きのうは豚肉と厚揚げのおどんで酒を飲んだ。
飲みながら、「死を怖れるとロクなことはない」と思ったのである。
ぼくの金のなさといえば笑えるくらいであり、現在の全財産は2万円である。貯金はない。
まあ仕事はしているから、その2万円がなくなる前に、次の入金を得るべく頑張っているのだが、だいたいはその調子、自転車操業のその日暮らしだ。
以前は、
「いつか本当に金が途切れることがあるんじゃないか」
と不安に思っていたこともある。
しかし今は、
「そんなことは起こらない」
と、勝手に高をくくっている。
これは不思議なもので、金が本当になくなり、「これは絶体絶命か」とさすがに思うようなときには、どこかからポンと金が入ってくる。あとはカノジョが出来たりすると、そのカノジョと遊べるくらいの金は、入ってくるようになる。
おそらくぼくの「本能」は、金が入ることを予期していたのだろうと思う。
本能が、理性が感じ取れるより、はるかにたくさんのものを感じ取れることについては、言うまでもないだろう。本能の歴史は、理性がたかだか100万年であるのに対し、40億年なのである。
だから「絶体絶命」と、理性が判断するのが間違っているのだ。
だからといって、人任せで怠けていいとは言わないが、本能が「だいじょうぶ」と言うのなら、それを信じたらいいのである。
理性の居所が「頭脳」であるのに対し、本能は「体」の全体を居場所としている。体が発する声は茫洋としていて、それを聞き取るためには、理性がかなりの翻訳をしないといけないのだが、その訓練として、まあ手前味噌にはなるのだが、自炊は一つの、有効な方法であると思う。
自炊をするには、まず「自分が何を食べたいか」から考え始めないといけない。
これこそまさに、「体の声に耳を傾ける」ことの代表的な例だろう。
体がそのとき、必要な栄養は、体が知っている。
その声を聞き取りながら、具体的な「料理」としてまとめ上げていくことが、自炊において「献立を考える」ことの意味である。
本能は、常に前向きだ。「どうしたらいいか」を具体的に指し示す。
「不安」や「恐怖」は、理性が作り出すものだ。良くない結果を予想して、そうならないための対処が出来るようになったことは、たしかに人間をここまで繁栄させるに至った大きな原動力だったろう。
しかし不安や恐怖に、取り憑かれてしまうことは、逆に理性的であることから遠くなる。
今はそういうことが、あまりにも多過ぎるように、ぼくには思える。
代表的な例が、「戦争」だろう。戦争は、相手を信じられなくなることから生み出される。
第二次世界大戦中、ナチスドイツが原爆の開発に着手した。開発の中心にいたのは、物理学者「ウエルナー・ハイゼンベルク」で、ぼくはハイゼンベルクの伝記などなどを熟読してるから詳しいのだが、彼はナチスドイツの非道をよく分かっていて、表面的には恭順の姿勢をとっていたが、本気で原爆を作る気はなかった。
ところがハイゼンベルクの友人たちで、ドイツから亡命した物理学者は、それを信じられなかった。「ナチスより先に作らねば」と恐怖に駆られ、アメリカで原爆開発に邁進し、現在の悲劇の原点が、生み出されたわけである。
それから今の健康ブームも、全く同じように見える。みんな、「死」を恐れ過ぎるのだ。
人間は誰でもどうせ、早い遅いはあるにせよ、いつかは死ぬだろう。だったらそれを、素直に受け入れればいいものを、死なないために、あれやこれやと努力する。
テレビのコマーシャルなどでも、細菌を、いかにも「悪者」のように扱い、恐怖を煽って、製品を売ろうとする。
しかしぼくは、このごろ風呂にあまり入らなくなり、医者にも以前ほど行かなくなったからよく分かるのだが、細菌は悪者でも何でもなく、多くの場合、適切な細菌が体に付いていたほうが、健康は保たれる。
一事が万事、その調子なのだ。
あまり恐怖に翻弄されず、もう少し落ち着いて、大人の判断をすることが大切ではないだろうか。
まあそんなことを、きのうは酒を飲みながら考えたのだ。
きのうの肴は、豚と厚揚げのおどんだった。
おどんは本当にハマってしまって、手軽に出来る上、鍋とちがって、冷めても不味くならないのがいい。
冷めるにつれ「味がしみる」わけだから、うまくなるのだ。
しかもそこにうどんが入っている。これがまたたまらない。
うどんは、普通はうどんだしで食べる。うどんだしは、これは関西の場合だけかもしれないが、おでんだしより甘みが少ない。
そのうどんを、甘いおでんだしに入れると、ホッコリとするのである。
幸せとは、「甘い炭水化物」であることを、改めて実感している。
おどんは何を入れてもいいけれど、きのうは豚コマ肉と厚揚げ、それに小松菜。
豚肉は、煮立てて火を止めた湯で、しゃぶしゃぶと湯通ししておく。
小松菜も、塩を振った水で下ゆでし、水に取って絞っておく。
豚肉も小松菜も、大して煮る必要がないから、このように下処理だけして、最後に入れるようにする。
まずだしを取る。
この簡易だし取り法を発見してから、だしを取るのが全く苦ではなくなり、おどんを毎日でも作っていいと思えるようになった。
鍋にだし昆布を敷き、3カップ半の水を入れたら、そこにザルを入れ、削りぶし、ミニパック3袋分を入れる。
中火にかけ、煮立ったら弱火にし、アクを取りながら5分煮たら、ザルを取り出し、お玉などで削りぶしを絞る。
このだしに、酒とみりん、淡口しょうゆ大さじ3ずつで味を付け、食べやすい大きさに切った厚揚げを煮る。
落としブタでもし、弱火でコトコト、30分くらいをかける。
最後に豚肉を2~3分煮、小松菜を温めたら火を止める。
青ねぎと、一味を振り、さらにきのうはすだちを絞った。
豚肉と厚揚げ、小松菜、そしてうどんは、「最強」とも言える相性だ。
きのうはあとは、ナスともやしの酸辣和え。
普通の三杯酢の酢の物に、ラー油を加えると、いきなり中華風になる。
ナスは塩もみしてちょっとおき、水洗いしてよく絞る。
もやしはサッと塩ゆでして、よく絞る。
うす切りにしたちくわ、ちりめんじゃこと合わせ、たっぷりのすりごま、砂糖と淡口しょうゆ大さじ1ずつ、酢大さじ3を加えてよく和える。
最後に味を見ながら、好みの量だけラー油を加える。
それに、おとといのサンマご飯。
酒は冷や酒。
きのうもしこたま飲んだのである。
「お金がなさ過ぎるのもどうかと思うよ。」
そうだよな。
◎関連記事
おでんにうどんを入れると強烈な幸せに見舞われるのである(鶏と大根の一人おどん)
鯛の煮汁はチクワブではなくそうめんに吸わせるのである(鯛そうめん)