池波正太郎『食卓の情景』は、日々の暮らしを骨太に描きながらも、強烈な主張を持っている。
池波正太郎の世界にどっぷりと浸りながら、現代では失われつつある大事なことに、気付くことができるのがいいのである。
池波正太郎は、まず何より文章がいい。元々新国劇の台本を書くところからキャリアをスタートしたからだろう、どっしりとした風格がありながら、小気味のいいリズムを感じ、読み始めると、引き込まれて止まらない。
また、下手に理屈をこねくり回さないのもいい。高尚なことを並べ立てることなどなく、あたり前の日々の暮らしを、光景が鮮やかに目に浮かぶ、骨太な筆致で描いていく。
しかしだからと言って、『食卓の情景』
は、ただ日常を描いただけのエッセイではない。強烈な主張を持っている。
それは、ぼくなりの言い方をするならば、
「男子も『食』を、真剣に考えるべし」
と、いうことになる。
「美食」などと言い、浮かれたものしか食べなくなっている現代を、痛烈に批判しているのである。
冒頭、自身の家での食事のあり方が描かれる。子供がいたのか、いなかったのか、そのあたりは知らないが、池波は奥さんと、実のお母さんと、3人で暮らしていたらしい。
この女二人に絡め取られてしまうことなく、いかに自分が食べたいものを食べるかを、池波は多大なる労力を払いながら追求する。
奥さんが気持ちよく、自分が「うまい」と思えるものを作れるよう、献立を指示し、食べた料理の感想を述べ、奥さんを料理教室へ通わせたり、時々いっしょに外食したり、さらには嫁・姑の関係を整理したりとするのである。
やり方が古風だから、現代の女性が見ると、「これには付いていけない」と思うこともあるかもしれない。
ぼくも、このやり方そのものが、現代で一般的に通用するとは思わないが、一人の男性の、「食」に対するこだわりのあり方として、強く共感するものがある。
また池波が、若い編集者と話す場面も興味深い。旅行へ行き、納豆だの、みそ汁だのの朝食を食べていたら、
「ぼくは家では、こういうものを食べさせてもらえなくて・・・」
と、その若い編集者は涙をこぼしたそうである。
奥さんが、「納豆など下品だから」と、目玉焼きやら、パンやらしか出さないと聞いたところで、池波は激怒して、啖呵を切る。
「食べたくないものが出てきたら、お膳をひっくり返してしまえ。そうでなければ、一生、食べたいものなど食べられないぞ・・・」
今、若い夫婦のご主人が、お膳などひっくり返したら、即離婚はまちがいがないところだろう。
しかしこれが、「男もそこまで食にこだわれ」という、池波流のメッセージだと捉えれば、この言い方は痛快だ。
池波正太郎は戦前生まれの人だから、考え方はたしかに古い。しかしその古さの中にも、現代では失われつつある、大事な内容が含まれている。
『食卓の情景』は、池波の世界にどっぷりと浸りながらそれに気付き、原点に立ち還る想いがするのが、いいところなのである。
「ほんとにお膳をひっくり返さないでよ。」
わかってるよ。
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