かなり親しくなっている」と言ってもいいことになる。
これは「チェブ夫」を見ればわかることだ。
チェブ夫は一言も話さないのに、ぼくにとっては、はっきりとした人格を持った、「愛すべき相棒」なのだ。
京都の人は、知らない人に出会った時、まずはその人を十分見て、人格を推しはかり、「この人とは話していい」となってから、初めて話すのだろうと思う。
だからいざ言葉を交わすようになると、すでにお互いの人格がある程度見えているから、会話もスムーズに進むことになる。
お店の方も、そのことを前提としてサービスのやり方を決めているのだろう。
お客さんどうしを中途半端に仲立ちしたりはしないのだ。
ぼくはいつも行くカフェの携帯電話のマナーについても、似たようなことがあるのではないかと思っている。
カフェのお客さんは他人どうしだけれども、人を見る分、東京にくらべれば、気持ちの距離は近いだろう。
だから携帯電話も、ただ「迷惑」と思うのではなく、「おたがい様」と思うところがあるのではないだろうか。
「持ちつ持たれつ」の精神が生きているのではないかと思うのだ。
ぼくはそこまで考えて、ふと隣にいるチェブ夫を見た。
するとチェブ夫は怒っている。
「どうしたんだい」
と聞くと、チェブ夫はぼくを睨むような目をして言った。
「ぼくだって、いっぱい話をしてるじゃない。」
そうだったな、ごめん、ごめん。
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コメント
もう、もう、もう
前にも言ったではないですか。
そんなマスターとかが仲介する店は会ったことないです。人生の半分以上、東京に住んでいましたが。余程いい店に行っていたのですね。