知り合いの女将から呼び出され、夜中の1時から先斗町と祇園のバーへ行った。
お金より、大事なものがあるのである。
「タイミングのよい人」というのがいるのである。ぼくがお世話になっている飲み屋の女将がまさにそれで、いつも絶妙のタイミングで声を掛けてくる。
きのうは珍しく、一日のすべての段取りが予定通りに進行し、午前1時、酒も飲み終わり、歯も磨き終わってホッと一息、「そろそろ寝ようか」と思っていた。あとはこのまま布団に入れば、完璧な一日だ。
電源をOFFにしようと、携帯電話に手を伸ばした。その瞬間、電話が鳴った。
女将である。
「常連のお客さんの息子さんが働くバーへ、行ってみようと思うのだけれど、おばはん一人では何だから、一緒につき合ってくれへん?」
すでにほろ酔い加減のようだ。
普通なら、断るところだ。こちらは寝る支度を、もう全て済ませている。
しかし、タイミングが、あまりに見事すぎるだろう。こちらがホッと一息、無防備になるそのタイミングを、まさに狙いすましたようだ。
それで答えてしまうのである。
「わかりました、それじゃ、10分くらいで伺います・・・」
ぼくは部屋着から外着に着替え、家を出た。
バーは先斗町にあった。
南から4軒目、東側にある「凛ト」(Rinto)という名前の店で、地下に降りるようになっている。
先斗町の東側地下だから、眼前には鴨川が流れている。
カウンターの正面には大きな窓が設えられ、鴨川の夜景を楽しみながら、酒を飲める趣向である。
調度は和風に整えられ、カウンターは幅1メートルはあろうかという、白木の一枚板。
入り口は背を屈めて入り、天井も低いから、「茶室」のような趣きもある。
女将が山崎のハイボールを頼んだから、ぼくも同じものにする。
すっきりとして飲みやすいのは、言うまでもないことだ。
メニューを見ると、バーボンなら、安いのは800円からある。チャージを1000円くらいは取られるだろうけれど、このあたりの店としては安いのではないだろうか。
店は4月1日のオープンだが、「息子さん」は、この7月から働きはじめ、まだ実質一週間とのことである。
「がんばって仕事を覚えたいと思います!」
いかにも育ちの良さそうな、イケメンの好青年だ。
店長とも話になった。オーナーが「川べりの物件」にこだわって、この場所は、ずいぶん前から目をつけていたそうだ。
もう何年か、空き物件になっていたとのことなのだが、ところが家主が、なかなか首を縦に振らない。
家主が経営する階上の飲食店へ、オーナーは半年以上にわたって通い詰め、ようやく貸してもらうことを承諾してもらったそうだ。
「京都は、そうなのよ・・・」
女将は言う。
「お金」のことだけ考えれば、物件は空けずに、貸した方がいいに決まっている。でも京都では、人間関係がきちんとできた人でなければ、貸さない家主が多いそうだ。
「その代わり、一旦親しくなってしまえば、その後は長いけどね。」
女将はニッコリとしながらつけ加えた。
ハイボールを2杯飲み、店を出ることになった。
「知ってるところがあるから、そこへ行こう。」
女将は先を、スタスタと歩いて行く。
目指す先はお好み屋だったのだが、着いてみたら、そこはもう閉まっていた。そこで仕方がないから、近くのバーに、飛び込みで入ることにした。
入った先は、本格バー。ぼくより少し年上らしいマスターが、一人でやっているようだ。
酒の品揃えは膨大で、マスターは、京都ホテルのバーに20年あまり勤めて、そのあと15年前、独立したとのことだった。
「おすすめ」のカクテルを作ってもらったら、出てきたのはモヒート。
カクテルはほとんど飲まないので、比較することはできないが、うまかった。
マスターも女将も、飲食業は長いから、どちらからともなく話は「お店」のことになる。ぼくは主に聞き役だったが、興味深いことが多かった。
「ぼくは、お客さんを断ることも多いんですよ。」
マスターは言う。言葉遣いや態度が乱暴だと、入り口を入ってきて、一目見て断ることもあるという。
「それは私も同じだわ・・・」
女将もうなずく。
「自分とは合わない」と思ったら、断ってしまうのだそうだ。
この「お客さんを断る」ことは、ぼくは京都へ来て初めて知った。東京などなら、お客さんが迷惑行為を働けば、出ていってもらうことはあるだろうが、来たお客さんを、その瞬間に断ることは、まずないのではないだろうか。
京都に「一見お断り」の店があるのは、よく知られているだろう。でもこのバーや、女将の飲み屋は、一見さんを全て断っているのではなく、「不適切だ」とマスターなり、女将なりが判断した人についてのみ、断るのである。
ぼくも一度、よく行くバーで、お客さんを断っているのを見たことがある。ヘベレケの、そのバーにはいかにも場違いな、年配のサラリーマンがドアを開けた。
するとバーのマスターは、その瞬間、
「ゴメンナサイ!」
一撃のもとに追い返してしまう。
サラリーマンも、別に文句を言うでもなく、そのまま大人しくドアを閉める。
「場を壊し、他のお客さんに迷惑をかけるからなんですよ。」
マスターは言う。
「仮にそのとき、他にお客さんがいなくても、後からお客さんが、もし来れば、やっぱり迷惑になるしね。」
女将も同意する。
「どんな人だって来てくれれば、その方が儲けになるじゃないかと言う人もいるけれど、それではいい店はできないですよ」
と、マスター。女将も続けて、
「本当は入れる席があるのに、それでも良くないお客さんを断れるかどうかが、この商売をやっていくには大事だと思うわ・・・」
うなずきながら、呟くのである。
ぼくは話を聞きながら、
「京都は、いい場所だ・・・」
つくづく思った。さっきの、なかなか空き物件を貸さない家主にしても、このお客さんを断る話にしても、こういう考え方が広く行き渡っているからこそ、人が人らしく、いられる空間ができるのだろう。
今の日本は、「金がすべて」の世の中に、どんどんなっているように思える。金が儲かり、企業が繁栄することが「善」で、「そのためなら何をしてもかまわない」とすら、言えるようになりつつあるのではないだろうか。
電力会社を救済するため、原発事故の責任を追求せず、事故処理も十分行わない。安全が確認されていない原発を再稼働し、さらに輸出までしようとする。
非正規雇用を認めることで、人件費を節約させ、さらに残業代も払わずに済むようにする。
挙句の果てに、兵器まで、輸出を始めようとしている。
トップがそうなら、人心も腐っていくだろう。人を差別することで、自己を満足させることが当り前に横行し、本も雑誌も、差別を煽るようなことを書くことで、よく売れるそうである。
そのような風潮に、歯止めをかけるためには、様々な活動が必要だろう。きょうも大阪で、差別反対のデモが行われ、大宮からも大勢の若者が参加している。
しかし日本が、ほんとうの意味で変わるためには、「お金よりも大事なものがある」ことを、一人ひとりが自覚するしかないのではないだろうか。
お金が十分入らなくなることは、もちろん誰でも不安である。でもその不安ときちんと闘い、それよりも大事なことを優先しようとすることで、初めて、人は人らしく、生きられるのではないか。
ぼくはきのう、そのためのまさに手本を、見たような思いがしたのである。
2軒目のバーも、お酒を2杯飲んで出た。
女将と別れ、家に帰ったらもう4時で、あり金も残らずなくなった。
しかし、いや何、かまわないのだ。
お金は使い切るからこそ、また入ってくるものである。
「お金は天下の回りものって言うからね。」
そうなんだよな。
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ブラックバイトにハマっていたら、労働組合の助けを借りるのもいいのである。