元旦のきのうは正月料理。
お正月料理は、勉強になりますわ。
ぼくは、家で「ごちそう」をつくる趣味は、あまりないわけですよ。ごちそうは外で食べればいいのであり、家では安く、それでいておいしい、「家庭料理」をつくればいいという考え。
なので、「おせち」にも、自炊をするようになってもしばらくは興味がなかった。
時間をかけ、チマチマつくるのも馬鹿らしく、出来あいのおせちを買っていた。
だいたいぼくは、栗きんとんとか黒豆とか、ああいうモッソリとした甘いものが、あまり好きではないのもある。
でもその考えが変わったのは、京都へ来てから。「好奇心」が湧いたんですよね。
京都では、魚屋でも八百屋でも、お正月前になると、そのときしか並ばないものが出てくる。
「せっかく京都にいるのだから、京都ならではの食材をつかって料理がしてみたい、、、」
そうおもうようになった。
それが、おせちとまでは行かないけれど、お正月のごちそうをいくつか作ってみるようになったきっかけです。
するとこれが、「とても勉強になる」ことがわかった。
お正月の料理は、昔の料理のやり方を、いまに残す役割をはたしている。
どんなものでも、深く学ぼうとおもえば、「古典」にふれることは大切。文学でも音楽でも絵画でも、古典こそは、その文化の大元のルーツをさし示すものになる。
料理の古典は、まさに「正月料理」だということ。
それで今年も、正月料理を6品つくった。
鯛(あら)の塩焼きに、白みそのお雑煮、いもぼう、真ダラの子とフキの煮物、堀川ごぼうの煮物と、紅白なます。
いずれも京都・正月料理の「代表」といえるとおもいますけど、学ぶものは多かったです。
中でもとくにおもしろいのは、いもぼう。
棒ダラと海老芋を煮たもので、
「昔の人は、魚をこうやって食べていたのか」
と、感心する。
「棒ダラ」は、見たことも聞いたこともない人が多いでしょうが、腹びらきにしたタラを、カチンコチンに干し上げたもの。
京都では、これが12月に入ると、魚屋の店先にならぶようになる。
水分を完全にとばしてあるから、長期保存はもちろん可能。昔は京都以外でも、年中棒ダラを食べたみたいで、九州で育った檀一雄は、著書『』で、「おばあさんがよく、棒ダラの煮物をつくってくれた」と書いている。
明治生まれの檀一雄の、「おばあさん」なのだから、江戸時代の人でしょう。
でも鮮魚がいくらでも流通するようになったいま、こんな棒ダラをわざわざ食べる必要はなくなった。京都以外では、もう棒ダラは、ほとんど食べないんじゃないですか?
その「料理のシーラカンス」のような棒ダラの煮物を、京都ではいまだに正月になると、家庭で大々的につくるのだから、「さすが京都は伝統を重んじる街」と感心することしきりです。
この棒ダラ、なぜ食べなくなったかといえば、
「つくるのにエライ手間がかかる」
からなのは、まちがいないところ。
まず一週間かけ、毎日水を替えながら水にひたし、もどさないといけない。
自分でやる人も多いようだけれど、ぼくはそこまではできないから、魚屋でもどし、小分けにパックしてくれたのを買ってくる。
でもそれで終わりではないんです。
まだその先に、長い長い工程が待っている。
まず水で5分くらい煮立て、火を止めてしばらくおく。
冷めたところで、アクのでた水を捨て、新しい水にいれかえて、5~8時間ひたしておく。
こうして徹底的にアクをぬき、それから味をいれていく。
まずたっぷりの昆布と削りぶしのだしで、3~4時間、コトコト煮る。
タラはもともと、うまみが少ない魚であるうえ、徹底的なアクぬきで、うまみもぬけてしまっている。
だからまずだしを使い、うまみをいれるのだとおもう。
次に砂糖をいれ、さらに30分煮る。
海老芋は、ここでいれる。
最後に砂糖と同量の、酒、みりん、しょうゆをいれて煮るのだけれど、おもしろいのは、魚屋でもらった作り方のパンフレットをみると、煮時間は「5分」となっていること。
ほとんど煮ず、煮詰めもせずに、煮汁にひたしておくだけで味をしみさせるようになっている。
これはもちろん、ふつうの煮魚同様、煮詰めて悪いわけではなく、実際魚屋でおそうざいとして売られている棒ダラは、煮詰められている。
これはたぶん、「煮詰める料理法」が開発される、その前のつくり方ではないかとおもうんですよね。
いもぼうが開発されたのは、300年前の享保年間、江戸時代中期とのこと。
それにたいし、魚などを煮る際に、煮詰めてトロリとさせるのは、「濃口しょうゆ」の存在が前提となることを考えれば、そのやり方が開発されたのは、濃口しょうゆが発明された、江戸時代中期以降なのではないか。
いもぼうの開発は、煮詰める料理法より、さらに古い、、、
パンフレットのつくり方は、「それを意味しているのではないか」と、今回いもぼうを作ってみて、おもうことしきりです。
こうして、エライ手間をかけてつくった、いもぼう。
これがほんとに、しみじみ、うまい。
前につき合っていた女が、京都・円山公園ちかくの店「いもぼう」でこれを食べ、「マズイ」とぬかしたんですが、味のわからないやつでした。
歯ごたえのある棒ダラと、ネットリとした海老芋は、このうえない相性のよさ。
それはもちろん棒ダラは、今どきの鮮魚にくらべれば、脂もぬけ、うまみも少ない。
でも干されることで、逆にタラ独特の、モッソリとした食べごたえと、しみじみとした滋味は増していて、
「これが昔の味なんだな」
と、つくづく実感するわけです。
こうして、300年前の昔の味を、家の台所で再現すること。
これも「料理の大きな魅力」だし、正月料理を作ることのたのしさはそれだと、ぼくはおもいます。
今回は、正月料理をあと5品つくったのだけれども、「味付がそれぞれにちがう」のも、おもしろいところだった。
まずお雑煮。
昆布だしをしっかり取り、さらに白みそは、ふつうの味噌より「倍くらい」の分量、たっぷりいれるのがコツ。
京都では、小さな里芋「小芋」と、小さな大根「祝大根」、それに「金時人参」をいれるのが定番で、さらに家長は、餅のかわりに「殿芋」とよばれる大きな里芋をいれるそう。
削りぶしをかけて食べる。
真ダラの子とフキの煮物。
真ダラの子は、魚屋で下ゆでしてくれたのを買ってくる。
1センチ幅くらいに切り、下ゆでしたフキといっしょに5分くらい煮る。
味付は、昆布と削りぶしのだし1カップにたいし、
- 酒 大さじ1
- みりん 大さじ1
- 淡口しょうゆ 大さじ1
の、関西風のうす味。
ちなみにフキの筋をとるのは、下ゆでしてからやるのが普通だけれど、それだと鍋にいれるためにフキを短く切るから、手間がかかって面倒くさい。
下ゆでするまえ、長いままの生のフキの端っこから、筋を爪ではさんでピーッとむくと、一気に下までむけてラクチンっす。
堀川ごぼうの煮たの。
堀川ごぼうも京野菜の一つで、一度ぬいたゴボウを、また土に埋めてつくるのだとか。
太っといことを除けば、味は普通のゴボウとおなじで、扱い方もおなじ。
洗ってぶつ切りにし、水にさらした堀川ごぼうを、1カップのだしにたいして、
- 酒 大さじ1
- みりん 大さじ1
- 濃口しょうゆ 大さじ1
の味付で15分くらい、やわらかくなるまで煮る。
紅白なます。
細く切った大根と金時人参を、塩もみし、しばらくおいてよく絞り、同量の酢と砂糖、塩少々であえる。
鯛あら塩焼き。
普通は尾頭つきの鯛をつかうわけだけれども、あらのほうが安くてうまい。
味付がそれぞれにちがうのは、あらかじめ意識したわけではなかったけれど、「お正月料理」というものが、様々な味付を自然にふくむ、「味の博覧会」のようなものなのでしょう。
酒は、熱燗。
昼間から、ごちそうを食べて酒をのみ、いや、いい気分だったですわ。
「お正月は天国だね。」
ほんとだな。
◎関連記事
「炊き合わせ」の楽しさを知ったのである。(鶏とゴボウの煮物)
和食は自分で作れば安いのである。(芋棒、真鱈の子とフキの煮物)