昨日は使い残した菜の花を、豚肉とあわせて吸物にした。
これを肴に酒を飲みながら、「ぼくは一生ダラダラしていたい」と改めて思ったのである。
豚コマ肉が冷蔵庫に入っていたから、これを使わないといけなかったのである。
コマ肉を使おうと思うと、まず思いつくのはぼくの場合「炒め物」で、冷蔵庫には水菜もあったから、これと卵を炒め合わせるなどというのは、実際のところうまいのは間違いがないだろう。
ただ今は寒いから、「温かいものが食べたい」と思うと、「汁物」という話になる。
冷蔵庫には大根、ニンジン、それに酒粕も入っているから、「粕汁」も作ることができ、これは温まるには打ってつけなのである。
ほとんど「粕汁を作ろう」と決めかけたのだが、ぼくは汁物は、「吸物」が好きなのだ。
吸物は京都へ来てから食べるようになったのだけれど、だしの香りがぷんとするのがたまらないし、第一酒には、汁物の中ではこれが一番あうと思う。
豚肉の吸物がまたうまいわけで、「粕汁でなく、水菜と合わせて吸物にしよう」と軌道修正をしかけたのだが、豚肉と水菜の吸物は、わりと最近食べている。
ここで菜の花を使い残していたことを思い出し、「これを豚肉と吸物にするのは新しい」とひらめいて、無事献立が決まったというわけである。
吸物は、やはり何と言っても「だし」がポイントなのである。
4カップ半の水に10センチ長さくらいのだし昆布と、削りぶしをミニパック8袋分くらいいれ、中火にかけて煮立ったら弱火にし、アクを取りながら5分煮る。
だしの具材は、多めにいれればいれるほど、うまくなるのは間違いない。
ザルで濾し、うすくち醤油大さじ4、みりん大さじ1をいれれば、だしは出来上がりということになる。
それから吸物をつくる場合は、材料のクセをきちんと抜いておく必要がある。
豚肉は、沸騰させ、火を止めた湯で湯通しする。
菜の花も一つまみの塩をふった水でサッとゆで、水で冷やして絞っておく。
菜の花をゆでておくのは、アクを抜く意味もあるけれど、緑の色をきれいに保つためでもある。
あとはだしを煮立ててまず細く切った油あげを入れ、生卵を割り落として、それから豚肉をほんの1分くらい煮る。
最後にゆでた菜の花をいれ、温まったら火を止める。
一味をふって食べるのがいい。
ほろ苦い菜の花ともっちりとした豚肉が、また「よく合う」という話である。
あとはやはり昨日使いのこしたホタルイカ。
どうやって食べようか迷ったが、大根おろしにポン酢しょうゆは、やはり定番なのである。
豆腐も使い残していたから、これも残してあった、生節の煮汁で炊いた。
うまいのは、言わずと知れた話なのだ。
もやしが冷凍してあったから、酢の物にした。
冷凍は、サッとゆでて水に取り、よく絞ってからしたのだが、流水で解凍すると、切り干し大根的な味になり、これはこれで、悪くない。
うす切りにしたちくわと合わせ、砂糖小さじ1、酢大さじ1、塩ほんの少々で和える。
それにすぐき。
すぐきは毎日食べても、全く飽きることがないのだ。
酒はぬる燗。
昨日はこれを飲みながら、
「ぼくは一生ダラダラしたい」
と改めて思ったのである。
というわけで「ダラダラ」なのだが、ぼくは全ての物事のなかで、「何が一番好きか」といえば、「ダラダラすること」なのである。
できれば一生、ダラダラしたまま過ごしたい。
酒を飲むのも、煎じ詰めれば「ダラダラしたいから」である。
チマチマと肴をつまみながらダラダラ酒を飲むことは、この上もなく幸せなのだ。
だから金がいくらでもあるならば、仕事などせず、ただダラダラとして暮らしたい。
二度寝してゆっくり起き、風呂に入って酒を飲む、小原庄助さんの生活は、ぼくが理想とするところである。
今はまだ、そうそうはダラダラできないが、死ぬまでには、何とかそういう生活を手に入れたいものだと思う。
金をちょうど使い切ったころにポックリ死ねれば、「これ以上のものはない」と思えるのである。
しかし「ダラダラ」にも色々ある。
「いいダラダラ」と「悪いダラダラ」があるというのが、ぼくの持論である。
「悪いダラダラ」の代表が、「テレビ」である。
テレビを見ると、たしかにダラダラできるのだが、「ダラダラさせられてしまう感」が嫌なところだ。
テレビの番組を作る人たちは、見ている人に、とにかくダラダラしてもらいたいはずだろう。
そうすれば、広告をたくさん見てもらえることになるからだ。
その手に乗って、「受け身のダラダラ」をしてしまうと、後味が非常にわるい。
「何一つ意味のあることをしなかった」と後悔することになるのである。
それに対して「積極的なダラダラ」は、そんな後悔をすることはない。
満ち足りた、充実した気分になるのである。
飲み過ぎて、翌日後悔することは、もちろんぼくも度々ある。
でもそれは、「翌日の仕事に差し支えるから」という話であって、「意味のあることをしなかった」というのとは全く別の話なのだ。
小原庄助さんは、生涯をダラダラと過ごしたのだから、「ダラダラの達人」だったのだろう。
そんな人に、ぼくはなりたい。
「馬鹿じゃないの。」
そうだよな。
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コメント
毎日ブログ楽しみにしています。
食べ物の好き嫌いの多すぎる夫と一緒になってから、自分が一番幸せを感じる事を共感できないのは不幸だと感じていました。
でも、ここで高野さんが教えてくれる料理は、亡き母を思い出すような懐かしさとあたたかさにつつまれる感があり大好きです。
どの料理ブログよりも身近に感じます。
たまに、今日のブログのような時大丈夫~?!と思う時もあるけど、ちゃ~んと自問自答のように、自分の戒めをチェブ君の声にしているところがまたおもしろいですね。