きのうは大根煮。
大根煮には、「油あげ」をいれるのである。
もう寒くて寒くて、「鍋に熱燗」の連打なのだ。
冬は食べ物がうまいのはありがたいのだが、それは「せめてもの救い」という話で、寒いのは嫌いである。
死ぬ前には、できれば南国にしばらく住みたい。東南アジアか、ヨーロッパの地中海沿岸あたりがいいのではないかと思っている。
だいたいぼくは、冬になるといいことがない。女と別れるのも、だいたいは12月。
勤めていた会社を辞めるのを決めたのも、12月だった。
冬は「一人ぼっちで寂しい」と決まっている。
そういうわけで、鍋に熱燗。
きのうは大根があったから、それを煮ることにした。
大根煮は、厳密にいえば「煮物」で、鍋ではない。しかしこれをテーブルの上で煮れば、鍋に早変わりするわけだ。
温かく煮え、味がしみた大根は、この世のうちで最もうまいものの一つだろう。
「しみじみ」という言葉が、これほど相応しいものはない。
噛むと、温かい汁が口のなかにシュワっとひろがる。煮汁をいっぱいに吸い込むが、それでいて「自分らしさ」を失わないのが、大根のいいところだ。
さてこの大根、煮る場合には「相手を何にするか」が大きな考えどころとなる。
肉であれ魚であれ、相手にいかようにも合わせられるのが大根の身上だから、何と煮てもうまいはうまい。
しかし肉や魚と合わせると、名前が「豚バラ大根」「ブリ大根」と「大根」があとに来ることからもわかる通り、大根は脇役だ。
相手が出した味を吸い込むために、大根が使われるわけである。
「そうではなく、大根を主役にしたい!」
もしそう思うなら、相手は一択。「油あげ」だ。
大根煮、京都では「大根焚き(だいこだき)」と呼ばれるが、この「大根」の名を頭に冠した煮物の相手は、油あげと決まっている。
油あげこそ、大根をうまく引き立て、主役にする、名脇役なのである。
これはまず、「存在感」の問題がある。油あげではなく、「厚揚げ」をいれるという考え方もあるだろう。
これもうまいには違いないが、分厚い厚揚げをいれてしまえば、どうしても厚揚げが勝ってしまう。
名前をつければ、やはり「厚揚げ大根」が相応しい。
その点、油あげは「うすい」のがいい。
大根の邪魔をせず、あくまで控えめなのである。
といって、ただ「うすければいい」わけでもない。ここに「さつま揚げ」などをいれてしまえば、さつま揚げが味を出すから、大根は味を受け止める側になってしまう。
ところが油あげは、大根同様、「味を吸い込む」のが身上だ。
だからこそ、やはり味を吸い込む大根を、主役にできることになる。
しかも油あげは油あげで、しっかりとした味がある。
みずからも個性を発揮しながら、しかも主役を引き立てる、まさに「名脇役」なのである。
大根煮を作るには、下ゆでした大根を油あげと煮るだけだから、むずかしいことは何もない。
ただし、味は「だし」がすべてだから、昆布とたっぷりの削りぶしで、しっかりだしを取るのがおすすめだ。
鍋に10センチくらいのだし昆布と、水3カップ半を入れて火にかける。
煮立ってきたら、煮立たないくらいの弱火にし、昆布の風味がしっかりと立ってくるまで、10分くらい煮出す。
次に削りぶし、ミニパック6袋分をいれ、やはり火は弱いまま、5分くらい煮出す。
昆布と削りぶしをとり出して、削りぶしは絞ったうえで、酒とみりん、淡口しょうゆ、それぞれ大さじ3ずつをいれて味をつける。
大根は、2センチくらいの厚さに切り、竹串がスッと通るようになるまで、弱めの中火くらいで下ゆでする。
ゆで湯に米のとぎ汁をつかえば、大根が白くやわらかく、そして甘くなる。
あとは煮汁に大根と、熱湯をかけて油抜きし、食べやすい大きさに切った油あげをいれ、煮立てないようにしながらコトコト煮る。
30分くらい煮れば食べられるようになるし、一晩寝かせば、さらにしっかり味がしみる。
ほかの肴をつまみながら、大根が煮えるのを待つのである。
器にとり、青ねぎと一味をかけて食べる。
あとは、ブリの塩焼き。
ジャガイモご飯。
セロリの葉とだし殻のじゃこ炒め。
そして、熱燗。
鍋に熱燗さえあれば、一人ぼっちの冬も乗り切れる。
「ぼくがいるじゃない。」
そうだったな。
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