昨日は池波正太郎流に、聖護院大根を煮た。
池波正太郎は「気に入らない食べ物が出てきたらお膳をひっくり返せ」というのだが、それはさすがにアナクロで、今は、男が料理することが、日本の未来を切り拓くとおもうのである。
池波正太郎は『鬼平犯科帳』などの時代小説作家として知られているが、実は「食」についてのエッセイも、非常におもしろいのである。
まず読むとしたら、勧めるのはこの「食卓の情景」で、これは池波食のエッセイの最高傑作だとぼくはおもう。
池波食のエッセイのおもしろさは、もう失われてしまった「古きよき日本の食事」が描かれることである。
特に池波が若いころ食べたものや、自宅で食べているものを書いているものが良く、日本人としての琴線を、ザワザワと揺すぶられる思いがする。
ところがこれが、女性には、評判がよろしくないようなのだ。
ぼくが勧めるからと、『食卓の情景』を読んだ女性がいるのだが、感想を聞いたら
「私はあれはダメだわ・・・」
とのことだった。
詳しい理由は聞かなかったが、何となくわかる気はする。
池波は、戦前の男性だから、「封建的」なのである。
池波は、食に並々ならぬ関心をもち、毎日何を食べるかを、かなりの時間を使い、考えていたようだ。
そのこと自体は女性にも、何も問題ないとおもうが、問題は、その考えた料理を、「奥さんに作らせる」のである。
池波は「エンマ帳」のようなものまで作っていて、毎日食べたものを、「これはうまかった、これはまずかった」と書き、奥さんに見せていたのだとか。
「そんなことをされてはたまらない」というのが、現代女性の本音だろう。
さらに池波正太郎は、
「気に入らない食べ物が出てきたら、お膳をひっくり返せ」
と言う。
これはやはり『食卓の情景』に出てくる、若い男性にたいするアドバイスである。
星一徹の時代ならともかく、今の時代、ご主人が、奥さんが作った料理がのっているお膳をひっくり返すなど、あり得ないことだろう。
もしそんなことをしたら、即離婚はまちがいのないところだ。
ただぼくは、池波の気持ちが全くわからないでもない。
たしかに戦後、あまりに経済偏重の世の中になり、日本が昔からもっていた良さが、どんどん失われつつあるとはおもうからだ。
この池波の復古主義は、今の政治状況とも共通するものがある。
現在の日本が低迷しているのは、日本人が戦後になり、あまりに物質面ばかりを重視するようになり、精神面が疎かになっているからだという反省があるのだろう。
「戦前はよかった」という認識もあり、「それではその時にもどろうじゃないか」という話になる。
それで戦後になってアメリカから押し付けられた憲法は改正し、軍隊も復活させようとなっている。
しかしこれは、お膳をひっくり返すのとおなじくらい、アナクロな話である。
日本が軍隊をもつことなど、大国であるアメリカと中国が許すはずがない。
今やアメリカと中国は、日本を蚊帳の外にして、両者で直接、さまざまな交渉事を行うようになっているとも聞いている。
世界情勢が全く見えていない日本が、憲法改正だ軍隊だと言うさまは、太平洋戦争末期、世界が空母と戦闘機による空中戦に移行したのに気づかずに、ひたすら戦艦大和を作りつづけたかつての日本と、重なるようにぼくはおもう。
ただこのアナクロニズムは、何も池波や日本政府ばかりのものではないのではないだろうか。
今の若い男性も、おなじようなアナクロニズムに陥っているところがあるのではないかとおもうのだ。
ぼくが以前、居酒屋で話した30代の男性は、自分は一人で住んでいるから、バリバリで料理もこなすが、やはり結婚する相手の女性は、専業主婦で、自分のために料理を作ってくれる人がいいと言っていた。
もちろん、そういう結婚を希望する女性もいるだろうとはおもうけれど、今や絶滅危惧種ともいえるくらい、少なくなっているのではないか。
今は多くの女性が、結婚しても仕事をつづけたいと思うようになっているから、お膳をひっくり返すどころか、家事の分担は当然の話である。
さらには仕事を優先し、結婚すらしない女性が増えているのが昨今だ。
池波が言う、
「男性も、自分が食べたいものをきちんと考え、食べるようにしないといけない」
というのは、正しいとぼくもおもう。
食は「生活の基本」であり、これを疎かにすることは、生活全体を疎かにすることにつながるからだ。
ただ今の時代、これを「女性に何とかしてもらおう」と考えるのは、アナクロだ。
男性は今や、食べたいものを食べるためには、自分で料理する以外に道はないとおもうのである。
「経済偏重」とは、別の言葉でいえば、
「男性が、仕事ばかりに夢中になって、生活を疎かにした」
という意味だ。
そこから抜け出るために、最も手っ取り早く、しかも効果的な方法は、憲法改正でも再軍備でもなく、「男性が料理をすること」だと、ぼくは真剣におもうのである。
というわけで、話はあらぬ方向へ向かってしまったわけなのだが、池波正太郎なのである。
昨日は八百屋に、聖護院大根が売っていたから買ってきた。
この聖護院大根が、普通の大根とはちがうのだ。
煮ても煮くずれしにくいのに、いざ食べるとやわらかく、口の中でホワッと溶けるような食べごたえがする。
これを初めは、京都流に厚揚げと煮ようとおもっていたが、ここで思い出したのが、池波正太郎なのである。
池波正太郎の、これは『そうざい料理帖』という本のなかに、実にうまそうな、大根の煮方がのっている。
池波が若かった頃のことである。
友人の井上留吉と、「三井老人」の家に遊びに行った。
三井老人は、池波や井上と同じ株式仲買店で働いていたが、自分でも内緒で株の売買をし、大金持ちなのである。
60歳くらいであるにもかかわらず、娘か孫かという若い女性を奥さんにし、二人きりで暮らしている。
旅行へ行くと、それこそ金を、「つかってつかって、つかいぬく」三井老人だが、ふだんの生活は質素で、大根が好きだった。
池波たちが遊びに行くと、三井老人はちょうど、大根を煮ているところだったのである。
長火鉢に土鍋をかけ、昆布だけを入れて大根を煮る。
煮えたら最後に、少量の塩と酒をふり込む。
この大根を、三井老人はしょうゆを2~3滴かけ、口に入れる。
大根を噛んだ瞬間に、
「む・・・」
いかにもうまそうな唸り声をあげたとのことである。
昨日はこの方法で、大根を煮ることにしたのである。
三井老人は、煮えるまでのあいだ、手製の塩辛をつまんだそうだが、ぼくはそれでは足りないので、もう少しあれこれ作ることにする。
さて大根の煮たのだが、まずは大根が煮えるまでのあいだ、つまむものを用意する。
昨日はブリの切り身を買ってあった。
これからのブリは、脂がのって、まずは塩焼きがうまいのである。
大根おろしにポン酢醤油をかけて食べる。
それから大根といっしょに煮ようと思っていた厚揚げは、焼くことにした。
フライパンでこんがり焼き、おろした大根とショウガ、しょうゆをかける。
大根をむいた皮があるから、これはじゃこ炒めにする。
細く切り、ゴマ油とちりめんじゃこ、輪切り唐辛子でじっくり炒め、酒としょうゆで味つけする。
ナスの塩もみ。
うすく切ったナスを一つまみの塩で揉み、5分ほど置いたら水で洗ってよくしぼる。
削り節とからし酢醤油で食べる。
ナスは、皮をむくと、食べごたえが変わってくる。
昨日は半分だけ、虎刈り状に皮をむいた。
他のつまみが終わったら、大根にとりかかる。
大根は、煮る場合には厚く皮をむくようにする。
普通のなら、2~3センチの輪切りにし、煮くずれないよう、角を面取りしておくとていねいである。
鍋にだし昆布を敷いて水を張り、大根を入れて中火にかける。
ここからは、食卓で肴をつまみながらやるのである。
昆布のアクを取りながら、串か楊枝をさしてみて、スッと通るようになるまで気長に煮る。
大根は、あまり火が小さいと煮えないので、ある程度グツグツ、沸騰を保つようにするのが必要だ。
大根がやわらかくなったら、コップ半分くらいの日本酒と、小さじ1くらいの塩をふり込む。
弱火にし、さらにコトコト少し煮れば、食べられるようになる。
しょうゆをタラリとかけて食べる。
大根の滋味をしみじみと味わうには、これはまさに、打ってつけのやり方である。
酒は月桂冠の上撰酒パック。
和食には、やはり日本酒がぴったりくる。
大根を食べ終わったら、冷凍ごはんを残った汁で煮た。
このお粥が、昆布と大根の味がでて、またうまかったわけである。
「若者に説教したり、おっさんもかなりアナクロだよ。」
たしかにそうだな。
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コメント
好きなものを好きなように食べ、飲みたければ自分で作ればよい。正にその通りだと思います。連れ合いにああだこうだ言って作らせるなんて面倒くさすぎますが、池波先生はそうは思わなかったんでしょうね。
読んでいるだけで酒が呑めてしまう旨さへの賞賛や喜びの表現を書き上げる先生を唸らせる料理を作ったら非常な快感が待っているような気もしますが・・・
私も昨日からぶり大根を仕込んでまして、高野さんの書かれているように薄味で大根だけ煮付けて見ましたが、大根の素朴な味が確かにより引き立つようですね。昨日から味をしゅませるため食べずに我慢して、温めて冷却の工程を繰り返して、夕方の訪れを待っているところです。
ああ、喉が鳴る・・・あと少しの我慢です(笑)
お膳をひっくり返すくらいの男性に出会ってみたいと思いますが…
男性がお料理をして、女性が仕事に生き甲斐を感じる。
社会に出て働くことを望んでいましたが、最近では家事も楽しいと感じています。