きのうは、タラちり鍋。
日本は、このままいったら、とんでもない苦しみの世界に巻き込まれるのではないかと、心配するのである。
湯川遥菜さん・湯川後藤健二さんの解放のために、イスラム国にたいして日本政府がどのような交渉をしたのかが、国会答弁を通して明らかになりつつある。
交渉最中に詳しいことを明らかにできなかったのは、それは交渉に影響をおよぼすから、もちろんのことだろうけれど、当然、日本政府は、ちゃんと交渉してくれていたと思うだろう。
ところが実際は、日本政府はイスラム国と、まったく交渉していなかったのである。
身代金も用意せず、イスラム国と交渉する気は、「はじめから全くなかった」のだそうだ。
ぼくはこれを聞いて、耳を疑った。
政府は、
「人質の救出に全力を尽くす」
と言っていたはずではないか?
しかし実際は、政府は交渉を、ヨルダン政府にまかせきり、ただ「丸投げ」にしていただけなのだ。
トルコなど、イスラム国にたいする他のパイプを模索することも、まったくしていなかった。
11月に後藤健二さんがイスラム国に拘束され、12月2日の段階で、奥さんの元にイスラム国からメールがあった。身代金の要求もあり、その段階では、10億円とか、20億円とかいう金額だったそうだ。
その段階ですぐに交渉を開始すれば、2億ドル(200億円)などというお金を払う必要もなく、ケタ違いに少ない金で、湯川さん、後藤さんは解放された。
ところが政府は、交渉にむけて、まったく動こうとしなかった。
それどころか奥さんに対し、日本政府はその事実を「口止め」までしたという。
12月14日が総選挙の投票日だから、その影響をおもんばかってのことだという。
安倍首相は、そうして湯川さん、後藤さんがイスラム国に拘束され、身代金の要求まであったことを知っていて、中東外交へ出かけたわけである。
不用意な発言をし、イスラム国を刺激すれば、2人の命が危うくなるかもしれないことは、当然わかっていたはずである。
ところが安倍首相は、中東であのような、イスラム国を、はっきりと敵に回すような発言を、何度もした。
きのう国会で、
「テロに人質を取られている事実を知りながら、なぜあの時期に中東を訪問先に選択したのか?」
との質問にたいする、安倍首相の答弁。
「テロリストの思いをいちいちそんたくして、気を配る、屈することが決してあってはならない」
この安倍首相の姿勢は、
「対イスラム国の有志国連合の有力なメンバーになりたかったから」
だと、元経産官僚・古賀茂明氏は分析している。
「安倍首相は対イスラム国の有志国連合の有力なメンバーになりたかったのだと思います。世界の列強と肩を並べて、認められたい。それが安倍首相の願望であるのは間違いないと思います。そんなときにイスラム国に身代金を払ったことがバレたら、米英に顔向けできなくなる。そんなリスクは背負いたくない。後藤さんの命よりそちらを優先したのです。」
有志国連合の国々でも、アメリカ、イギリス以外の国は、イスラム国に身代金を払い、自国の人質を救出している。
それを安倍首相は、アメリカ・イギリスにいい顔をするために、身代金の交渉をおこなわず、さらにイスラム国にたいして「宣戦布告」とも受け取られかねない発言をし、湯川さん・後藤さんを、いわば「見殺し」にしたのである。
日本にとって、アメリカとの関係が大切なのは、よくわかる。日本は戦後、アメリカと緊密に関係しながら経済を発展させてきたから、アメリカを無視することができないのは、もちろんのことだ。
でもそうした戦後の経済モデルが破綻し、新たな方向を模索しなければならない今、日本は国民の命を犠牲にしてまで、アメリカに追従する必要があるのだろうか?
アメリカ・イギリスと肩をならべて、イスラム国の敵となり、軍事行動をおこなう必要があるのだろうか?
沖縄の辺野古でも、米軍基地建設のため、住民の激しい反対を押し切って、工事が強行されようとしている。
工事を防ぐために、住民らが海上に漕ぎ出すカヌーを、海上保安庁が力づくで排除する。
4キロの沖で、排除したカヌーに乗っていた住民を、海上保安庁はその場に放置したそうだ。
4キロの沖となれば、その場に置き去りにされてしまえば、溺れ死ぬ心配だってあるだろう。
いま日本は本当に、このようなことをする必要があるのか?
国民の命を犠牲にしてまで、アメリカに従う必要があるのか?
ぼくは、思うのだ。
日本には、もっと違った進み方があるのではないか?
このままいったら、日本はとんでもない苦しみの世界に、巻き込まれるのではないか?
ぼくは本当に、心配するのである。
心配しながらも、めしは作らなければいけない。
きのうは魚屋に、タラのあらがあったから、タラちり鍋にすることにした。
タラは、やはり、あらがうまい。
身にくらべて食べ応えがやわらかく、とくに目と口のまわりの、コラーゲンの「ドゥルドゥル」は、たまらない。
鯛やブリなどとちがって臭みもないから、ていねいに水洗いだけして、そのまま鍋にいれられる。
ちり鍋なら、鍋の底に昆布だけ敷いて、ぽん酢で食べればいいだけだから、簡単だ。
ただし、これだとあまりに簡単すぎるのだ。
何もせず、ただ煮て食べるだけだと、料理を作っている気がしない。
なので鍋は、何か一つ、手を加えるようにぼくはしている。
今回は、「昆布と削りぶしのだし」を取ることにした。
タラは、食べ応えはうまいのだが、だしはあまりいいのが出ない。
だから、昆布と削りぶしのだしを取り、みりんとしょうゆでうすく味をつけておくと、ちり鍋はさらにおいしくなる。
鍋に水を張って昆布をいれ、煮立てないようにしながら10分ほど煮出したあと、一つかみの削りぶしをいれて5分ほど煮出し、削りぶしは絞ってとり出す。
ここに、できただしが4カップくらいなら、酒・大さじ1、みりん・大さじ1、淡口しょうゆ・大さじ2くらいで、うすく味をつけておく。
あとはタラと、何でも好きな野菜を10分くらい、コトコト煮る。
きのうは、白菜とネギ、豆腐にニンジンそれからしめじ。
お椀によそい、味ぽん酢と一味で食べる。
素朴な味のタラは、鍋にいれると、しみじみウマイ。
あとは、ホタルイカの酢みそ。
とうとう、ホタルイカが出はじめた。
売っていたのはすでにゆでてあったから、さっと洗って酢みそで和える。
酢みそは、西京みそに同量くらいの酢をくわえ、好みで砂糖を足し、カラシをちょっとくわえる。
ブリ大根の煮汁で煮た高野豆腐。
魚を煮付けた残り汁は、高野豆腐を煮るにもいい。
煮汁は3倍くらいにうすめ、しょうゆを加えて味をととのえる。
水にひたし、両手でよくしぼった高野豆腐を、15分くらい、落としブタをしてコトコト煮る。
それに、すぐき。
酒は、熱燗。
とりあえず、何はなくとも、めしは、食う。
人間は、食わなければ生きていけないのである。
「仕事もね。」
そうだよな。
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