昨日は冷凍してあった天然鯛を酒蒸しにした。
鯛を食べると、「日本人でよかった」とつくづくおもうのである。
鯛好き日本人の例に漏れず、ぼくもやはり鯛は好きで、これはもちろん、鯛はあらを買うと「安い」というのはあるのだけれど、鯛の味は「つくづくうまい」とおもうのだ。
下処理さえきちんとすれば、味つけはほとんどいらず、塩と少量のしょうゆだけで、完璧なバランスになる。
和食の、まさに「黄金」ともいえる味で、これに匹敵するのはハマグリだけだとぼくはおもう。
しかし日本では高級魚の代表格ともなっている鯛は、他の国では、珍重されることはほとんどないとのことなのだ。
韓国や台湾でも鯛はとれるそうなのだが、べつに高級魚でもなんでもなく、単に大衆魚の一つに過ぎないそうだ。
オーストラリアでも鯛はとれるそうなのだが、オーストラリア人からは評価が低く、食べもしないそうである。
鯛をありがたがるのは日本人に特殊な事情のようなのだが、ぼくはこれは、日本人がニンニクを使わないからではないかとおもうのだ。
世界の中で、ニンニクをほとんど使わないのは、たぶん、日本だけなのである。
ニンニクは、世界の有力な料理の、ぼくの知っている限りすべてで、調味料の主役として使われている。
中国や韓国はもちろんだし、東南アジア、インド、ヨーロッパ、ロシア、すべてニンニクは使われる。
だからある意味、ニンニクを調味料として利用するのは、「世界標準」なのである。
その世界標準から日本だけが、外れていることになる。
ニンニクを使ってしまうと、和食の味がぶち壊しになることは、言わずとしれた話である。
ぼくは一度、ニンニクを使った料理を献立のメインに据えたら、煮びたしなど他の和食メニューが、全く味がしなくなったことがある。
鯛やハマグリのえも言われぬあのうまさは、ニンニクを使わないからこそ感じられるものだろう。
そう考えると、世界から日本の料理を見たばあい、「ニンニクを使わないことが特徴」とすら、言えるのではないかとおもうのだ。
しかしこの「日本がニンニクを使わない」ことは、単なる偶然の産物ではない。
あるとき明確に「禁止」されている。
鎌倉時代、禅宗で、「不許葷酒入山門」とされたのがそれである。
禅宗は当時、単に一宗教団体ではなく、日本の政治や文化に大きな影響をあたえる存在だったのだから、禅宗がニンニクを禁止したのは、日本が公式にニンニクを禁止したのと近い意味があっただろう。
ぼくはこれは、一種の「鎖国」だったのではないかとおもうのだ。
当時の日本をとりまく世界で、中心だった中国の、影響力をそぐためである。
日本の文化が、起源が中国にあるというのは言うまでもない話だ。
仏教はもちろんそうだし、それ以前に文字である「漢字」が、中国から来たものだ。
仏教や漢字が自分で歩いてくるわけはないから、当然中国から、また中国の影響をつよくうけた朝鮮から、人が渡ってきたのである。
これら渡来人は、文化の中心から、辺境の国へ来たのだから、当時の日本で、幅を利かせていたにちがいない。
そうなると、日本に元々からいた人たちは、面白くなくなることだろう。
そこでこの渡来人の影響力を、何とかそごうと考えたとしても、不思議ではないのである。
そこでまず奈良時代に、渡来人たちが好きだった「肉」を禁止することになる。
この「肉食禁止令」は実際に、「渡来人の影響力をそぐため」という説もあるそうである。
ぼくは鎌倉時代にニンニクが禁止されたのも、おなじ文脈ではなかったかとおもっている。
さらに江戸時代に入ると、本当に「鎖国」されることになる。
このように日本の鎖国は、なにも江戸時代に始まったものではなく、いわば日本は文化を獲得して以来、鎖国しつづけていると言ってもいいくらいなのだが、日本の文化は、こうした状況の中で花ひらいてきているのである。
料理もおなじで、「ニンニク」と「肉」という世界標準から、意図的に距離を置くことにより、世界に類を見ない、独自の体系が発展したといえるとおもう。
ところが時代が下り、日本は鎖国を解かなければならなくなった。
「黒船」が来たからである。
日本は海に囲まれているから、それまでは侵略の危険から逃れることができていた。
ところが世界の技術は進歩して、いよいよ日本も、侵略と対峙しないといけないことになったのだ。
ぼくはそれから、日本の苦難の歴史ははじまったのではないかとおもう。
本当は日本は、鎖国していられれば、それが一番よかったのだ。
べつに「世界に進出しよう」などと思わなくても、ぬくぬくと居心地のいい社会があったのである。
しかしそれが出来なくなったところから、日本は浮き沈みするようになったのではないだろうか。
「日本80年周期説」というのがあり、日本は「幕府崩壊」「日露戦争大勝利」「太平洋戦争敗戦」「バブル絶頂」と、40年おきに浮いたり沈んだりを繰り返しているというのだが、ぼくはそれが、妙に納得できるのだ。
これはぼくは、日本人の、「世界標準から距離をおきたい」とおもいがちな、精神構造に由来しているのではないかとおもう。
鎖国をしてきた歴史があるから、日本人は今でも、世界標準とは無関係に独自の発想をし、それが世界に受け入れられることがあるとおもう。
車や家電製品を「小さくする」などというのも、たぶんそういうことだろう。
それがあまりに独自だから、当たるとデカイ。
一気に坂を、登りつめていくわけである。
ところがこれが、いったん風向きが変わってしまうと、転げ落ちるのも早いことになる。
世界標準を意識していないから、世界標準が変わってしまうと、ついていけないことになる。
日本は、アナログからデジタルへの変化には何とか対応できたけれど、そこから「ネット」が生まれ、一気に世界から離されることになった。
さらに今、再生可能エネルギーの領域でも、大きく水をあけられようとしているわけである。
しかしぼくは、これはもう、仕方ないのではないかとおもうのだ。
今さら「世界標準」などと言ってみても、鎖国体質の日本人には手につかない話であり、日本のどこにもない特徴を、うすめることにしかならないだろう。
それよりも、日本はこれから、日本にしかできない、独自のものを生み出すことに専念するのがいいのではないか。
それが当たれば、またしばらくは、上がっていくという話である。
ぼくは日本はそれでいいし、これからも、それしかないとおもうのだ。
鯛を食べるたびに、「日本人に生まれてよかった」とつくづくおもうからである。
それに「80年周期」であるとすれば、人生80年の時代、誰にとっても、よい時代と悪い時代を経験できることになる。
公平な話なのである。
というわけで、いつもながら、前置きが長くなったが、「鯛」なのである。
前回買った天然鯛の、下処理だけしたのが冷凍してあったから、これを「酒蒸し」にすることにした。
酒蒸しも、煮付けとならんで、鯛の代表的な食べ方だ。
鯛は臭みがほとんどないから、蒸すだけで十分うまいという話である。
さて鯛の酒蒸しをつくるのだが、べつに家に冷凍しておいたものでなくても、スーパーや魚屋であらを買ってくれば問題ない。
あらは80度くらいの熱湯で湯通しし、そのあと水でよく洗って、血のかたまりやヌメリ、うろこなどをていねいに落とすようにする。
冷凍してあるばあいは、流水解凍するようにする。
冷凍したナマものは、冷蔵庫に1日おいて自然解凍するのが一番だが、流水解凍なら20~30分で、十分おいしく解凍できる。
蒸し物は、べつに蒸し器がなくてもできる。
深めの鍋に小皿をおき、水を入れて、その上に蒸すものを入れた皿をのせるのである。
鯛を料理するばあいは、あまり余分なものをゴテゴテ入れないほうがいい。
せっかくの鯛の味が、にごってしまうからである。
酒蒸しにも、入れるのは豆腐だけ。
鯛と豆腐を深めの皿にならべたら、酒大さじ2ほど、うすくち醤油大さじ1ほどを、鯛の上からかけるようにする。
鍋には水を3カップほど入れて、強火にかけ、湯気が出てきたら中火にする。
蒸し時間は15分がちょうどである。
ざく切りにした三つ葉を添える。
一点のくもりもない、黄金の味である。
鯛の味がしみた、豆腐がまたうまい。
たまった汁も、もちろん全部飲み干すのである。
あとは、カブの吸物。
一番だしに吸物の味をつけ、厚く皮をむき8等分にしたカブの身と、ざく切りにしたカブの葉、湯をかけて油抜きし、細く刻んだ油揚げを煮る。
これがぼくは、大好物なのである。
カブの皮と茎、だし殻の昆布とかつお節の炒め物。
ゴマ油と輪切り唐辛子で炒め、酒としょうゆで味つけする。
オニオンスライス。
かつお節に、からし酢醤油にゴマ油をちょこっとたらしたタレをかける。
「ぼくもロシアで生まれたけど、今は日本人だよ。」
そうだよな、お前はオレの親友だしな。
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コメント
だけどニンニク醤油は旨いと思うのです…。
鯛、最近鱗が面倒でめっきり食べてないので、
来週ヒマを見て食べようと思いました。
おっさんて、意外と哲学的ですょね(´・ω・`)
くるっちょんさんに、ashさんが旅立たれたことをお伝え願いますか。
私の住んでる国(英語圏)では喜んで鯛食べます。
オーストラリアのレシピサイトでも鯛がたくさん載ってますので食べてるんじゃないかと思います。
http://www.taste.com.au/search-recipes/?q=snapper&x=0&y=0
なるほど、「オーストラリア人は鯛を食べない」というのは、Wikipediaの情報だったんですが、それはちょっと違うかもしれないということですね。
お知らせくださりありがとうございます(^o^)