相変わらず「PiPi」で時々、昼のビールを飲んでいる。
PiPiで野々村議員の会見を見て、「あれは手段を選ばぬ上昇志向の現れだ」と思ったのである。
「PiPi」では相変わらず週に2~3度、昼にビールを飲んでいる。ブログ更新の場とさせてもらっていて、コーヒー一杯で何時間も粘るのでは、あまりに申し訳ないというのもないではないが、マチコちゃんの料理は実際おいしい。
きょうはポークチャップと、副菜が3品。
どれもうまかったのだが、とくにうまかったのが、このひじきのツナマヨ。
キュウリと玉ねぎが入っている。
それからしりしりニンジンとニンジン葉のゴマ和え。
ニンジン葉が出てくるところに、「いかにも京都らしい」と思うところだ。
実のところ、ぼくは自分の作る料理に、マチコちゃんの料理はかなり参考にさせてもらっている。このごろマヨネーズを解禁したのも、マチコちゃんの影響によるものだ。
「PiPi」では、いつもテレビがかかっている。ブログを更新しながら、見るともなく見るのだけれど、ここ数日の一つの話題は「野々村議員」だ。
きのうだったか、初めてこれを見たときに、マチコちゃんは、
「私、これ怖くて・・・」
と言う。実際一部始終を見てみると、あまりの醜悪さにぼくも気分が悪くなった。
ツイッターでは、これを「笑える」とする向きも多いのだが、彼は記者の追求を逃れるために、ただ泣き真似をしているだけなのだから、これは醜悪以外の何物でもないだろう。
何物でもないのだが、野々村議員を見ていると、「恥ずかしさ」のような感情も湧き起こる。「自分も似たようなことをしていないか」という、畏れを感じるのである。
野々村議員は、ぼくとほぼ同世代だ。なぜあのようなことをするかが、何となく分かる気がする。
野々村議員は、「うまいことやって、逃げおおせた」とほくそ笑んでいるのではないだろうか。
ぼくの世代は、多くの人が、「勉強しろ」以外に言われることなく育っている。親の世代は戦中・戦後に子供時代から思春期を過ごし、それがよほど辛かったのだろう、子供にはとにかく、いい大学を出ていい会社へ入り、生活を安定させてほしいと思ったようだ。
大人しく親の言うことを聞き、いい大学を出た人の中に、おかしな人が少なくないようにも思えるのである。
オウム真理教事件などは、その典型のように思える。上祐を初めとしてオウムの幹部は、ほぼ全員がぼくの世代だ。
上祐などは、年もおなじ、さらには面識はなかったけれど、高校も大学も一緒だった。「勉強していい大学へ入れ」とだけ言われて育っているから、上昇志向だけは強く、その反面、人間として大事なことを子供のころに学んでいない。
さらにぼくの世代は、上の団塊の世代のような学生運動の敗北や、下の世代の就職氷河期のような、挫折を経験することもなかった。それでああいう、麻原のようなおかしな人に、引っかかってしまうのだろう。
ぼくは上祐や、オウム幹部だった人たちの気持ちが、手に取るように分かるのだ。
それとおなじ臭いを、あの野々村議員に感じるのである。
あの泣きじゃくり会見は、感情を素直に吐露したものなどでありえない。手段を選ばぬ、強烈な上昇志向の現れではなかったか。
自民党や民主党の幹部にも、おなじ世代の人は多い。
いまの日本の困難は、おなじことが理由となっているようにも思うところだ。
「若い人に学ばないとね。」
ほんとだよ。
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