一昨日、いつも買い物をしている商店街で、正月料理の買い出しをしてきた。
自分でもいくつか正月料理を作ろうと、準備を始めているのである。
京都へ来るまでは、おせち料理など興味がわいたことはなく、出来合いのものを買っていたのである。
ぼくは以前は、「手をかけずに料理を作る」ことが身上で、チマチマと細工をしていくおせちなど、その対極にあるものだと思っていたからだ。
今でももちろん、「それをほど手をかけていないのに、うまいものを作る」ことには尊敬の念をもっている。
日常の生活で、何でもかんでも100パーセント、手をかけてはいられない訳だから、「上手に手をぬける」ことは、一種の「名人芸」とも言えるのではないだろうか。
しかしそのぼくが、「手をかけることの楽しさ」を知ったのは、京都へ来てからのことなのだ。
京都の人は、飲食業の人などに限らず、ごくごく一般の人でも、「食」にたいする強いこだわりを持っているとぼくは感じる。
京都の人が「薬味」を料理に応じてあれこれ使い分けるのは、よく知られていることだと思う。
ぼくが感心したのは「下ゆで」で、普通なら下ゆでしないだろうと思える「小松菜」でも、京都の人は煮物に入れるときにはきちんと下ゆでするのである。
そんな京都の人に影響され、ぼくも徐々に、「ていねいに料理を作る」ことを覚えるようになった。
料理はていねいに作ると、「幸せが増す」のである。
そうなると気になるのは、「京都の正月料理」だ。
京都には、独特の正月料理がいくつもあるからだ。
いつもお世話になっている八百屋や魚屋も、正月前になってくると、見たこともない野菜や魚を置くようになる。
そうなると、それを使って、自分でも京都の正月料理を作ってみたいと思うようになるわけだ。
それでこの2~3年は、まずは京風の雑煮と、それから「棒ダラの煮物」など1~2品を自分で作るようになっている。
その準備を、今始めているのである。
棒ダラの煮物は、京都正月料理の中でも「手がかかる」ことにかけては最高峰であるといえるだろう。
まずはカチンコチンに干されたタラを、丸一週間をかけ、毎日水を替えながら戻すところからはじまるのだ。
しかしさすがに、それは自分ではやらないのである。
魚屋が一週間かけて戻してくれたものを買ってくる。
これをまず水煮して冷まし、一晩ほど水につけておいてアク抜きする。
次にだしで4~5時間煮て骨までやわらかくしたあげく、ようやく味をつける段になるという話で、手がかかること甚だしいのである。
棒ダラは、昔は日本中で食べられていたそうだけれど、新鮮な魚がいくらでも出まわるようになった今、正月料理だけとは言え、食べるところは少ないだろう。
京都はさすが「伝統の街」、今でも多くの人が時間をかけ、棒ダラを煮るのである。
さてそうしてぼくも棒ダラを煮ながら、昨日の晩は、一昨日のブリ大根を食べたのだ。
ブリ大根は、やはり二日目がうまいのである。
というわけで、「二日目のブリ大根」なのだが、味がしみまくっているわけである。
特筆すべきは大根で、ブリの煮汁をしっかりふくんだ大根ほど、うまいものはないのではないかと思うくらいだ。
それからブリ大根の残った煮汁でおからを炊く。
これはブリ大根とは「セット」だと考えてもいいものだ。
おから煮は、煮汁が多すぎ、「ベシャベシャ」になってしまうと「失敗」である。
煮汁が多いようならば、初めは少なめにしておいて、まず青ねぎを一瞬煮たあと、量を加減しながらおからを入れていく。
おからは豆腐屋へ行くと、50円ほどで綿菓子かと思うくらいの量が買える。
冷凍ができるから、余っても心配はないのである。
あとは温く奴。
沸かした水で豆腐をあたため、削りぶしととろろ昆布、うすくち醤油を入れたお椀にそそいで青ねぎをふる。
キャベツの酢の物。
塩もみし、20~30分おいた細切りキャベツを水で洗ってよくしぼり、うす切りのちくわと一緒に酢大さじ1、砂糖小さじ1、塩少々で和える。
もやしのじゃこポン。
サッと塩ゆでして水に取り、よく絞ったもやしをちりめんじゃこと混ぜ、味つけポン酢と一味をかける。
酒はぬる燗。
燗酒は、電子レンジなどでなく、湯煎でゆっくりつけると甘みが増すのである。
「棒ダラはぼくも好きだよ。」
素朴な味でうまいんだよな。
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コメント
今年も美味しく酒が呑めました(^_^)
良いお年を( ^ ^ )/□