ぼくも酒飲みの歴史はそこそこ長く、これまで色々な場所で飲んできているのだが、「飲み屋街」の魅力を知ったのは、京都へ来て、四条大宮と出会ってからである。
東京では、職場のある渋谷と住んでいた蒲田で飲んでいたが、渋谷へはいつも仕事仲間と行っていたから、決まったいくつかの店ばかりに行くことになっていた。
蒲田にもディープな飲み屋街があるのだが、ぼくは蒲田では「女狙い」で行っていたから、お店のママなり女の子なりと懇ろになると、やはりその店ばかりに通い続けることになる。
名古屋では住んでいた家の近くのビストロにハマり、毎日のようにそこばかりに行っていたし、広島ではあまり外飲みしなかったから、飲み屋街にどっぷり浸かることはこれまでなかったのだ。
飲み屋街にも色々あるが、四条大宮は「ディープ」な飲み屋街だといえるとおもう。
昔ながらのお店も多く、いかにも「昭和」という平屋の飲み屋が軒をつらねる一角もある。
お客さんは徒歩圏内に住んでいる人が多く、観光客はまず見たことがない。
多くが常連さんで、夜毎いくつかの店を渡り歩きながら飲む人も少なくない。
昨日はまず「スピナーズ」へ行った。
仕事もあまり進んでいないし、ここと「てら」でさっくり飲んで帰るつもりだったのである。
しかし「仕事が進んでいないから飲むのはやめよう」とは、ぼくの場合はならないのだ。
「金が乏しい」くらいで生活のペースを変えるのは、男らしくないのである。
昨日はマスターのキム君が料理の仕込みをしていなかったから、いつでも頼めるそら豆をつまみながらビールを飲んだ。
昼にラーメンを食べたから、お腹は空いていなかったけれど、ぼくは酒がそれほど強い方でもないし、何かをつまみながら飲むのが性に合っている。
飲んでいるうちに、上戸彩似の女性が来て、ぼくの隣にすわった。
20代前半の、スピナーズでは一番若い世代で、何度か言葉を交わしたことはあったけれども、隣でじっくり話すのは初めてだ。
バーで女性と話す時、その女性を「狙わない」のは大切だ。
狙うと相手が警戒し、距離を置かれてしまうからだが、そもそも50を過ぎたおっさんが、自分の息子より年下の女性を「狙う」というのは、あり得ないことなのである。
上戸彩は、府外から京都の大学へ来て、卒業後は京都で働き、今はひとり暮らしをしているそうだ。
親の援助は一切うけず、最近した引っ越しも、資金はコツコツ貯金したお金で賄ったというから大したものだ。
自炊もし、お弁当も作って、さらに四条大宮の飲み屋街で3軒ほど行きつけを作り、自分なりの楽しみも見つけている。
「結婚」はどう考えているのか聞いてみたら、
「今は彼氏がいないけれど、30までにはしたい」
との答だった。
ビールと焼酎をお代わりしながら話をし、酒も話も一段落したので店を出ることにした。
別れ際、上戸彩から、
「こんな年上の人なのに、話を聞いてもらってありがとうございます」
と言われたのは、「若い人」と見れば説教していたかつての自分を思い起こせば、ぼくも成長したものである。
スピナーズを出て、てらへ向かった。
てらへ入ると、円広志似の男性がいた。
ぼくは円広志を見た瞬間に、
「今日は行くところまで行くしかない・・・」
と覚悟した。
30代半ばの円広志は快活な若者で、しかもひたすら酒が好き、さらにぼくのブログを熱心に読んでくれているので、話をすると止めどもなくなるのである。
てらへは2日前にも来たばかりだったから、昨日は違うものを頼んでみた。
カレーコロッケ。
180円で、てらにしては高めの値段設定だから、どんなものかと思ったのだが、要は前日メニューの牛スジカレーをコロッケにしたもののようである。
しっかりとコクがあって、もちろんのことうまい。
それからピリ辛つくね。
これは韓国産の青唐辛子が練り込んであるもので、強めの刺激がさわやかで、てらさんは定番の料理だけでなく、こういうちょっと変わったものも気が利いているとおもった。
円広志もやはり府外から来て、京都の大学を卒業後、技術系の専門職を個人でやっている。
仕事を一つ請け負うと3ヶ月位はかかるとのことで、一つの仕事をやっている時は他のオファーを請けられない。
ところが仕事は、いつも同じペースで来るとは限らず、立て続けにオファーがあり、いくつも断らなければいけないことがあると思えば、しばらくオファーが途切れることもあるという。
半年にわたって入金がなかったこともあったそうだが、
「それでもぼくは、飲むペースは変えないんです」
と言い、貯金を取りくずしながら毎日飲み続けたというから、何とも腹がすわっている。
円広志は四条大宮の飲み屋街に惚れ込み、自宅兼事務所も大宮に構えている。
「ぼくは四条大宮は、世界で一番すばらしい交差点だと思うんですよ」
とは、この円広志の言葉である。
たしかに四条大宮の交差点には、最新式のLED信号機がつき、右折レーンも完備している・・・。
という意味ではもちろんなく、四条大宮の飲み屋街はほんとうにいいとぼくもおもう。
他の飲み屋街と比べたわけではないのだから、いい飲み屋街は他にいくらでもあるとおもうが、四条大宮はぼくにとっても、一番すばらしい交差点だ。
老若男女の常連さんは、皆飲み方がきれいである。
また常連さんは、ぼくのような新参者も、付かず離れずの距離をたもちながらも確実に受け入れてくれている。
円広志は、
「高野さんはブログで『やりたい事はとくにない』と書いていますが、本当にそうなんですか?」
と聞いてきた。
これは以前、スピナーズのマスターキム君からも聞かれたことである。
円広志は、
「高野さんにまだやりたい事があるとすれば、ぼくなども勇気づけられるんですがね・・・」
と言う。
いや実は、ぼくにも「野心」はあるのである。
さてぼくの「野心」だが、なぜあまり人に言わないかといえば、話があまりにデカすぎて、そんなことを真剣に考えるとは、我ながら「アホ」だとおもうからだ。
しかもそこに向けて、具体的にどうして行ったらいいのかも、自分でもよくわからないのである。
でも最近になって、少し取っかかりが出来てきたようにおもえるのだ。
一言でいえば、
「『生活』のがわから、合理主義を含みこむ価値観を見出したい」
のである。
昨日も少し書いたけれど、近代の合理主義は、人間の「生活」、さらにもう少し広くいえば「生命」を、まだきちんと捉えていない。
だから西洋では、物質や経済に関しては合理主義で、そして生命や生活についてはキリスト教で、という2本立てになっている。
そのような状況で、多くの学者が真剣に、「物質と生命を一貫して説明できる理論体系を見つけよう」という取り組みをしている。
以前流行った「複雑系」もそういう取り組みの一つだし、今ではさらに進んで、「生物記号論」という分野も新しく生まれている。
もちろん全くの素人であるぼくが、研究活動をするとは及びもつかないことだし、そいういう人の研究を一般向けにわかりやすく紹介するということも、ぼくの仕事ではないような気もする。
ただこのことは、「これからの日本」を考えていく上で、重要な課題だとぼくはおもう。
だからぼくは、それを単に「知識」としてではなく、もっと地に足がついたものとして展開できたらとおもうのだ。
最近気づいた取っかかりというのが、
「生命とは、人間にとっては『生活』だ」
ということで、生活は誰もがしていくものなのだし、
「ここからなら、もしかすると出発できるのでは・・・」
という気が少ししてきたところである。
そういう話を円広志にしていたら、
「すごくわかる気がします」
と言う。
合理主義の対極にあるようにも見える「日本的なやり方」も、「実は合理的」なのだそうだ。
たとえば昔ながらの日本建築などにしても、「風の流れ」や「日の当たり方」などを巧みに取り込み、実に合理的にできているという。
ただ西洋式の合理主義とちがうのは、西洋式の合理主義が世界中のどこでも成り立つ、パッケージ化されたものであるのに対し、日本の合理主義は、風や太陽などその土地の条件や、そこに住む人のふるまいなどを前提としていることだそうだ。
「パッケージ化されているから、西洋の合理主義は世界中に行き渡ったわけですけれど、日本式の合理主義も、見直されるべきだとおもうんですよ・・・」
円広志は言う。
ぼくにはまだまだ、その意味はよく分からないことも多いけれど、「面白いな」と酒に酔った頭でおもった。
円広志と話していたら、栗原小巻に似た女性が来た。
年は40歳前後とおもうのだが、上品な立ち居振る舞いで、「女社長」のようにも見える。
四条大宮のかなりコアな常連さんで、ぼくもあちこちの店で何回か顔を合わせ、言葉をかわしたことがある。
円広志とは長い常連仲間のようで、二人はぼくを挟んであれこれと話しをはじめた。
そのうち栗原小巻は、カウンターに置かれたチェブ夫に目をとめた。
多くの女性はチェブ夫を抱くのだけれど、栗原小巻はチェブ夫の鼻をつまんだり、デコピンをしたりする。
チェブ夫はぼくの分身だから、ぼくが「イテ!」とリアクションすると、栗原小巻はおかしそうに笑うのである。
ぼくは栗原小巻との距離が、昨日また少し縮まったような気がしたのが嬉しかった。
閉店すぎまで「てら」にいて、そのあと円広志と、さらに居酒屋「とき」でワインを飲み・・・、
ダイニングバー「Kaju」へ流れた。
Kajuでは円広志が、居合わせた女性客2~3人と「浮気」の話をはじめた。
妻子がいる円広志は、「絶対に浮気はしない」のだそうだ。
話を聞くと、その努力たるや涙ぐましいほどである。
そこでぼくは、「男は浮気した方がいい」と持論をぶった。
男は複数の女性を追いかける生き物だから、「浮気しない」と決めてしまうと、キバをもがれるからである。
「それじゃ女性も浮気していいんですか」
と女性客に問われたぼくが、
「女性は男性とは生理がちがうからダメだ」
と答えると、当然のこと大ブーイングとなる。
喧々諤々となってきたところで、
「もう話を聞いていられませんので、閉店にしたいとおもいます」
とマスターのカジュさんが苦笑いしながら宣言し、午前3時に店を出た。
家に帰ってさらに一杯飲んでしまい、寝たのは4時半。
今朝は9時に起きたから、今日は睡眠不足で頭がなかなか働かず、またしてもブログ更新に多大の時間がかかっているところである。
「まったく、ぼくのことをダシに使わないでよね。」
そうだよな、ごめんごめん。
◎食べログ
ダイニングバー「Kaju」
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コメント
昨日のコメの1カップが気になります!
水1カップ200ccの認識でした!
高野さんレシピは2カップ200cc?
あれれ!こんがらがってます(>_<)!
あれ、ちがうこと書きましたかね?
1カップ200ccですよ。
解決しましたぁー!
一安心でーす(^-^)v
(^o^)
おっさんはただの飲んべえではないのは確かだし、感じてる事、言ってること、哲学的だよね。男は浮気をしてもいいは正しいし、女性からブーイング来るのは当然な。
正直に生きていくってこのブログでおっさんは言ってる。
あとね。
チェブ夫は何でチェブ夫なの?
素朴ですいません。
チェブラーシカの男の子だからです(^_^)