洗濯機を使わずに、白いTシャツを洗ってみたら、洗剤を使わなくてもかなりのところ白くなった。
洗濯機は使わずに、毎日その日に着た分をチャチャッと手洗いする方が、日々の洗濯はラクなのである。
科学技術によって生み出された文明の利器が、もちろんないと困るものもあるけれど、意外に大していらないものだったり、さらにはない方が便利だったりすることについて、ぼくはこれまで、生活の中であれこれと試みている。
電子レンジと炊飯器がいらないことは、早々と結論し、電子レンジなど、何のために必要なのかがよく解らないし、炊飯器についても、大して手間がかかるわけでもないのに、なぜ鍋で炊いてはいけないかが解らない。
しかも、あんな馬鹿でかいもの、よっぽど広い家ならいいとして、ほとんどの家にとっては場所ふさぎなだけだろう。全くある必要がないと、ぼくは思う。
さらには石けんや洗剤についても、風呂などで人間の体に使うことについては、「ない方がいい」と結論している。石けんを使うから、体が痒くなったり、臭くなったりするのであり、おそらくそれは、石けんが、肌の常在菌のバランスを壊してしまうからだと思う。
それから風呂については、以前は毎日入っていたが、これも入り過ぎは、肌にはあまり良くないと考えるようになっている。
台所用の洗剤は、1年くらい前までは使っていたのだが、これも使わなくなり、なくても一つも問題がないことが解ったし、洗剤を使わずに皿を洗うと、皿洗いの手間が大きく省けることになるから、やはり「ない方がいい」と言えるだろう。
ただし洗濯用の洗剤だけは、少し前まで、依然として使っていた。これについては、特に意見がなかったのだが、今回引っ越しをし、洗濯機が共同になったのを機に、手洗いをするようにしてみたら、これも「あまりいらない」ことが解ってきたのである。
洗濯機は、共同のが階が違うところにあり、行くのが面倒なのと、小さくて使いにくいので、しばらくは銭湯へ行く際に、近くのコインランドリーでまとめて洗うようにしていた。しかしこれも面倒になり、
「もしかして洗濯機は必要ではないのでは・・・?」
と思ってみたわけである。
調理器具でも、洗うのは、できるだけ溜めないようにするのが鉄則だ。面倒なのは溜めてしまうからなので、一つ使ったら、それをその場で洗ってしまうようにすれば、面倒臭さはほとんど感じない。
洗濯物も、衣類については、一日分なら、Tシャツと下着くらいなものだろう。これを着たその日に洗えば、大して面倒ではないように思える。
さらにできれば、洗濯用洗剤は、使わないでみたいところである。
洗剤は、使わなければ、すすぎの時間がなくなるから、洗う手間は3分の1になる。
ただし洗濯の場合には、白いものが、きちんと白くならないといけない。
これが達成できなければ、「洗剤はいらない」とは言えないだろう。
流し兼洗面台で、白いTシャツを、お湯だけでもみ洗いしてみる。
これは、時間にしてほんの1分、あっという間である。
ハンガーにかけて、乾かすと・・・。
かなり白くなっている。
以前の洗濯機で、洗剤と、ワイドハイターを使って洗ったのと、同じくらい。
コインランドリーのドラム式洗濯機は落ちが悪く、それで洗うのよりはるかに白くなる。
さらにきのうは白いTシャツを、洗剤とワイドハイターにつけ置きしてから手洗いしてみた。
すると、未だかつて見たことがないくらい、真っ白になったのである。
やはり洗濯機で水の勢いだけで洗うより、手でもんで洗ったほうが、汚れは落ちるということだろう。
毎日ちょっとずつやった方が、家に洗濯機があったとしても、それでまとめ洗いするより気はラクだ。
引っ越して、あれこれと色んな物がない生活に入ったおかげで、また一つ発見があった。
繰り返すけれども、物がないのは、一見すると不自由だが、それがなくても困らなくなるのなら、自由が増しているのである。
「元々都会っ子だしね、おっさんは。」
そうなんだよな。
◎関連記事