アサリのにゅうめん/「楽しさ」を追求するからダメなのだ

アサリのにゅうめん その他魚料理

きのうは、アサリのにゅうめん。

アサリのにゅうめん

「楽しさ」を追求するからダメなのだ。

 

 

実山椒を買ってあって、冷蔵庫に入れっぱなしで3日が経ってしまったから、きのうこそは下処理をしないといけなかったのだ。

実山椒

実山椒はいまの時期に出回るもので、これをサッと湯がいて冷凍すれば、1年でも2年でも保存がきく。サンマやイワシを山椒煮にしたり、ちりめん山椒をあつらえたりと使い道は多いので、ぜひやってみるのがオススメなのだ。

 

ただし面倒なのが、茎を取ること。莫大な数の実があるから、チマチマと作業しないといけない。

実山椒

一人分の大した量ではないものでも、小一時間がかかってしまった。

でも、こればかりは仕方ないのだ。

 

サッと湯がいてザルに上げ、、、

実山椒

 

スプーン1杯くらいずつの小分けにしてラップに包む。

実山椒

懸案が、何とか処理できてホッとした。

 

 

このところ、2ちゃんねるのクソ馬鹿どものことをあれこれと考えているのだ。差別団体「在特会」も、起源は2ちゃんねるなどのネットにあると言われている。

なぜああやって、例えば「在日特権」のような根も葉もないデマをでっち上げ、それを根拠に差別という犯罪行為を平気で行うことができるのか、色々な分析がされているようだ。

それらについては詳しくないから、ここでは紹介できないが、ポイントは、「奴らが差別を楽しんでいる」ところにあるのではないかと思うのだ。

 

在特会の連中は、差別扇動を行うとき、薄ら笑いをうかべている。大笑いをしながら、韓国の国旗を踏みつけにする動画などもある。

奴らにとって、差別は「娯楽」なのである。「楽しい」ことが第一で、そのためには手段を選ばないということなのだと思う。

 

そのような風潮の、起源がどこにあるかといえば、「バブル」なのではないだろうか。

フジテレビは、バブルまっ盛りの1981年、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを掲げ、「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも」などのバラエティー番組をスタートさせた。それによってフジテレビは一気に火がつき、翌年には年間視聴率三冠王を獲得する。

このバブル時代の精神「楽しくなければ・・・」が、いまに受け継がれてきた結果として、あの差別を楽しむクソ馬鹿どもが生み出されてきた気がするのである。

 

バブル期の精神をいまだに引きずっているなど、時代遅れであるのは言うまでもない。バブルが崩壊したのは、それまでの日本のやり方が、何か根本的にまちがっていたことを意味するのだから、であればそれを反省し、次へどう進んだらいいかを新たに考えなければいけないはずだ。

 

でも在特会がいまだ活動し、2ちゃんねるにも人が集まり、さらにいえば、あの復古主義のクソ首相があれだけ支持されていることは、日本には、それができない奴らが大勢いることを意味するだろう。

そういう奴らは日本の足を引っぱるだけなのだから、駆逐されていかなくてはいけないのだ。

 

それでは「楽しさ」に代わり、何を中心に据えるべきなのだろうか。

それが、「幸せ」なのだと思う。

 

やはりバブルまっ盛りの1986年、当のお笑いブームの立役者・明石家さんまが、ポン酢しょうゆのCMで、
「幸せ~って、何だ~っけ、何だ~っけ」
と歌った。

オレはその時、20代だったけれど、「あ、そういえば幸せって何だっけな」と思った記憶がある。「幸せ」が何かなど、それまで考えたことがなかったのだ。

ポン酢しょうゆのCMでは、最後のオチは、
「ポン酢しょうゆのある家さ」
となるのだが、もちろん幸せとは、そんなものであるわけはない。

 

「幸せ」は、高度経済成長期には、考えるまでもないことだった。
「いい高校を出て、いい大学を出て、いい会社に就職し、結婚して家庭を築き、車を買い、家を建てること」
だと決まっていたからだ。

オレの親の世代などは、それを真剣に信じて実行し、子供にもそう教育した。それが「戦後の復興」だったのだろう。

 

しかしオレたち子供の世代は、それを信じてはいなかった。まあ信じてなくても、素直な奴はそれに従うわけで、そいつらは、いま頃幸せな人生を送っていることと思うが、オレのように素直じゃないのは、そこからはみ出していくわけだ。

バブルが崩壊したいま、若い人たちが上の高度成長期の幸せに同意することは少ないだろう。就職や結婚、家を建てること自体がすでに、多くの人にとって困難なものになっているからだ。

 

古い幸せの概念が崩壊したいま、「それでは幸せとは何なのか」を新たに問うことこそ、これからの時代を切りひらくとオレは思う。

古い幸せの概念が、日本の高度成長を駆動する原動力になったように、新しい幸せの概念こそが、新しい日本をつくり上げるのではないだろうか。

 

その際大事なのは、「幸せは生活の中でのみ、感じられるものだ」ということ。

そして生活の中心は、「食」であるということだ。

 

 

さてきのうは、おとといコッテリとしたものを食べ過ぎていたので、アッサリしたものが食べたかったのだ。

アサリのにゅうめん

そこで、アサリのにゅうめん。

 

アサリの旬は、もう終わりである。といってアサリは1年中食べられるものなわけで、旬の時期は「とくにおいしい」という話で、ほかの季節のアサリがまずいというわけではない。

実際、きのう買ったアサリも身入りはよく、大変うまかった。

 

アサリの食べ方は色々あるが、一つを上げるとするならば、やはり吸物。酒と少しのしょうゆだけで味付するから、アサリそのものの風味をもっとも楽しむことができる。

きのうはこれにそうめんを入れたわけで、これがうまくてたまらないのは知れた話だ。

 

アサリは海水くらいの濃さの塩水に1時間くらい浸しておく。

アサリのにゅうめん

ただしアサリはスーパーなどで売られる時点で、すでに砂出しされているから、これは「念のため」という話で、それほど神経質にならなくていい。

それより大事なのは、アサリを「しっかり洗う」ことだ。

アサリは殻に、臭みの元がついている。水を4~5回は替えながら、両手であさりをすくい上げ、ガシガシと擦るようにして、水が濁らなくなるまでやる。

 

アサリが300グラムなら、水の分量は3カップ。

アサリのにゅうめん

酒・大さじ3を入れて弱めの中火にかけ、出てくるアクを取りながら、アサリの殻がひらくのを待つ。

 

殻が全部ひらいたら、味を見ながら淡口しょうゆ・小さじ3くらいで味付して火を止める。

どんぶりに1分ほど湯がいて水にさらしたそうめんを入れ、吸物を注いで青ねぎをかける。

 

好みで一味をかけても良い。

アサリのにゅうめん

 

そうめんにアサリのうまみが染みるのが、またたまらないわけである。

アサリのにゅうめん

 

 

あとは、セロリの葉の卵炒め。

セロリの葉の卵炒め

オリーブオイル少々でセロリの葉をサッと炒め、砂糖・小さじ2分の1、淡口しょうゆ・小さじ2分の1、塩・ほんの少々をくわえた溶き卵2個分を流し込んで、あまり混ぜ過ぎないようにして大きめにまとめる。

粗引きコショウをかけるとウマイ。

 

それにおとといのミートボールトマト煮。

ミートボールトマト煮

 

冷やしトマト。

冷やしトマト

 

 

酒は、冷や酒。

冷や酒

うまいものを食べるたびに、牛丼やコンビニ弁当しか食べない2ちゃんねるのカス共に対して、「ザマアミロ」とつぶやいているのである。

 

「べつに他人を貶さなくてもいいんじゃないの?」

チェブ夫

そうだよな。

 

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