きのうは、豚ショウガ焼き。
豚ショウガ焼きは、「みそ」を隠し味にするのがコツなんですよ。
世界情勢は、大きく動いているようだ。
イスラム国がヨルダンのパイロット、モアズ・カサスベ中尉の殺害ビデオを公開したことで、ヨルダンの世論は沸騰、ヨルダン政府は、捕らえていたイスラム国の人質2名の死刑をすぐさま執行したが、それで収まるものではないらしい。
ヨルダン政府は、イスラム国にたいして「同等の報復をおこなう」と宣言、アメリカ、イギリスも連帯を表明し、イスラム国にたいする空爆を、さらに強化するかまえという。
「憎悪の連鎖」は、ますます激しく、渦巻いているようだ。
有志国連合の有力な一員となることに、前のめりな安倍くんだから、この状況には煽られまくっていることだろう。
使命感を天高く、燃え上がらせていることと思う。
その安倍くん、
「イスラム国に人質が拘束されていることについて、1月20日以前には、特定できていなかった」
と、きのうになって言いだした。
人質が拘束されているのを知っていながら、中東を訪問し、さらにイスラム国に「宣戦布告」とも受け取られるような演説をしたことを、おととい強く責められたから、
「これはまずい」
と思ったのだろう。
「自分は人質のことは知らなかった」
としてしまえば、責任を逃れられると思ったらしい。
しかし後藤さんがイスラム国に捕らえられ、後藤さん家族に10億円の身代金を要求するメールが届いていたことは、1月21日の段階で「政府関係者」が明らかにしている。
安倍くんが知らなかったはずはないわけで、子供ではないのだから、何でこんなウソをつくのだろう。
また、安倍くんは、「中東での発言が不適切だったのでは?」の指摘にたいし、
「さまざまな情報を共有しており、中東地域の訪問は外務省と官邸が一体となって訪問先を決めた。そこで行うスピーチも、推こうの段階から一緒に作業し、どういう発言をするかも慎重にことばを推こうした。私たちが選んだことばが不適切であったとは考えていない」
「2人の命について考えるのは当然のことで、私は日本の行政の最高責任者として責任を負っている。結果に対しても、当然、私に責任がある。そこに全く思いを致していないかのごとき批判は当たらない」
と答えたとのこと。
しかし、結果として、人質救出が「失敗」したのは事実である。
日本政府には、国民の命をまもる「責任」があるのだし、さらに、
「日本国民には、指一本触れさせない」
「国民の生命と財産とをまもるために自衛隊を派遣する」
というくらい、「国民の命」を大事にするというのなら、まずはその失敗を、湯川さん・後藤さんのご遺族と、国民にたいして「謝罪」するのが筋ではないか?
そういう誠意が、安倍くんには、まったく見えない。
「頭がニブいから仕方ない」
とは思いながらも、ニュースを見るたび、 ぼくはイライラするのである。
さらにきのうは、高村・自民党副総裁も、イラつく発言をしてくれた。
「後藤さんが3度にわたる日本政府の警告にもかかわらずテロリスト支配地域に入ったことは、どんなに使命感があったとしても、蛮勇というべきものであった」
「後藤さんは『自己責任だ』と述べておられるが、個人で責任をとり得ないこともあり得ることは肝に銘じていただきたい」
と語った。
「3度にわたって警告した」というのは初耳で、後藤さんが亡くなったのをいいことに、
「つくり話をしているんじゃないか」
と、ぼくなどは思うわけだが、それは置いておくとして、「蛮勇」というのなら、安倍くんだろう。
緊迫した中東情勢もわからずに、まさに勇敢に、高々と、外務省が止めるのも聞かずに勝手に宣戦布告をし、その結果として、人質2人を死に追いやった。
後藤さんは、湯川さんが誘拐されても、日本政府はヨルダンに職員を派遣もせず、積極的に動く気配がなかったから、
「それでは自分が、湯川さんを助けよう」
と、単身、イスラム国へ向かったのだ。
後藤さんが最後のビデオで、「私の責任です」といっているのは、日本政府にたいする一種の皮肉で、後藤さんは、
「湯川さんの自己責任にしてはいけない」
と思い定め、救出へ向かったのだ。
それを、
「個人では責任をとり得ないこともある」
とは、
「何様だ」
という話である。
「それならお前らは、日本政府としての責任を、どこまできちんと果たしたのか」
と、ぼくなどは言いたいわけだ。
そんなこんなで、きのうも一日、イライラし通し。
酒でものみ、ストレスを解消しないとやっていられないのである。
きのうは長ねぎが余っていたから、これを豚肉と合わせ、炒めることにした。
味付は、ちょっと迷ったのだが、「ショウガ焼き」にすることに決めた。
ショウガ焼きは、意外に奥が深い料理である。
基本は、
「豚肉を、酒としょうゆ、みりん、それにショウガで炒める」
わけだが、これがなかなか、おいしくできない。
どうしても、「コク」が足りなくなってしまう。
そこで、そのコクを足すために、「何か」をしないといけなくなる。
「じっくり炒め、甘みをだした玉ねぎをいれる」
のは定番だし、
「タレにひたしてから焼く」
のも、目的はおなじだろう。
油に「バター」を使う人もいる。
この「ショウガ焼きのコク問題」は、じつは、
「豚肉としょうゆの相性の悪さ問題」
と、一般化することができるのだ。
豚骨だしの醤油ラーメンも、じつはおなじ問題に直面している。
魚のように、塩焼きした豚肉に、しょうゆだけをかけてもおいしくないのは、想像しただけでわかると思う。
豚肉は、塩コショウだけで食べれば、すでに十分コクがあっておいしいのであり、そこにしょうゆを足してしまうから、「コクが足りない」と感じるのだ。
しかし日本人は、しょうゆ好き。
豚肉も、「しょうゆ味で食べたい」と思うわけで、そこからショウガ焼きの苦闘がはじまるのである。
中国で、この豚肉・しょうゆ問題をどのように解決しているのかというと、「八角」などの香料と、ニンニクを加えるのだ。
しかし八角もニンニクも、日本人の口にはイマイチ合わない。
そこで「ショウガを加えよう」となったのが、「豚ショウガ焼き」なのだと思う。
でもショウガだけでは、まだ「役不足」なのである。
韓国では、この問題を「キムチ」をいれることで解決している。
しかしキムチをいれると「豚キムチ」になってしまい、ショウガ焼きにはこのやり方は使えない。
沖縄では、「削りぶし」を、豚肉の炒め物の上からかける。
しかし削りぶしをかけてしまうと、「ショウガ焼き」というには、ビミョウなものになるだろう。
このように、根本的な解決がむずかしい問題をはらむから、ショウガ焼きには、様々なつくり方が生まれるのだと思う。
どのやり方がいいとか、どのやり方が悪いとかいうことではなく、
「それぞれに問題の解決を目指す、色々なつくり方がある」
ことが、ショウガ焼きの魅力であり、奥の深さでもあるだろう。
しかしじつは、ショウガ焼きの豚肉・しょうゆ問題については、「決定打」とも思えるやり方があるのである。
それは、、、
「みそ」
を隠し味として使うこと。
みそは、しょうゆと違い、豚肉との相性が抜群にいい。
これを、あまり目立たないくらいに加えることで、ほかの何をしなくても、一気にコクが増し、味の調和がとれるのだ。
みそは、白みそでないほうがいい気はするが、基本的に何でもいい。
「しょうゆの3分の1量」くらいいれるのが、目安となる。
みそで十分コクが出るから、合わせる野菜も、玉ねぎでなくていいことになる。
きのうは長ねぎ、それに味を吸わせるために、油あげを刻んでいれた。
フライパンにサラダ油を敷き、中火にかけて、豚肉250グラムをいれる。
豚肉が硬くなるから、火を強くしないようにしながらじっくり炒める。
豚肉の色が変わったら、合わせ調味料をいれる。
合わせ調味料は、
- 酒 大さじ2
- しょうゆ 大さじ2
- みりん 大さじ2
- おろしショウガ 大さじ2
- みそ 小さじ2
すこし火を強め、30秒ほど炒めて肉に調味料の味をしみさせ、斜め切りにした長ねぎ1本、刻んだ油あげ(小)1枚をいれる。
上下を返しながら、ネギがしんなりとするまで炒める。
きのうは八丁みそを使ったから、色が濃い。
「ご飯が何杯でもイケる」という味である。
あとは、トロロ昆布の吸物・菜の花と豆腐入り。
トロロ昆布と削りぶしをいれたお椀に、水煮した豆腐、それに菜の花(サッと煮る)を煮汁ごとくわえ、淡口しょうゆで味付して、おろしショウガを天盛する。
白菜のおひたし。
サッと塩ゆでし、水にとってよく絞った白菜を、ちりめんじゃこと味ぽん酢で和え、一味をかける。
それに、すぐき。
酒は、冷や酒。
イライラすることばかり続くわけだが、酒をのめば、それも忘れる。
早くこのイライラが、なくなってもらいたいものである。
「気が短すぎるんじゃない?」
そうかもな。
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