レタスを使い切るために、チキンソテー・オン・ザ・サラダを肴にした。
これはサラダの中で、最もうまいものの一つである。
レタスが半玉残っていて、どうやって食べるか考えるのだが、「王道」となれば「サラダ」であることは、よくわかっている。わかっているのだが、どうもサラダには、積極的になれないのである。
まず「メインになりにくい」ことがある。ベジタリアンなら別として、ぼくは肉か魚をガッツリいくのが好きだから、サラダにタコやツナ、卵などが多少入っていたとしても、それではやはり、物足りない。
それならサラダを「つけ合わせにする」手もあるだろう。ガッツリとした肉の脇にサラダを添えるのは、サラダの使われ方としては定番だ。
でもぼくは、あのサラダのドレッシングと肉のタレが、中途半端に混ざった感じが嫌なのだ。味が別なら、皿も別にしてもらいたいと思うタイプである。
ところがサラダを別皿で副菜にしてしまうと、皿がどうしてもデカくなる。生野菜はかさが多いし、さらにサラダは、材料の品数がそれなりにないと、みすぼらしく見えるからだ。
しかしメインの皿と、同じくらいの大きな皿が、食卓に並ぶのはイヤなのだ。副菜はやはり控えめにしてもらい、小鉢などに収まっていてほしい。
そうなると、サラダの出番はまったくなく、「だったらレタスは、酢の物にすればいい」となる。
実際の話レタスの酢の物は大変うまく、しかもサラダと違って翌日への持ち越しもアリである。
しかしレタス半玉の行方を考えているうちに、以上のネックをすべてクリアするサラダがあることを思い出した。
「チキンソテー・オン・ザ・サラダ」である。
これはぼくの「処女作」ともいえるもので、料理をしたての頃は、毎日こればかり食べていた。
ガッツリとしたチキンソテーが乗っているから、メインとして申し分ないのはもちろん、オリーブオイルとレモン汁をかけるから、変に味が混じることなく、鶏肉をサラダの一部として食べられる。
鶏肉を焼くのに多少の時間はかかるけれど、作り方自体は簡単だ。
しかももちろん、しっかり酒にも合うのである。
鶏モモ肉は、フライパンで焼く。
表と裏に、一つまみ(小さじ2分の1)くらいずつ、やや薄めに塩をすり込み、皮目を下にして冷たいフライパンに乗せ、弱火にかける。
そのまま弱火で、たぶん15~20分くらいかかると思うが、皮がこんがりときつね色になるまで焼く。
そうしたら裏返し、今度は7~8分で火が通ると思うけれど、やはりこんがり、きつね色の焼き色が付いたら火から上げる。
鶏モモ肉を焼くのは、たしかにちょっとコツが必要で、ぼくも初めは、焼き過ぎてパサパサにしたり、逆に焼き足りなくて赤かったりして、何度も失敗した。
しかしうまく焼くには、「弱火でじっくりやる」ことと、焼き加減の判断を「表面がこんがりきつね色になる」ことを基準とするのが、一番まちがいがない。
弱火で焼けば、じっくり火が入り、肉の表面と内部の温度差は最小限になるわけだから、表面の状態から、内部を判断してもいいことになる。
表面が「きつね色に焦げる」のは、「もう水分が、内部から降りてこなくなった」ことを意味するわけで、「水分がなくなる」と「焼ける」は、全くおなじ話である。
ただしそれでも、コツを掴むまでは、失敗もすると思う。その場合は、「焼き過ぎ」より、「焼き足りない」ことを選ぶのがオススメだ。
肉は多少赤くたって、「生で食べよう」というのではないのだから、たいして問題ない。
味は、「やや生め」の方が、「パサパサ」より、断然うまい。
鶏が焼けたら一口大に切り、サラダに乗せる。サラダの野菜は、何でも好きなものを入れればいいが、きのうはレタスに玉ねぎ、キュウリにトマト。
鶏を焼いたあとの肉汁をかけ、さらにオリーブオイル少々、それからレモン汁(ポッカレモン100)、塩、粗挽きコショウを、それぞれたっぷりかける。
適当に混ぜながら食べる。
これが「最もうまいサラダの一つ」であるのは、間違いがないところである。
あときのう食べたのは、厚揚げとゴボウの赤出し。
鍋にだし昆布、1カップ半の水、うす切りにしたチクワを入れ、中火にかける。煮立ったら弱火にし、2~3分煮出したあと、酒大さじ1、みりん小さじ1、赤だし味噌(八丁味噌)大さじ1くらいで味付する。
ささがきにし、水でさらしたゴボウ、1センチ幅くらいに切った厚揚げを、弱火で10分くらい煮て、器に盛り、削りぶしと青ねぎ、一味をかける。
オクラの冷奴。
オクラは板ずりし、サッとゆでて5ミリ幅くらいに切り、削りぶしとしょうゆで和え、豆腐に乗せる。
おとといのナスのツナ炒め。
これは、うまい。
酒は、冷や酒。
きのうもまた飲み過ぎたのは、言うまでもない話である。
「鶏の塩焼きはおいしいね。」
そうだよな。
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