「にしんとナスの炊いたん」は、京都の代表的な家庭料理の一つ。干物である身欠きにしんと京都名産のナスを使った、京都らしい料理である。
このにしんとナス、別煮をするとまたウマイ。手をかけただけのことはある、次元のちがう味になるのである。
身欠きにしんは、京都の人はよく食べる。「にしんそば」など、京都の名物料理ともなっている。
これはまずはもちろん、海が遠く、新鮮な海産物が手に入りにくかった京都で、魚は干物や塩漬けにしたものが多く利用されていたからだろう。
しかし、「なぜにしんか」ということはある。名物とまでなっているにしんは、他の多くの干物にくらべ、京都で特別な地位を有しているようにも見えるのだ。
これはたぶん、身欠きにしんが、煮物に使える数少ない干物の一つだからではないだろうか。
やはり家庭料理は、煮物がおかずの中心になる。煮物に使える干物といえば、あとは「棒だら」くらいではないかと思うが、これも京都では、正月料理には欠かせないものとなっている。
このにしん、「ナス」と合わせるのが定番中の定番だ。
にしんとナスは「出合いもん」と呼ばれ、相性がいいもの同士とされている。
実際ナスは、わりと歯応えがあるにしんと比べてやわらかで、またにしんがクセがあるのに対し、あまりクセはなくてぼんやりしている。この正反対のものを一緒にすると、たがいが相補ってくれるわけだ。
にしんとナスを炊き合わせるのに、一般的なやり方は、まずにしんを煮て、そのおなじ鍋に、下処理したナスを加えること。ネットのレシピを見てみても、見た限りはすべて、そのやり方になっている。
しかしこれを、別々に煮ると、また次元のちがう味になるのである。
にしんとナスを別に煮るのは、いつも行く魚屋のおばさんに教わったもの。おばさんは、当たり前のように教えてくれたから、これが京都の標準的なやり方かと思ったら、そういうわけでもないようだ。
まずにしんを煮て、煮ている途中で、煮汁を別の鍋に取り、それを薄めてナスを煮る。にしんはそのまま、コッテリと煮詰めてしまう。
このような煮方をすると、にしんとナスの対比が、より際立つことになるのである。
にしんは甘辛く、コッテリしている。それに対してナスは、少しうす味であっさりしている。
だからまずコッテリとしたにしんを食べ、つづいてあっさりナスを口に含むと、それが「ホッ」とした癒やしになるのだ。この感動は、一緒に煮てしまったのでは、味わえない。
にしんもナスも、煮時間はそれほど長くない。手間をかけても、時間はそれほどかからないから、ダマされたと思って別煮してみるのは、とてもおすすめなのである。
身欠きにしんは、ソフトタイプのものを使う。
これが全国的に売られているものかどうかは分からないのだが、カチコチの身欠きにしんが、戻すためには一晩米のとぎ汁にひたし、さらに番茶で1時間ほど煮ないといけないのに対し、すぐに使い始めることができる。
ただし、アク抜きは必要だ。
水で1分ほどゆで、ゆで汁は捨てる。
それからナス2本も下ゆでする。
2センチ幅くらいに切り、塩は入れずに1~2分。
改めて鍋に5センチくらいのだし昆布と、下ゆでしたにしんを並べる。
ここに、
- 水 2カップ
- 酒 大さじ3
- みりん 大さじ3
- 砂糖 大さじ3
をまず入れて、5分くらい弱火で煮、つづいて醤油・大さじ3を入れて、さらに10分くらい煮る。
計15分煮たところで、煮汁を半分くらい、別鍋に取る。
水で1.5倍ほどに薄め、さらにこのままでは少し甘すぎるから、醤油をちょっと加えて味をととのえ、下ゆでしたナスを入れて、弱火で5分くらい煮る。
火を止めてから、ナスを鍋に入れたまま冷まし、味をしみさせる。
にしんは、引きつづき落としブタをして弱めの中火くらいで煮て、煮汁がちょっとドロッとしてくるまで煮詰める。
にしんとナスを皿に盛り、にしんにはコッテリした煮汁をかけて、粉山椒と一味を振る。
これはほんとに、たまらない味なのだ。
さてここで、ナスを煮た鍋には、まだ煮汁が残っているはずだ。
この煮汁で、シメにそうめんを煮ると、またたまらない。
ナスの煮汁は、さらに同量くらいの水で、2倍に薄める。
そうめんは、水でゆでずにそのまま入れ、1分ほど、固めに煮る。
さらに今朝、皿に残ったにしんの煮汁を、ソーミンチャンプルーを作るのに使った。
これがまたウマイのも、言うまでもないのである。
あとは、オクラととろろ昆布の吸物。
お椀にとろろ昆布と削りぶし、薄い小口切りにしたオクラを入れ、お湯を注いで淡口醤油で味をつける。
梅かつおの冷奴。
梅かつおは、梅肉と、見た目同量くらいの削りぶしを包丁でよく叩いてペースト状にし、やはり見た目同量くらいのみりん、それにほんのちょびっとの淡口醤油で溶きのばす。
それに、冷やしトマト。
酒は、冷や酒。
肴がうまいと、酒もうまい。
うまいのだから、多少飲み過ぎたとしても、仕方ないのである。
「飲み過ぎない人だっているんだよ。」
そうだよな。
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