料理をすると味がわかるようになるのである。(油あげの大根煮)

大根煮 野菜料理

 
昨日は「お世話になった冬の食べものとの別れを惜しもう」シリーズとして、大根煮をつくった。

大根煮

料理をすると、味がわかるようになるのである。

 

 

昼酒は、当然するのである。

喫茶店「PiPi」

昨日は喫茶店「PiPi」。

「喫茶店で酒をのむなど風情がない」と訝しがる向きもあるとおもうが、ここはちがう。

「ランチ」をたのむと、実に酒の肴に打ってつけのものが出てくるのである。

 

昨日のメインは、チキントマト煮。

喫茶店「PiPi」

これはまあ、酒の肴としては普通だが、副菜が気がきいている。

小松菜と油あげの炊いたんに、ブロッコリーとしめじのさっと煮、それにマカロニサラダ。

メインも含め、どれもうす味に仕立てられているから酒によく合う。

 

みそ汁は、竹輪とさやえんどう。

喫茶店「PiPi」

これでご飯もついて620円だというのだから、たまらないのである。

 

店主の「マチコちゃん」は若い女性だが、お父さんがレストラン経営をしていて料理の達人なのだそうだ。

小さな頃からプロの料理に触れているわけで、料理が並みの女性とちがうのは、そういうこともあるのだろう。

 

晩めしは、聖護院大根を買ってあり、「お世話になった冬の食べものとの別れを惜しもう」シリーズとして大根煮にした。

大根煮

大根煮も、冬の京都を代表する食べものの一つである。

色んな流儀があるようだが、うす味で油あげといっしょに煮るのが定番で、これがまたうまい。

大根は、ブリや豚肉、鶏肉など何と合わせてもうまいものだが、「油あげと合わせるのが最高だ」とぼくは思う。

 

大根に魚や肉を合わせるのと、油あげを合わせるのとで一番ちがうのは何かといえば、「味の方向」だ。

大根煮

魚や肉の場合には、魚や肉の味が大根にはいっていく、基本的に一方通行となる。

ところが油あげの場合には、味を出すばかりでなく、自分も味を吸うのである。

大根に油あげの味がはいり、油あげも大根の滋味でみたされてとなって、大根と油あげの両方が、おたがいを高め合うことになる。

 

さらに大根と油あげは、どちらもやわらかくてアッサリとした、「似たもの同士」であるのもいい。

大根、油あげ、大根、油あげ・・・、と代わる代わるに食べていくと、徐々に気持ちが高まって、しまいには「幸せの極地」とでもいいたくなる心境になるのである。

 

作るには、まずは大根の皮を厚くむき、2~3センチ厚さに切って、水で下ゆでする。

大根煮 作り方

中火くらいできちんと煮立たせ、竹串がすっと通るまでゆでる。

 

それからだしを取る。

大根煮 作り方

4カップ半、たっぷりの水に、10センチ長さくらいのだし昆布と、ミニパック8袋分くらいの削りぶしをいれ、強火にかけて、煮立ってきたら弱火にし、アクをとりながら5分煮る。

5分煮たら、ザルで漉す。

このだしに、うすくち醤油大さじ4、みりん小さじ4で、うどんだし程度の味をつけておく。

 

あとは下ゆでした大根と食べやすい大きさに切った油あげとを、このだしでコトコト煮る。

大根煮

油あげは、スーパーなどで売っているどこの誰が揚げたかわからないものを使うなら、熱湯をかけて油抜きしたほうがいいが、「油も味のうち」と承知するきちんとした人が揚げたものなら、そのまま使ったほうがうまい。

火加減は弱火で、沸騰するかしないかくらいを保つようにする。

30分くらい煮れば食べられるが、さらに鍋に入れておけば、味がしみてうまくなる。

 

それから大根は、皮をむいた場合には、茎やだし殻といっしょにジャコ炒めにするのがいい。

大根の皮や茎、だし殻のジャコ炒め

大根の皮や茎は、中身に負けず劣らずうまいのである。

 

フライパンにゴマ油とちりめんじゃこをいれ、それを脇に置いておいて、料理していくうちに出る根の茎やら皮やら、だし殻やらを、次々と放り込んでいく。

大根の皮や茎、だし殻のジャコ炒め 作り方

あとは中火でじっくり炒め、しょうゆを入れて、汁気がなくなるまでさらに炒める。

 

そのほか昨日食べたのは、まず一昨日の身しじみ煮物。

身しじみ煮物

 
 

あとはすぐき。

すぐき

 
 

酒はぬる燗。

酒はぬる燗

これを食べながら、

「料理をすると味がわかるようになる」

と、あらためて思ったのである。

 

さて「味」なのだが、ぼくももちろん、料理をするようになる前は、外食が多かった。

食べ歩きをし、様々な飲食店をわたり歩いたこともある。

食べ歩きをすると、多くの飲食店を見るうちに目が肥えてきて、飲食店を自分の中でランク付けできるようになる。

「比較」ができるようになるからで、それで飲食店を網羅的に理解するのも、食の大きな楽しみだろう。

 

でもぼくは、自分で料理をするようになり、外食の際にも料理の味わいかたが変わったことを実感した。

ただほかの店の料理と比較するばかりでなく、「分析」ができるようになるからだ。

料理を食べると、自分が料理をするから、それをどのように作ったのかが想像できる。

それによって料理人の人格に触れられるようになるのである。

 

これは音楽や芸術、文学など、他の創作活動といっしょだろう。

ぼくはギターを少し弾くのだが、ギターが弾けるようになってくると、ギタリストのギターを聞いても、ギタリストの指の動きが目にうかぶようになる。

そしてその肉体の動きをとおして、ギタリストの息遣いや、さらには人格を、感じられるようになってくる。

これは音楽をただ「受け手」として楽しむのとは、次元がちがうことである。

 

料理をすることの楽しみは、これも大きいとぼくは思う。

味が、以前よりはるかに深く、「わかる」ようになるのである。

 

ただし食べてすぐにわかるのは、自分と同レベルか、それより下の料理人が作った料理だけである。

自分より上の人が作った料理は、食べただけでは「わからない」。

そういう店には、だから通うことになる。

それでそのうちこっそり、作り方を聞いたりして、勉強するわけである。

 

「料理も奥が深いからね。」

チェブラーシカのチェブ夫

ほんとなんだよ。

 

 

 

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コメント

  1. 栗田三江(くんだみえ) より:

    高野さん、こんばんは。
    ビールは非日常感を楽しむものです。喫茶店での昼ビールは最高なのでしょうね。嵐山の茶店で飲むビールの旨さを高野さんのお陰で知る事ができました。今度は喫茶店での昼ビールです。私の場合昼飯はほとんど食べないので、休日にビアホール等で昼ビールする場合にもつまむ程度です。ですからランチは重いです。昼からビールだけ飲めそうな喫茶店を探してみます

  2. 高橋 より:

    引越しされてからますます料理道邁進中ですね。
    昨日の呑みながら料理なんてちょっと嫉妬してしまうほど羨ましい生活です(笑)
    これから暖かくなってくれば銭湯帰りの一杯なんかの楽しみも出来そうですね。

  3. アイ☆ より:

    PiPiさんのランチは色々な料理を楽しめて、野菜も豊富だし、620円は超~安いですね~!!!こんなお店が近くにあったら通っちゃう~☆
    私も休日は昼酒を楽しんでます~(*^^*)

    生まれ育ちが北関東で東京在住なので、大根とお揚げの煮ものって全然知りませんでした~さっぱりしてて美味しそうですね~お酒に合いそうだし(^u^)

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