生節とネギのオムレツで酒を飲んだ。
残りもの処理の料理は、「発見をみちびく」という意味でうってつけなのである。
「残りもの処理」の料理がまた面白いのであり、これは買い物をして料理するのとはちがった頭の使い方をすることになる。冷蔵庫に入っている限られた材料で料理をひねり出さないといけないから、平たく言ってしまえば、買い物をしてする料理が「料理の完成像⇒材料」という順番で考えが進むのにたいし、残りもの処理の料理は「材料⇒完成像」という順番になる。
もちろんこれは簡単すぎる言い方で、料理はつねに材料と完成像を行き来しながら考えが進んでいくことにはなるが、残りもの処理は考えはじめる時点で完成像を想定できないという意味で、より材料に軸足があるといえる。
なので残りもの処理の料理をすると、料理の仕方について、普段はできない発見をすることが多い。
きのうは「生節」を何とかしてしまおうと思った。生節の食べ方として定番なのは、まずは豆腐と煮付けることになる。でもきのう豆腐はなかったので、「これはできない」というわけだ。
あとは生節は、サッと炙ってそのまま食べるのもいい。かけるタレは、ポン酢でも悪くないが、生節はちょっとモソモソしがちなので、マヨネーズなど油系のものが合う。
でもマヨネーズは既製のものはまずいので、使うなら「自分で作って」っということになるが、それはちょっと面倒臭い。
ツナのようにほぐしてサラダにいれ、油系のドレッシングをかけるのもいいのだけれど、それだとメインの料理としては、イマイチ役不足となる。
まあそれで、もうしばらく考えることになるわけだが、あと冷蔵庫に入っているのは、卵と青ねぎ。卵と青ねぎを使うなら、まず思い付くのは「オムレツ」にすることだ。
そこでひらめくわけである。
「オムレツに生節をほぐしれ入れよう・・・」
生節は、オムレツの味出しとしては完璧だ。さらにオムレツは油を使うから、生節のモソモソ感もやわらげることがでる。
それで実際作ってみると、非常に、非常に、うまかったわけである。
生節の食べ方として、定番の一つに加えてもいいと思うくらいである。
とまあ、威張るほどのこともないのだが、残りもの処理はこのように、材料の使い方についていつも新しい発見がある。
「買い物をせず、残りものだけで料理をする」
と決めるのは、その時点ではまだ完成像が思い描けていないので、多少の勇気が要ることにはなるのだが、下手に材料を追加してしまうより、完全に残りものだけでやるほうが、面白いものができることが多い気がする。
料理は何を作るかを「自分の頭で考える」ことが醍醐味の一つである。もちろん初心者のうちは、レシピを見ながら何を作ろうかと考えるだろうが、そう時間がたたないうちに、材料を見ながら自分で料理をひねり出せるようになると思う。
そうして料理をひねり出すと、見たこともない、名前も付けられないものが出来上がることがある。というか、そういうことの方が多い。
でも、それが「面白い」のだ。
もちろん失敗することもある。でも発見に、失敗はつきものだろう。
残りもの処理の料理は、「発見をみちびく」という意味でうってつけなのである。
冷蔵庫もきれいになるし、たまにやるのはぜひオススメだ。
さて生節と青ねぎのオムレツ、作るのは全くむずかしいことはない。
生節がない場合、「ツナ」を使っても同じようにできると思う。
器に卵2個、ほぐした生節1枚、ざく切りにした青ねぎ、砂糖とうすくち醤油小さじ1ずつをいれ、よく混ぜる。
ツナを使う場合は1缶、油ごと入れたらいいと思う。
フライパンにオリーブオイルをやや多めに引き、中火にかけて、溶き混ぜた卵を流し入れる。
オリーブオイルは多ければ多いほど、卵がふんわりとしておいしいが、その分カロリーが上がるという話だ。
頃合いを見はからい、フライ返して両端を折り曲げて、裏返して少し焼く。
一味に味ポン酢をかけて食べる。
「うめーなー、うめーなー・・・」と何度もひとりごとを言ってしまうくらいうまかったのである。
あとも残り物。
煮汁で煮た高野豆腐。
それにとろろ昆布の吸い物。
すぐき。
酒は冷や酒。
きのうも最後は記憶が曖昧だ。
「ブツブツひとりごと言うのうるさいよ。」
そうだよな。
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