昨日は昼はビールを飲んでラーメンを食べ、夜はいつも行くバー「スピナーズ」へ行った。
スピナーズで20代の若者と話し、「20代はやはり若い」とつくづくおもったのである。
ラーメンを食べたのは、毎週通っている「新福菜館三条店」である。
あまりにいつも同じものを頼むから、昨日はとうとう、何も言わなくても注文の品が出てくるようになった。
餃子を食べ・・・、
ビールをおかわり。
また餃子。
そして大盛りラーメンねぎ多め。
何度おなじものを食べても、飽きるということがない。
そしてかならず、翌週また、おなじものが食べたくなる。
ラーメンは、食べてだんだん減ってくると、「もう終わってしまうのか」と寂しい気持ちにすらなるのである。
昨日は隣に、やはり餃子を肴にビールを飲み、最後に大盛りラーメンを食べるという、ぼくとおなじ食べ方をしている年配の男性がいた。
大盛りラーメンをどうやって食べるのだろうと気になって、横目で眺めていたのだが、卵は最後の一口を食べる直前に、レンゲですくって「ズルッ」と飲み込んでいた。
「なるほど、こういう食べ方もアリだな」とおもった。
店を出て三条会商店街を歩いていると、越前屋俵太が路上ペイントのイベントをしていた。
工事のため舗装をすべてはがすというので、「その前に子供たちに落書きを体験させよう」という企画である。
たしかに今どきの子供たちは、路上の落書きなどしたことがない子も多いだろう。
嬉々として、道に色を塗りたくっている。
ぼくは見るだけのつもりだったが、係の人にすすめられ、落書きすることになった。
靴が汚れないよう、レジ袋を履くのである。
描いたのは、ニャロメ。
どらえもん。
今しがた食べたラーメン。
アンパンマン。
暴走族風「ヨロシク」。
ラーメン以外はうろ覚えで描いているから、どれもちょっとずつ違うのである。
家に帰って2時間ほど昼寝をし、さらに少し仕事もしてから、いつも行くバー「スピナーズ」へ出かけた。
そうしたら、食べ物メニューがあるのである。
「ラタトゥイユ」と「温玉ほうれん草」、それぞれ300円。
マスターキム君の料理は初めて食べたが、なかなかうまい。
ラタトゥイユはまず具材が変わっている。
定番のズッキーニやパプリカなどは入らずに、ナスにかぼちゃ、ブロッコリーとなっている。
さらにこれらを炒めて煮込む、ふつうのやり方で作らずに、おそらく素揚げし、それをトマトソースでさっと煮るようにしている。
ひねりが利いているのである。
温玉ほうれん草も、色も味も、ラタトゥイユとの対比がよく、さらに温泉卵は自家製なのだそうだ。
キム君は、料理のセンスもかなりのものだと見直した。
スピナーズのカウンターでは、昨日は20代の若者二人と話しをした。
そして「20代はやはり若い」と、つくづくおもったのである。
さて「20代」なのだが、ぼくにとってみれば30代でもすでに「若者」である。
しかし30を過ぎると、自分の残りの人生を考えるようになるからだろう、やはり少し、翳ができるようになる。
それに引きかえ、20代は屈託がない。
「ピチピチ」という感じである。
昨日ぼくは、20代の男性二人にかこまれて、よもやま話に花が咲いた。
おかげで気持ちよく杯がすすみ、また飲み過ぎてしまったのである。
男性は、一人は赤井英和に似ていて、もう一人は佐々木蔵之介に似ている。
初めは赤井英和と話していた。
赤井英和とは、「自炊」の話になった。
赤井英和は、学生時代は自炊していたけれど、今は外食ばかりになっているとのことだった。
ぼくは、
「化学調味料を使わないようにしてみたらいいですよ・・・」
と話しをした。
自炊がなかなか続かないのは、節約以外の「必要性」がなかなか見つからないからだ。
そこで自炊を続けるには、料理を必要よりも「楽しみ」と感じることがコツとなり、特に男性のばあい、何かを楽しみとして感じるためには、それを「理解」することが重要になる。
料理の「核」ともいえる「だし」や「ソース」を化学調味料やレトルトでまかなってしまうと、その部分がブラックボックスになってしまって、理解不能となる。
するとどうしても、「おもしろ味」を感じにくいわけである。
「なるほど、それはたしかに一理ありますね・・・」
赤井英和は感心したようにうなずいた。
そのうち佐々木蔵之介が来て、ぼくの赤井英和とは反対側の隣にすわった。
佐々木蔵之介とは、まず「風俗」の話になった。
大阪で勤めるようになった佐々木蔵之介は、大阪に風俗店が山ほどあるのに腰を抜かし、しばらくは片っ端から通い倒したのだそうだ。
それでぼくは、
「あまり風俗にハマってしまうと、本当の恋愛ができなくなりますよ」
とアドバイスした。
すると佐々木蔵之介は大きくうなずき、
「そうなんですよ、恋愛では相手との距離を、時間をかけて縮めていくことが必要ですが、風俗ではそれが省略されているから、しばらくは勝手がわからなくなってしまって・・・」
と同意する。
しかし今では、風俗は「卒業」し、恋愛の仕方も思い出し、風俗は「他人に誘われたときだけ行く」と決めているのだそうである。
それから3人で、「京都の礼儀作法」の話になった。
岡山から2年ほど前に京都に来た赤井英和は、まだ京都の礼儀作法について、つかみきれないのだそうだ。
「京都は言葉を『贈り物』のように扱うところがあり、褒められたら、かならず褒め返さないと、失礼に当たるんですよ・・・」
ぼくが言うと、
「そうなんですか、それは気が付かなかった」
と赤井英和。
佐々木蔵之介も、
「そうなんですよ、それで相手がそれをわからなくても、京都の人は何も言わずに、
『あ、あいつはわかっていないんだな・・・』
と心のなかで思うんですよね」
と返す。
ぼくは新福菜館三条店で、大盛りラーメンの生卵が「味を変える」ためにあることを、1年半たち、何十回も食べたあとにようやく気付いた話をした。
「それぜったい、『あ、あいつわかってないな』と思われてましたね・・・」
佐々木蔵之介は言うのである。
30代になると「人生」を考えだすから、ぼくもどうしても、人生論をぶってしまい、話が説教臭くなる。
それで30代と話したあとは、後悔することが多いのだが、20代はまだ人生を考えていないから、人生論にもなりようがない。
話題はあれこれ楽しく広がり、ぼくは絶好調になって酒がすすみ、結局焼酎の水割りを4杯飲んだ。
さすがにもうフラフラになってきたから、先に失礼して帰ることにしたのである。
しかしもちろん、帰ってもすぐには寝ないのである。
まだ飲み足りないような気がするから、簡単なつまみをいくつか作り、さらに飲むことにする。
冷奴の一味ポン酢と長芋千切りわさび醤油、それにちくわの酢の物。
ちくわの酢の物は、うすく切ったキュウリを塩もみして洗い、水気をふき取り、やはりうすく切ったちくわと一緒に、酢1:みりん2:うすくち醤油0.5の三杯酢で和える。
飲んでいるうちに記憶がなくなり、どうやって寝たのかも覚えていない。
翌朝起きてツイッターをのぞくと、見覚えのない自分のツイートが連発している。
「まあ当然のことながら、もう一杯飲むわけですよ。
スピナーズで焼酎4杯のんだので、もう寝てもいいはずですけど、やっぱり『飲み過ぎる』ことを実感するまでは、寝る気にならないわけなんですねー。」
そうなのか。
「いや要は、『飲み過ぎた』と思うからこそ、『十分飲んだ』ことがわかるわけですよ。
これは屁理屈でもなんでもないです。たぶん(^o^)」
屁理屈である。
「説教はしなくても、結局やらかしてしまうんだね。
かたじけないよ。
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深酒すれば後悔するのはわかっているのに、昨日はまた深酒をし、真夜中になったのである。
コメント
(あれれ、失敗)
彼の後ろに移っているポン酢のビンが気になります。
「旭ポンズ」?初めて聞いた。京都ではポピュラーなんですか?
これ大阪のポン酢で、やしきたかじんが絶賛したというので有名になったんですよ。
京都には「花菱」というのがあって、それを使うことのほうが多いですかね。
「ヨロシク」は「夜露死苦」がメジャーです
「アイラブユウ」は「愛羅武勇」、「愛裸舞憂」というのもありました
30年ほど前、「妖桜蘭(よーらん)」という暴走族もありました
公園の落書きで「ヨロシク」を「ヨロツク」と書いて笑いものになった
「西讃連合」という方々もいましたっけ
四労四苦って、ほんとおっさんだなと、我ながらおもったですね(^o^)