玉村豊男『料理の四面体』は、もう20年くらい前に読んだ。この本は、ぼくが料理を「理解」しようとする上で、とても役立っているのである。
玉村豊男『料理の四面体』は、料理に関するエッセイやレシピ本をあれこれ読んできたぼくの中でも、ちょっと変わった位置づけとなっている。
玉村豊男の料理の好みや、文章の書き方は、それほど「好き」とは思わないのだけれども、この本に書かれた「考え方」が、ぼくが料理を考える上で、とても参考になっているのだ。
冒頭は、玉村豊男がアルジェリアの田舎道を歩いていたときの出来事から始まる。玉村が、あまりに腹が減っていたのを察し、アルジェリア人の男性二人が、食事をふるまってくれたのだ。
その調理シーンが、いかにも気が利いている。
ベコベコにゆがんだアルミの鍋を七輪に掛け、オリーブオイルをドボドボと注いで、ニンニクを小刀で削り入れ、骨付きの羊肉の、ぶつ切りを放り込む。肉が焼けたら、唐辛子の粉を入れ、トマトをいくつか、鍋の上で、手で握りつぶす。
じゃがいもを小刀で切って入れ、トロ火で30~40分煮込む・・・。
玉村豊男の手によって、この調理の仕方が、何ともおいしそうに書かれているのが、この本の魅力の一つにもなるのだが、玉村豊男はここから始め、『料理の四面体』一冊を通して、ヨーロッパのすべての料理は、これを原型として派生し、発展していったのではないかと論ずる。
一見ちがうように見える膨大な数の料理も、実は作り方をよくよく見てみると、大元はおなじ考え方で出来ていて、ただ材料やら、作り方の手順やらが、少しちがうだけだと言うのである。
たとえばフランス料理によくある、肉をソテーし、ソースをかけ、付け合せを添えるような料理でも、上のアルジェリアのシチューと、考え方として、ほとんど変わることはないという。
シチューの方が、肉が焼けたらそのままトマトとじゃがいもを、一緒に加えてしまうのに対し、ソテーの方は、肉が焼けたら一旦取り出し、鍋に残った肉の脂で、ソースと付け合せを別に作り、後から掛けるようにしているだけだというわけだ。
さらに玉村豊男は、全ての料理は、「四面体」の構造をしていると結論づける。それが『料理の四面体』のタイトルの意味である。
この考え方は、とても大きな刺激になり、この本を読んで以来、ぼくは料理を、表面的な作り方だけからでなく、その大元にある考え方を、見ようとするようになった。そうすると、多くの料理に、横断的に、おなじものが見えてくる。
こういう見方ができるようになることは、料理を「理解する」のに、とても役立つ。
料理を理解するとは、単にたくさんの料理の作り方を知ることばかりなのではなく、その背後にある、料理の「世界観」を知ることが、大切なのだろうと思う。
さらにそうして、料理の世界観が見えてくると、自分で新たな料理をひねり出そうとするとき、すでに知っているいくつかの料理を、融合させたり、変形させたり、できるようになってくる。
それができるようになったのも、元はといえば、この『料理の四面体』のお陰だと思い、ぼくはとてもとても感謝しているのである。
「理屈っぽいのが好きだもんね。」
そうなんだよな。