きのうは、水菜の鶏すき。
自炊は、「作品」を製作するつもりでやるのがいいのだ。
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自炊は、「作品」を製作するつもりでやるのがいいのだ。
これはほんとに、正真正銘の「作品」で、料理を「創作活動」と呼んでしまって、まったく何の差し障りもない。
だいたい料理ほど、裾野が広く、奥が深い文化はない。
なにしろ人類100万年の歴史にわたり、例外なくすべての人が、しかも毎日、食べるなり、作るなりして関わってきているのだから、その蓄積たるや、膨大なのだ。
もちろん、作品を製作するには、ある程度の時間がかかる。
ぼくの場合、構想と買い物に1時間、それから料理に、最低でも1時間は、毎日かかる。
「毎日2時間をかける」となると、ためらう人がいるのも分かるけれど、これは何のことはない、
「心の持ちよう一つ」
なのだ。
料理を「おもしろい」と感じさえすれば、そのくらいの時間を費やすことは、苦痛でも何でもない。
誰だって、ぼんやりと1時間くらい、テレビを見たりする時間をあるだろう。
それを料理に当てればいいだけの話で、テレビを見るより、仕事の疲れをよっぽど癒やすことができる。
なぜなら料理は、「自分自身でつくり上げていくもの」なのだ。
頭のなかで、つくる料理のヒントが生まれ、それをこねくり回しているうちに、食べたいもののイメージがだんだんはっきり見えてくる。
そのイメージが、細部まで明確になったところで、実際につくり始める。
もうそのころには無我夢中、時間がたつのなど忘れるはずだ。
そしてできた料理をテーブルに並べ、箸をつける。
自分が思ったとおりにできた時には、大きな達成感と、満足感がある。
しかも料理が、並みの芸術作品とちがうのは、
「自分で食べることができる」
ことだ。
思っていたとおりの料理は、まさに「死ぬほど」と言いたくなるほど、ウマイ。
自炊を「作品製作」ととらえれば、これだけの感動を、毎日味わうことができる。
それこそが、
「幸せ」
ではないかと、ぼくなどは思うのだ。
さてきのうは、「水菜の鶏すき」にした。
「水菜と鶏肉が冷蔵庫に入っていたから」ということも理由だが、先日「京子」で食べて以来、ぼくはすき焼きにハマってしまった。
何しろ、つくるのが異常に簡単。
しかもすき焼き味は、日本人の「王道」だから、うまいことこの上ない。
材料は、肉は牛肉か鶏肉だが、鶏肉だと、やはり安い。
野菜は水菜はもちろん、白菜、ねぎ、きのこ類、糸こんにゃく、そして豆腐などなど、何でもいいが、一人暮らしの場合には、数をできるだけ絞るのが、野菜を余らせないためにはいい。
それから鍋は、テフロンのすきやき鍋が見た目はいいが、フライパンで問題ない。
キッチンで全部つくってしまい、フライパンごとテーブルへ持ってくるのが一番ラクだ。
まずフライパンにサラダ油少々を引き、中火にかけて、鶏、きのうはモモ肉を、皮を下にしてじっくり焼く。
皮にこんがりと焼き色がついたらひっくり返し、さらにすこし焼く。
酒と砂糖、しょうゆをそれぞれ「大さじ2ずつ」いれ、食べやすい大きさに切った豆腐と玉ねぎを加えて、中火のまま5分くらい、途中でひっくり返したりしながら煮る。
最後にざく切りの水菜とたっぷり加え、1~2分煮て火を止める。
卵を溶きほぐした器にいれ、好みで一味と粉山椒をかける。
酒にもご飯にも、「バッチリ」の味なのだ。
食べ終わったら、フライパンには、鶏のうまみがたっぷりと出た汁が残っている。
この汁で、まずうどんと油あげを、ちょっと強めの火で炒め、汁気がなくなってくるころに、水菜を加えてサッと炒める。
このうどんがまた、爆烈級のウマさ。
完全にノックアウトされることになる。
酒は、熱燗。
日本人には、やはり「日本の味」は、たまらない。
「一味と山椒がポイントだよね。」
そうなんだよな。
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