きのうは鶏のテリヤキと、その残り汁をつかった焼きうどん。
自炊は、「人間の基本」なのだ。
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「自炊」というと、何となく、うら寂しいイメージがあると思う。
特に男性が自炊しているとなると、それにたいする多くの人の反応は、
「大変ねえ、、、早くお嫁さんもらいなさい」
となるのではあるまいか。
たしかに、男女同権が進んだ今の時代でも、
「男性は奥さんに食事を作ってもらうのが普通」
なのだろう。
自炊をする男性は、お金がなくて結婚できないか、またはマニアックな、ちょっと変わった人だと思われがちなのではないか。
もちろんぼくは、「自分が変わった人間である」ことについては、自負している。複数のバーのマスターに、そろって「アクが強い」と言われるほどで、うざったいくらいに違いない。
しかし、こと「自炊」については、それを「寂しいこと、変わったこと」ととらえる風潮のほうが、
「まちがっている」
と思うのだ。
「自炊こそは、人間の基本」
だと、ぼくは心底、思うのである。
「生きる」とは何かといえば、もちろん答えは、人の数だけあってもおかしくないだろうけれど、
「まず第一に、食べること」
であるのは、誰でも同意するだろう。
生きものは、何がなくても、食べなければ生きていけない。
仕事などその他多くは、食べるためにあることだ。
しかもどういうわけなのか、人間だけは、毎日ちがうものを食べないといけない。
パンダなら、笹の葉だけを食べていれば、それで幸せなのだろう。でも人間は、食べものだけは「飽きる」から、おなじものを食べ続けることができない。
毎日、毎食、
「何を食べるか」
に、頭を悩ませないといけないのである。
人間が、もし「真剣に生きる」ことがあるとすれば、この「何を食べるのか」を真剣に考えることではないだろうか。
それを考えることを放棄して、ただ奥さんなど、人の言うなりになっている人は、ぼくに言わせれば、
「生に向き合っていない」
のだ。
そう言うと、
「いや、ぼくは毎日外食で、どの店で何を食べるか、真剣に考えている」
と言う人もいるのではないか。
ならばそういう人には、
「お前は外食で、自分が心から食べたいと思うものを食べられているのか」
と、聞き返したい。
外食で何を食べるかは、あくまで「選択」の問題だ。
ぼくは以前アメリカで、「これは冗談か」と思ったことがあるのだが、街のハンバーガー屋に、
「256通りのチョイスができる!」
と宣伝文句が書いてある。
256通りというと、いかにも多そうに思えるのだが、フタを開ければ、「8種類のトッピング」を、付けるか付けないかを選べるだけという話だった。
8種類を、それぞれ選ぶか、選ばないかの場合の数は、2の8乗だから256通りになるわけだが、そんなものを選ぶより、店主が「ほんとうにおいしい」と信じる、一種類を出してくれる方が、よほどうまいハンバーガーが食べられるのではないか。
これは極端な例としても、似たようなことは多いだろう。
「自由」は、「選択肢が多いほど広がる」と、思う人も多いであろう。都会に行けば、外食店は山盛りあるし、スーパーでも大きいところは、様々な食材を売っている。
しかし、一見選んでいるようにみえても、その中に、自分がほんとうに食べたいものがないことだって多いはずだ。
食にかんする自由とは、あくまで、
「自分が食べたいものを食べる自由」
なのであり、単なる「選択の自由」ではないのである。
自分がほんとうに食べたいものは、自分の体と相談しながら、よくよく考える以外には、見つけることはむずかしい。
その自分が食べたい通りのものを、毎日食べ続けることは、自分でつくる以外には、方法がないのではなかろうか。
そして、自分が思いえがいた通りのものを実際につくって、食べるときには、
「巨大な幸せ」
がおとずれる。
ぼくはこれこそが、
「生きるよろこびの基本」
であると、思えるのだ。
だから、たとえ奥さんがいる人でも、
「食事の半分は自分でつくれ」
と、ぼくは言いたい。
自炊には、それだけの価値があるのである。
さてきのうは、「鶏のテリヤキと、その残り汁をつかった焼きうどん」をつくった。
これは先日、酒房「京子」で食べた3品を、一皿に再現したものである。
京子の女将・京子さんは、おいしくて、しかもそれほど手がかからないものを作る天才だと思う。
食べたものは、どうしても真似してみたくなってしまうのだ。
まずは、フライパンにサラダ油・少々を引き、京子さんは胸肉を使っていたが、きのうはモモ肉、それに木綿豆腐と横に切った玉ねぎを、中火で焼く。
箸でひっくり返し、表と裏に、かるく焼き色がついたところで、
- 酒 大さじ2
- 砂糖 大さじ2
- しょうゆ 大さじ2
をいれる。
2~3分煮込んだら、これだけまず、皿に盛る。
フライパンには、鶏のうまみがたっぷり出た汁がたまっているはずだ。
この汁で、まずうどんを炒め、それから、京子さんは油揚げをいれていたが、きのうはシメジ、それにほうれん草をサッと炒める。
鶏肉には、一味と粉山椒をたっぷりかける。
鶏肉に、甘辛いしょうゆ味は、まさに黄金。
味を吸ったほうれん草が、またうどんによく合うのである。
あとは、とろろ昆布の吸物。
カマスゴのフライパンで炙ったのを、ショウガぽん酢で。
それに、すぐき。
酒は、熱燗。
きのうも、たいへん気持よく酔っぱらった。
「彼女に半分、作ってもらえるようになるといいね。」
そうだよな。
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