昨日は四条大宮のいつも行くバー「スピナーズ」、それから立ち飲み「てら」で酒を飲んだ。
お客さんと飲みながらあれこれ話しをし、「最低限」を決めることは、「それ以上」に淡い期待を持つことでもあると、改めておもったのである。
ぼくの生活について、
「高野さんにとっては『タリーズコーヒー』が書斎で、『スピナーズ』がリビングみたいなものだね」
と言った人がいるのだが、まさにその通りである。
ぼくは1日に1回ないしは2回、タリーズへ行ってブログを書いたり仕事をしたりし、週に2回ほど、スピナーズなどの酒場で常連さんと話をする。
ブログや仕事を家でやらずに、わざわざタリーズへ行ってやるのは、家だと「煮詰まってしまう」からである。
特に、深く考える必要があることは、家だと目のまえにベッドもあり、考えているうちに必ず眠くなって寝てしまう。
まわりに人がいて、多少ザワザワしているほうが、ぼくは集中できるのだ。
またタリーズは、店員の男の子や女の子などと二言三言話しをし、ひとり暮らしの孤独感を癒やすのも、行く目的の一つとなる。
ただもちろん、タリーズでの世間話や、あとは買い物のときの商店の人との会話、ネットでのやり取りだけでは物足りないのはまちがいなく、もう少しガッツリ、「人と話したい」とおもうわけである。
さらにできれば、女性と軽口をたたき合い、恋愛感情を発散させたいところでもある。
そこでスピナーズなどの酒場にくり出すことになる。
酒場での人とのやり取りまでを含めたとき、ぼくの生活は「そこそこの幸せ」で満たされることになっている。
ただしスピナーズが「リビング」と違うところは、「誰がいるかわからない」ことである。
カウンターには男性はぼく一人、あとは全員女性という、天国のような時もあるし、全員が50代のおっさんばかりという地獄のような時もある。
だからぼくは、スピナーズへ行く際には、「最低限」を決めることにしている。
「最低限、マスターのキム君と話ができれば、それでいい」と思っていれば、お店へ行ってガッカリすることもないわけだ。
酒場に誰が来るかは、「運」によって決まることだ。
運は良いほうがいいけれど、とりあえずは当てにしないのが、精神衛生的にいいのである。
昨日はスピナーズへ行ったら、カウンターに座っていたのは松下奈緒似の女性だった。
これは運は、「いいほう」だといえる。
ぼくは松下奈緒の隣にすわり、ビールをたのんだ。
それから松下奈緒と話したのは、再び「結婚」についてだった。
松下奈緒は以前ぼくと話したとき、
「結婚はする気がない」
と言っていた。
離婚経験がある松下奈緒は、下手な男性と結婚するくらいなら、「ひとりが気楽」とのことだったのだ。
しかし昨日松下奈緒は、酒の酔いがまわるにつれ、それとは少し違った話をしはじめた。
結婚願望は「ある」のだとの事なのである。
すでに子供がいる松下奈緒は、子供をさらに産む気はないが、「好きな男性としみじみ暮らす幸せ」は、十分味わってみたいとは思うのだそうだ。
さらにその男性を自分が看取り、その先は孫や玄孫にかこまれて、
「90までは生きたい」
と言う。
これは「女の幸せ」のまさに王道だとおもうけれども、そのためには「自分が好きになれる男性」と出会えることが必要だ。
しかし出会いは「運」が決めることだから、松下奈緒はまずは自分だけの力で実現できる「最低限の幸せ」として、「気楽なひとり暮らし」を選んでいるということなのだろう。
スピナーズには昨日も、マスターキム君特製のつまみが用意されていた。
スパムソテーとラタトゥイユ、どちらも300円。
キム君は、出すものがいつも洒落ているとおもう。
味も昨日も、どちらも良かった。
スピナーズでは、ぼくはビールのあとは焼酎のお湯割りを2杯飲み、松下奈緒を無理やり引き止め1杯おごった。
「もう少しなにか食べたい」と、スピナーズを出て向かった「てら」で、昨日はさらに「結婚」の話になったのである。
というわけで、四条大宮の立ち飲み屋「てら」へ行くと、お客さんは若い男性が一人だった。
てらは男女のお客さんであふれ返ることも少なくないから、多少ガッカリしなくもないが、ぼくはてらでの「最低限」は、大将の「料理」と決めている。
頼んだのは・・・、
スパサラ100円。
鶏つくね130円。
豚天250円。
厚揚げ焼き120円。
毎度同じものなのだが、昨日もどれもうまいのである。
つまみを食べているうちに、女性客が、そして男性客が、ドサドサと入ってきた。
賑やかになった店内で、チェブ夫はまたいい思いを一人でしている。
てらでの常連さんの話は、再度「結婚について」となっている。
独身の人間は、やはり結婚にたいしては、無関心ではいられないだろう。
一人の男性は、
「つき合っていた彼女に突然連絡を絶たれてしまい、いまだに『何が悪かったのか』がわからない」
と話している。
これはぼくも、全くおなじ境遇で、同情すること頻りである。
そうすると今度は以前、「結婚は必要を感じないから、する気がない」と言っていた30前後と思われる女性が、再びそのことについて話している。
ただ今回、同じことでも、ぼくは松下奈緒と話していたから、前とは違ったように聞こえてきた。
女性は、
「自分が知っている男性は、それぞれに良さがあるから、そこから『誰』とは選べない・・・」
と話している。
しかしさらに、
「だからもし、私が結婚するとしたら、『電撃結婚』しかないな」
とも言うのである。
この女性にとっても、「結婚しない」ということは、自分でできる最低限の幸せを確保することなのだろう。
それさえあれば、仮にどんなことが起こっても、ガッカリすることはない。
しかし人生、何が起こるかわからない。
この女性にしても、その可能性を否定してはいないのだ。
先が見えない今の時代、高度成長期の時のように未来を夢見てがんばっても、それを得られるとは限らない。
むしろ現状でできる「最低限」を、とりあえず確保するのが先決だろう。
そこから先は、「淡い期待」を持ちながら、無理せず進んでいけばいい・・・。
それが今の時代の生き方なのかと、ぼくは昨日、改めておもったのである。
「ぼくも彼女ができたらいいな。」
そうだよな、お前のことも考えてやらないとな。
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コメント
うーむ。結婚感というものは人それぞれですね。お互い50代独身としてはもう一花咲かせたいところですね。しかし、いざ付き合ってみると久しぶりの恋愛は結構めんどくさかったりもする。なかなか難しい
誰かと暮らすとしなければならないことが発生します。
掃除、洗濯、食事、家計のやりくりなどなど。
ひとりでいると、それらのことを
「今日するかしないか」の選択が自由です。
そして、ひとりなので、それらのことは自分でするのが当たり前ですから、
「どうして全部私ひとりでしなければならないの!」
などというストレスが溜まることはありません。
誰かと暮らすことで最低限の幸せがなくなってしまうのはこわいですね。
バツイチなので、結婚に対する夢がないんでしょうね(^^ゞ
出会いは「運」であるって、名言ですね!!
結婚したくない人なんて、いないのかも・・・。
やっぱり誰かと一緒に過ごすって幸せですからね。
クリスマスが近づくとその思いは強くなるのかもしれませんね。