昨日は冷蔵庫に残った野菜をつかい、豚カブ炒め丼他のおかずをつくった。
料理は、残り物処理にこそ、神が宿るのである。
本日も、本題のまえに前置き、三たび「幸せ」についてなのだ。
先日、「敏感な舌と鈍感な舌とでは、どちらが幸せか」との質問をくれた人から返答があった。
コメント氏によれば、
「幸せが一人ひとりが実感するものであるのはその通りだとおもうけれど、同時に誰でも、幸せを人と比べてしまうところがある。
人と比べることにより、自信を持てなくなるのではないか」
とのことである。
ぼくもそれについては、たしかにそういうところはあるとおもう。
「幸せ」は、「幸せだ」と実感することが基礎にあり、これは「本能」がすることだ。
自分にとって、非常に心地よいことがあると、人間は「幸せだ」と感じるようにできている。
ところが「理性」は、それだけでは納得できない。
「幸せとは、いかなる時に感じるものか」と、一般化したがるのである。
加山雄三が1965年に、「ぼかあ、幸せだなあ」と歌ったのは、たしかに実感がこもっていたのだろう。
多くの日本人が、その「実感」に共感したにちがいない。
しかしその後、その実感は理性により、
「家電製品にかこまれた家に、きれいな奥さんと住み、週末には車にのってレジャーに出かけることが幸せだ」
と変換された。
そして日本人は、そこへ向け、一路ひた走ったのである。
当時の多くの日本人が、家電製品にかこまれた家に住んだり、車に乗ったりすることにより、戦中・戦後の経験と比較して、「幸せ」を感じたのは理解できる。
しかし実際に「幸せである」ことと、「家に住み、車に乗る」こととは、全く別のことである。
戦後しばらくは、それらは一致することが多かっただろうが、だんだん食い違ってくるようになる。
それで家庭内暴力や家庭崩壊などの問題が、表面化してくるわけである。
しかしそれも、全体として前向きならば、「まだマシだった」と言えるとおもう。
現在の状況は、もっと深刻になっている。
今、多くの日本人が、家も買えない、車も買えない、それで結婚もできない、だから「不幸だ」とおもうようになっているのではないだろうか。
放置していた食い違いが、とうとう日本の内部をむしばみ始めたようにおもうのである。
「不幸」は、理性が勝手に作りだした、完全なる虚像である。
人間は「幸せ」を実感することはあっても、不幸を実感することなどできないのだ。
家や車などなくても結婚はできるし、幸せを感じることもできる。
虚像にしばられ、がんじがらめになっていることこそが、不幸であるとぼくはおもう。
だから今、日本人にとって最も必要なのは、過去の虚像から解放され、実感にもとづいて、「幸せとは何か」をもう一度、探すことだとおもうのだ。
幸せなど、大上段にかまえなくても、ほんとに小さなところに見つけられるものである。
「日本史80年周期説」というのがあるそうである。
日本の歴史は、40年おきに絶頂と破滅を繰り返しているというのだ。
江戸幕府が崩壊したのが1867年、その約40年後の1905年が日露戦争の大勝利、その40年後の1945年が太平洋戦争敗戦、その40年後の1985年はバブルの絶頂と聞くと、たしかにそういうこともあるのかなとはおもう。
この説の真偽はさておき、何ごとも、上がったものは下がり、下がったものは上がりしながら進んでいくのは、真理であるとぼくもおもう。
さて上の説によれば、日本は現在、下がり続ける時期にあたり、底を打つのは2025年、あと10年後であることになる。
ぼくも日本は、あと10年くらいは、経済的にも社会的にも、下がり続けるだろうという感じがする。
しかしそのあとは、日本はまた上昇をはじめるわけだ。
でももちろん、日本が上がりはじめるのを、口を開けて待っていてはいけないのである。
日本が上昇をはじめたとき、先頭を切って走るのは、「今準備した者」である。
下り坂もいつかは底を打つことを見据え、そのあいだに力を蓄えた者だけが、スタートダッシュを切ることができる。
準備には、自分の置かれている立場によって、色々なことがあるとおもう。
しかしどんな立場であってもまちがいなく、「古い価値観から解放されること」は必要だ。
新しい価値観は、つねに「実感」からしか生み出されない。
初めはつまらないように見えるものでも、それがやがて、大きな流れになることは、あるのである。
そして10年後に新しい価値観づくりの主役になるのは、10年後に40代になる、今30代の人だとぼくはおもう。
30代はバブルを経験していないから、古い価値観にしばられにくいとおもうし、また40代は誰にとっても、最も脂がのった年代である。
ぼくはタバコと酒の飲み過ぎで、もう51だし、10年後くらいには死ぬ予定になっている。
でもできれば、日本が立ち上がりはじめるのを見届けてから、「あばよ!」と言って、立ち去りたいとおもっている。
さて本題だが、「残り物処理」である。
残り物処理は、「料理の醍醐味」とも言えるところがあるとおもう。
料理はもちろん、レシピを見たり、自分が何度も作ったりして、作り方がわかっているものを、手をかけ、ていねいに作っていくことは楽しい。
でも残り物処理の楽しさは、それとは全く反対で、「多くの発見が得られる楽しさ」なのである。
「残り物」は、誰でもあまり、気持ちがいいものではない。
だから「残り物を減らす」ための段取りを、やりながら気付くことにもつながる。
また残り物をどうやって料理しようか考えると、思わぬ食材同士がつながり、融合して、新しい料理が編み出されることがある。
これはまさに、「神が宿る」とも言いたくなる、驚きの瞬間なのである。
というわけで昨日は、カブがまだ一株余っていたから、これを豚肉と炒め合わせることにした。
豚肉と、それからシメジは、買い出しをして買ってきた。
カブは、肉と合わせてこってり煮ても、またうまいのである。
カブと鶏のクリームソース煮は、定番中の定番だ。
カブは、厚く皮をむき、上の茎の部分につまった砂を、楊枝などでほじくり出して、タテ8等分に切っておく。
カブの茎と葉は、ざく切りにする。
豚肉は、コマを200グラム、一口大に切っておき、シメジも石づきをとってバラしておく。
合わせ調味料は、オイスターソースとみりん、酒が大さじ1、醤油と砂糖、おろしショウガが小さじ1、それに大さじ1の片栗粉に大さじ2の水を混ぜた、水溶き片栗粉も用意しておく。
フライパンにゴマ油と輪切り唐辛子少々を入れて強火にかけ、まず豚肉を炒める。
豚肉の色が変わったら、合わせ調味料を入れて少し炒める。
水カップ1を入れ、味を見て塩を足し、まずカブ、つづいてシメジ、さらにカブの茎と葉を入れ、煮立ったら中火にし、フタをして10分ほど煮る。
カブは十分やわらかくなる必要はあるが、煮くずれないよう、楊枝などを刺しながら確認するようにする。
カブが煮えたら、改めて味を見て、水溶き片栗粉を入れて強火にする。
軽くまぜ、トロミがついたら火を止める。
ご飯の上にのせ、ゴマをふる。
カブと豚肉の相性も、またいいのである。
それから昨日は、これが新しく編み出された料理なのだ。
大根のサバ酢漬け。
しめサバのつけ酢を舐めてみたら、これが意外にイケるので、冷蔵庫にとってあったのだ。
大根は、初めはおろして、ちりめんじゃこでも掛けようかとおもったが、塩もみすることを思いついた。
塩もみの大根は、前に食べたことがある。
ツナでも乗せたらおいしそうだとおもったが、ここでサバ酢があるのを思い出し、ナマスにすることを思い付いたのである。
サバ酢は同量のみりんと、醤油少々で味をつける。
細く刻んだ大根を一つまみの塩で塩もみし、10分ほど置いたあと、水で洗ってよくしぼり、輪切り唐辛子といっしょに30分ほど漬けておく。
普通のナマスと変わらないが、「サバ風味」というのがポイントである。
ネギ焼き。
ぶつ切りにしたネギを、軽く塩をふってフライパンで焼き、ポン酢醤油と一味をかける。
それに大根の皮と茎、カブの皮、ネギの青いところのじゃこ炒め。
大根の皮と茎、カブの皮、ネギの青いところを細かく刻み、ゴマ油とちりめんじゃこ、輪切り唐辛子でじっくり炒め、酒と醤油で味つけする。
じゃこ炒めは、残り野菜処理には定番中の定番なのだが、これをその場で作るのがポイントだ。
残り物は出ないし、おかずは一品増え、さらに調理中のツマミにもなる。
酒は日本酒。
昨日もやはり、飲み過ぎたのである。
「10年後が楽しみだね。」
お前もスタートダッシュ、切るんだぞ。
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「幸せ」とは何かを考え、やはりぼくにとっては、「だしの利いたカブの吸物かもしれない」とおもったのである。
コメント
blogの内容とは関係なくて申し訳ないのですが、レシピ本の増刷予定はありませんでしょうか?以前、購入を迷っていたのですが、気がついたら在庫切れになってしまいました。。。
残念ながら、増刷の予定はないんですよ。
アマゾンなどで中古品か、コレクター商品を買っていただくしかないんです、スミマセン。
私は煮魚の残った煮汁で
おからを炊くのが好きです。
カブの季節ですねぇ…。
不幸は、自分が不幸だと思うからだと思います。
見方を変えれば、どんなことも
経験や教えだと思えるはずです。
そのためには心に余裕が必要ですが。
うまくいっているときは
ただ感謝。
必死にやってもうまくいかないときは
耐え時だと思ってひたすら我慢。
ずっと続けていれば
また上がってくる。
↑母の教えです。(*^^*)