「英語」など辞めてしまえばいいのである。(具たくさんの豚の粕汁)

具だくさんの豚の粕汁 豚肉

 
昨日は冷蔵庫にちょうど全ての材料がそろっていたから、「具だくさんの豚の粕汁」を作った。

具だくさんの豚の粕汁

これを肴に酒を飲みながら、「英語など辞めてしまえばいい」と改めて思ったのである。

 
腕っぷしに多少なりとも頼むところがある男性は、

「最後は力で分からせればいい」

と考えている人も、少なくないのではないかと思う。

たしかにこれは、問題解決の一つの方法ではあると思うが、大きな弱点もあるのである。

ケンカをするなら、必ず勝たなくてはいけない。

だから自分より強い相手に対しては、このやり方は通用しないことになるわけだ。

 

それに対して、おもに腕力がない女性が、争い事を解決する際にもちいる全く別のやり方がある。

それが、「いじめ」である。

いじめで勝つためには「他人と結託する能力」が問われるわけだから、腕力の大小には関係がないことになる。

そして日本は、歴史的に見た場合、女性に限らず男性でも、この「いじめ」によって問題を解決することが多かったのではないだろうか。

 

先日もタリーズコーヒーで仕事をしていたら、印象深い出来事があった。

ぼくが電話で話していたら、60代くらいと思われる男性がぼくのところへやって来て、「席で電話を使うのをやめろ」と言うのである。

その際の言い方が、

「みんな迷惑しているんだよ」

というもので、ぼくは「いかにも日本的だ」と思い、心のなかで微笑んでしまった。

そのお客さんは初めて見た顔だったのだが、ぼくは誰よりもたくさんタリーズコーヒーへ通っていて、タリーズでは、誰もが席でふつうに電話するのをよく知っていたからだ。

 

ところが今の日本では、このいじめとか、さらにいじめを企業がおこなう「談合」とかが、「よくないこと」とされている。

企業の場合、企業の腕っぷしを競う「競争」が「公正」であるとされていて、談合をすれば法律違反で捕まることになるのである。

競争となると、「スポーツ」が典型だが、「ルール」を客観的に決められることになるわけで、それが「公正である」と思われる理由だと思う。

しかし例えば、腕っぷしの強い大手スーパーなどに押されて、地元の商店が壊滅し、地域社会がやせ細っていく現状などを見たり聞いたりするにつけ、

「本当に競争がいいことなのか」

と、ぼくは疑問に思うのだ。

 

さらに国家間が「競争」するとなった場合、究極の姿は「戦争」である。

戦争は「殺し合い」なのだから、「いい」と思う人はいないだろう。

そうしてみると、「腕っぷしの強いものが生き残る」ことになる「競争」という考えそのものに、大きな限界があるのだと考えなければいけないのではないだろうか。

むしろ「争いを避ける」ための日本の知恵である「談合」に、もっと役割を見出してもいいのではないかと思うのだ。

 

日本はこれから、「アメリカ」と「中国」という二大軍事大国にはさまれて、難しい舵取りをしていかなければいけない状況にあるだろう。

日本より強いこれらの国々に対した時、「戦争」という選択肢がないのは明らかだ。

しかしアメリカだけでなく、もっと中国とも仲良くできれば、両者を行き来することで、キャスティングボードを握ることもできるようになるかもしれない。

さらには他の多くの国々と「談合」を結んでいくことで、大国に対し、

「みんな迷惑しているんだよ」

と意見するようなことだって、できるようになるのではないかと思うのである。

 

ところが日本は昔から、「外交下手」だと言われている。

潜在的には、日本人が持っている政治力は、決して低くないはずだとぼくは思うのだけれど、それを国際舞台で発揮できていないわけだ。

それには色々な理由があるだろうと思うけれど、まずは「黒船」の衝撃が、いまだに日本人の「トラウマ」として残っているのかなと思う。

「富国強兵」なくしては「日本には未来がない」と、今でも思い込んでしまっているところがあるのではないだろうか。

 

それからもう一つは、「学校で英語を習う」ということも、大きいのではないかと思うのだ。

習った結果、英語が話せるようになるのならまだいいが、ほとんどの人は、何年やっても、話せるようにはならないわけだ。

ぼくはこれが、「外国にたいする劣等感」を日本人の心に深く植え付けるのに、大きな役割を果たしているのではないかと思う。

「英語も話せないダメな自分」と思ってしまうことにより、さらに自分が生まれ育った文化までを、「ダメなものだ」と思い込んでしまうところがあるのではないか。

 

外交には通訳を使うのだから、英語など話せる必要はないのである。

英語の勉強など辞めてしまい、それよりもっと、自分たちの文化の良さを改めて見直すことが、日本の未来を作ることになるのではないだろうか。

 

というわけで、昨日は「具だくさんの豚の粕汁」を作ったのだ。

具だくさんの豚の粕汁

これをご飯にかけて食べると、また何ともうまいのである。

 

さて具だくさんの豚の粕汁なのだが、酒粕や豚肉を初めとして、作るだけの材料があれこれ家にあったから、それらを全てたたき込んだという話である。

具だくさんの豚の粕汁

粕汁は、京都の人に話を聞くと、「油あげ、大根、ニンジン」が基本で、「青ねぎかセリ」をトッピングするのだが、その他に人によっては、「芋、ゴボウ、竹輪、コンニャク」などをいれるのだそうである。

昨日ぼくは、この「その他」として、芋とゴボウ、竹輪をいれた。

芋は京都だから「海老芋」で、またニンジンは「金時人参」なのだけれど、もちろんこれらは里芋や、普通のニンジンでもいいことは言うまでもないのだ。

 

まずはだしを取る。

具だくさんの豚の粕汁 作り方

3カップ半の水に、だし昆布の切れっ端とかつお節のミニパック3袋をいれ、中火にかけて沸いてきたら弱火に落とし、5分くらい煮出してザルで濾す。

 

このだしに、うすくち醤油大さじ1、さらに塩を足し、丁度よい塩辛さにして 野菜を煮る。

具だくさんの豚の粕汁 作り方

油あげと大根、ニンジンは短冊に、ゴボウはささがき、竹輪は斜め切り、海老芋は適当な大きさに切った。

 

野菜を煮ているあいだに、だしを器に取り分けて、酒粕をふやかしておく。

具だくさんの豚の粕汁 作り方

酒粕は、多くて悪いことはなく、昨日は握りこぶしより一回り小さいくらいの量をいれた。

 

5~10分くらい煮て野菜がやわらかくなったら、豚こま肉200グラムとふやかした酒粕をいれる。

具だくさんの豚の粕汁 作り方

2~3分煮て、豚肉の色が変わり、酒粕が煮汁に溶けたら火を止める。

 

青ねぎをたっぷりかけて食べる。

具だくさんの豚の粕汁

この「まったり」とした味が、たまらないのである。

 
 

海老芋は、ふつうの里芋より「ねっとり」とした食べ応えになる。

具だくさんの豚の粕汁

 
 

昨日はあとは、白めし。

白めし

やはり豚の粕汁は、ご飯と一緒に食べたいのである。

 

厚揚げの焼いたの。

厚揚げの焼いたの

フライパンでこんがり焼き、おろしショウガと青ねぎ、味つけポン酢をかける。

 

野菜の皮とだし殻のじゃこ炒め。

野菜の皮とだし殻のじゃこ炒め

大根やニンジンの皮、だし殻の昆布とかつお節などをすべて細く刻み、ゴマ油とちりめんじゃこでじっくり炒め、酒とうすくち醤油で味をつけて、さらに汁気がなくなるまで炒める。

 

すぐき。

すぐき

わさび醤油。

 

そして最後に、粕汁はご飯にかけて食べると、酒粕も原料は米だから、米と酒粕がからみ合い、渾然一体とした状態となり、大変うまいのである。

具だくさんの豚の粕汁

これは八百屋のご主人が、「ちょっとお行儀は悪いですが」と言いながら、教えてくれたやり方だ。

 

「ぼくなんか、おっさんだってノックアウトするからね。」

チェブラーシカのチェブ夫

お前の可愛さにはいつもノックアウトされてるよ。

 

 

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コメント

  1. kakotyan より:

    お味噌(白)を少し入れるとこくが出ておいしいです。

  2. にほんしゅ より:

    わたしも白みそいれてます(^o^)

  3. ももぱぱ より:

    僕はタリーズに限らずそういう場で電話している人を見ると良い気持ちはしない。
    だから僕はしない。
    ルールがないから他人にも強要はしない。

  4. masa より:

    「みんながやっているから」つい自分もやってしまうという動機は理解できます。
    ただ、
    「(うるさくて)迷惑だ」と注意されたら
    「ああ、悪いことをしたな」
    と反省する気持ちは持っていた方がいいと思います。
    仕事の話は、やはり外ですべきじゃないんでしょうか。

    ・みんなが吸っているから寿司屋でたばこを吸う
    ・みんながすわっているから満員でも優先席に座る
    ……etc

    法律で決められているわけではないけれど、そのためにマナーがあるんだと思う。
    気が付かなかったのは仕方がないけれど、今回の文章は
    「みんなやっているのに文句をつけてきた、変なやつがいた」
    と(私には)読めてしまいました。

    その60歳くらいの人は「私が迷惑しているんだよ」と言えばよかった思います。
    「みんなが」というから日本的だと高野さんに笑われてしまったんでしょうね。

    • 高野 俊一 より:

      もちろん注意されたら、黙って外へ出ましたよ。

    • ZIU より:

      同意見です。「みんなが」を使う人は確かに癪に障りますよね。自分の考えなのに一般論にすり替える。常に自分を高みにおいて、有利なように場の雰囲気を作る。言いやすい相手に言う。これらはもちろん日本的なのではなく、程度の差こそあれどこの国にでもあります・・・高野さんの言うことはごもっともです。ただ、正しい事が通用するとは限りませんし・・・

  5. そうちち より:

    飲み屋や新幹線のシートなどでも、平気ででかい声で仕事?がらみの電話をかけている中高年おじさんをよくみかけます。仕事だから許されると思ってるのか・・・? その場にいるほかのひとを一切無視した行為に思えて、どうにも不快です。僕もやりません。でも車内の化粧と同じで、犯罪ではない以上がまんするしかありませんね。「みんながそういってるよ」とか「みんなが迷惑してるよ」という他力本願的物言いも嫌いですけどね。

  6. 通りすがり より:

    あまりにでかい声で喋ってたら電話じゃなくても迷惑だけど、普通の声での電話で迷惑って、私には理解できない。
    電車での通話も、ペースメーカーに悪影響っていう神話もいつまでも信じている人が多いし。そんなんだったら電車乗る自体悪影響になってるはずですよね。
    言語学習は英語以外も取り入れて多言語教育にしたらいいです。日本語以外学ばずに引きこもるのも健やかじゃないですから。
    自ら興味持ったものを選べるなら学ぶ意欲もわくでしょう。私は英語に興味をもてなかったので苦痛でしかありませんでしたね。あと、国語教育でも同じこと思いましたが、習得したあとで教科書自体をみると難しく書いてて無駄がおおかったです。あんなんでまともに学ぶの何十年かかっても無理、っていうのは言い過ぎですが、中学生あたりでは難しく感じるんじゃないだろうか。

    思うこと一杯あったので通りすがり書き込まさせてもらいました。なんか、記事とゆかりないこともかいちゃってすいません。失礼しましたー。

    • そうちち より:

      車内で無音で化粧している女の子、「やだな」て思いません?
      別に音量の問題じゃないんですよ

      携帯で通話してもいいか悪いか、飲み屋だったらマスターが仕切ればいい話です

    • 高野 俊一 より:

      携帯で話していいかどうかのマナーは、お店や地域によって、違うと思います。

  7. そうちち より:

    マスター、店員が注意しない以上、その店のローカルルールでは黙認、ということでしょうね。注意するならあくまで個人として勇気をもって注意すべきです。できないなら黙ってればいい。一方で電車内は「通話はご遠慮ください」というアナウンスが(東京では)あります。「禁止」ではなく「お願い」ですね。強制力はありません。マナー、感性の問題です。

    ということで一言。
    「赤信号みんなで渡れば青信号」

    失礼しました。

  8. ももぱぱ より:

    いろんな意見があります。
    最近、常連としての話題が多かったのでよけいに???に感じました。

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