きのうは、紅鮭の粕汁。
京都のソウルフードは、粕汁だ!
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京都のソウルフードといえば、粕汁だ!
と、勝手に決めつけるわけで、京都の人は、「なんだそれは」と思うかもしれないが、京都の人の話を聞くと、たしかにそうとしか思えないのだ。
「お母さん・おばあさんの味は粕汁」
という人はザラだし、
「地球最期の日には、粕汁が食べたい」
という人もいる。
粕汁への想いは熱く、それぞれに、食べ方のこだわりがある。
この熱さは、まさに「ソウルフード」と呼ぶのにふさわしいと、ぼくには思える。
京都の人が、なぜここまで粕汁が好きかについて、ぼくなりの推測がある。
京都の人は、まず、
「ドロドロとした白い汁物」
が好きなのだ。
「白みそのお雑煮」がそうだし、京都発祥のラーメンチェーン「天下一品」も、やはりそう。
またその白い汁に、ニンジンの赤い色がのぞいているのが、いかにも「オシャレ」。
粕汁は、まさにそのような作りになっている。
それから次に、京都の人が好きだと思えるのは、「廃物利用」。
煮魚の汁でおからを炊いたりするのが代表だが、廃物を捨てないで、リサイクルすることに長けている。
酒粕は、そういう意味では、
「酒をしぼった後のカス」
なのだから、まさに廃物。
それをうまく使っておいしい料理にすることに、京都の人は、情熱を感じるのではないだろか。
「粕汁」はこのように、京都の人の食の好みを、よく反映した食べものであるように思えるのだ。
京都では、粕汁は大きく分けて、
- 豚肉派
- 紅鮭派
- 精進派
の3派がある。
それぞれ好みはハッキリしていて、絶対に譲らない。
ぼくは府外の出身だから、とりたてて「どれ」とは思わないが、おなじ粕汁でも、豚肉と、紅鮭とでは、
「料理の構成が全然ちがう」
と思えるのが、おもしろい。
「料理の楽しみ方」が、まったく別のところにあるのだ。
「豚肉の粕汁」の場合、やはり本領は、
「粕汁のドロッとした食べ応えを、豚肉がさらに強化する」
ところにある。
酒粕と豚肉が渾然一体となり、「ドロドロワールド」をつくり出すのだ。
それにたいして「紅鮭の粕汁」は、紅鮭と酒粕とは、ハッキリと分かれている。
紅鮭は「塩鮭」だから、塩っぱいわけで、その塩っぱさを、甘い粕汁が癒やすようになっている。
紅鮭と酒粕に、「主従」の関係があるわけだ。
どちらもおいしく、ぼくは軍配を上げられないが、粕汁をつくる場合には、豚肉と紅鮭では、味付がまったくちがうから、気をつける必要がある。
豚肉をいれる場合は、豚肉には味がないから、塩味をそれなりにつける必要がある。
塩味は、「みそ」をいれる人も多いようだ。
それにたいして紅鮭の粕汁は、塩気はほとんど必要ない。
紅鮭にかなりの塩があるからで、
「甘すぎる」
と思うくらいにしておいて、食べるとちょうどいいことになる。
きのうはこの紅鮭の粕汁、「オーソドックス」と思われるやり方でつくってみた。
紅鮭はあまりだしが出ないから、昆布と削りぶしのだしを取る。
具は、紅鮭以外には、短冊にした大根とニンジン、それに油あげ。
器によそって、青ねぎをたっぷりと振りかける。
鍋に水4カップをいれ、10センチくらいの昆布を煮立てないよう、10分くらい煮出したあと、1つかみの削り節を5分くらい、やはり煮立てないようにしながら煮出す。
削りぶしは絞ってとり出し、このだしで、味は何もつけないで、食べやすい大きさに切った紅鮭(切り身でもあらでも)と、短冊の大根・ニンジン・油あげを、5分くらい煮る。
煮ているあいだに、だしを器にすこし取り、酒粕を溶きのばす。
酒粕の量は「お好みしだい」で、たくさん入れればドロリとするし、すこし入れればシャバッとするというだけの話で、どちらもうまい。
5分煮たら、酒粕を溶きいれて、さらに5分くらい煮る。
味付はまったくしないで、とりあえず食べてみて、どうしても塩気が足りなければ、塩を足すのがおすすめだ。
お椀によそい、青ねぎをたっぷりかける。
塩辛い紅鮭と、ポタージュスープのような、甘い粕汁、、、死ぬかと思うほどウマイ。
あとは、炙りカマスゴのショウガぽん酢。
白めし。
それに、すぐき。
粕汁は、「米」が原料なわけだから、白めしにも大変よく合う。
酒は、熱燗。
きのうもまた、
「うめ~な~、うめ~な~」
とつぶやきながら、幸福の絶頂へと、いざなわれたわけなのだ。
「京都の人と粕汁の話をすると盛り上がるよね。」
そうなんだよな。
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