ガッツリと、レバニラ丼。
スタミナといえば、やはり何といっても「レバニラ炒め」なのである。
「四十を過ぎたらカラダに気を使わなくてはいけない」
ことは、何度も書いている通りである。
20代の頃にはどうにでも無理が利いたカラダは、30代に入ると下り坂に入り、40代になると無理が利かないどころか、下手をすれば日常生活もままならないようになる。
これが50代になるとひどいもので、医者のお世話になることが増えてくる。
歯磨きなどは、よっぽど気を付けて丁寧にやらないと、すぐに歯茎が腫れてしまう。
カラダの衰えは、すでにその年になっている人は、骨身にしみて実感していることだろう。
ぼくの若い友人でも、30代の半ばになって、カラダに異変を起こしている人が何人かいる。
しかし、
「それではどうやってカラダに気を使うか」
については、考え方は色々ある。
「健康」は、現在大ブームなわけで、アップルが心拍数などを測れる腕時計を発売することからも分かる通り、一大産業にもなっている。誰かに聞けば、その人の数だけ、ちがった健康法を教えてくれることだろう。
もちろん、人の考えを参考にするのは大切だ。しかしそれに、踊らされるのは「バカ」だろう。
踊らされずに、自分の健康を維持するためには、それなりの「知性」が必要になるのである。
間違いがないことは、
「自分のカラダのことは、自分が一番よく分かる」
ということだ。
ここから出発する必要があるのだと、ぼくは常々思っている。
「いやしかし、自分では気付かなかったカラダの不調を、健康診断で発見されることもある、、、」
そう思う人もいるだろう。
それには2つのことがあると思う。
まずは、
「カラダの声を聞こうとしていない」
ということ。
カラダの声は、日常で見聞きする他の声とはちがい、論理的なものではない。漠然とした「感覚」だ。
論理の世界だけで生きていると、感覚のようにハッキリとしないものは、つい見落としてしまいがちになる。
カラダの声を聞くためには、それなりの「作法」が必要だ。
しかし自分のカラダのことなのだから、その気になれば、作法などすぐに身に着けられる。
それからもう一つ。
「知らなくていいことまで知ろうとしている」
のではないかということ。
これは「がん検診」などが典型だと思う。
「初期がんには自覚症状がないから、検診をしなければ早期発見はおぼつかない」と言われる。もちろん、若くしてがんで亡くなる人は、それは無念だろうと気持ちは察する。
しかし人間誰でも、早かれ遅かれ、いずれは死ぬのである。死にいたる病にかかったのなら、それを「神様はもう十分だと言っている」と受け入れることだって、考え方としてあるだろう。
現代は、あまりにも、死を「悪」と捉えすぎているのではないだろうか。
ぼく自身は、もう健康診断は一切受けないことにしたのだが、それで死ぬことになるのなら、そのままスッとおさらばしたいと願っている。
まあ「死」については、人によって考えは様々だから、決して無理強いするものではないのだが、そのように考えられれば、あとは非常にシンプルだ。
健康を維持するためには、
「カラダと相談し、カラダが『必要』と言うことをする」
だけである。
ここで「食」は、非常に大きなポイントになってくる。
カラダの声は、ほとんどの場合、「何が食べたいか」によって告げられるからである。
四十を少し過ぎたころ、どうにも疲れが取れなくなった。睡眠時間をたっぷり取っても、朝、目が覚めるとカラダが重く、布団から出られない。
スポーツジムにも通ってみた。ひと汗流し、サウナに入ったりもするのだが、やはり事態は変わらない。
ところがそのころ、引っ越しをした関係で中断していた自炊を、「再び始めよう」という気になった。
それで調理器具を改めてそろえ、初めに作ってみたのがどういうわけか、「豚肉とニラの鍋」だった。
そうしたら、、、
翌朝、「前の日まであんなに疲れていた」ことを、すっかり思い出せなくなるくらい、疲れが取れ切っていたのである。
ぼくはこの一件をきっかけとし、「食」の大切さに気付かされると共に、「ニラ教」の信者となった。
しかし今、思ってみれば、これは疲れたカラダが、「ぼくにニラを食べさせようとした」ということだったのだろう。
実際の話、「ニラの力」はスゴイのである。
合わせるのは豚肉もいいのだが、きのうは鶏レバーにした。
そうしたら今朝、実に寝覚めがいいのである。
さらに今でも、まだ脚のあたりがポカポカしている。
ニラは、豊富なビタミンやカルシウムを含んでいるそうだ。またレバーにも、ニンジンの10倍にもなるビタミンAを初めとして、疲労を回復するビタミンB1、肝臓の機能を強化するビタミンB12など、豊富な栄養が含まれているという。
しかもニラに含まれる「硫化アリル」は、レバーに含まれるビタミンB1の働きをサポートし、さらに疲労を強力に回復するそうだ。
昔から、レバニラ炒めは「スタミナ食」と言われるが、それももっともなことだろう。
四十を過ぎたら、定期的にニラを食べるのは、まちがいなくオススメだ。
しかも薬とちがってウマイのだから、言うことはないのである。
さてレバニラ炒めを作るには、まずレバーを買ってくる。
京都には豚レバーが売っていないから鶏にしたが、豚でも牛でも何でもいい。
これを食べやすい大きさに切り、鶏の場合は心臓と一緒になっているから、心臓は薄皮をはいで脂肪を削ぎおとす。
水洗いして血の塊を取り去り、さらに水に10分くらい、浸しておく。
水から出して水気を拭きとり、レバー200~300グラムに対し、
- 酒 小さじ1
- しょうゆ 小さじ1
- おろしショウガ 小さじ1
を揉み込んで、20分くらい置いておく。
ここでレバーにきちんと下味を付けるのが、レバニラ炒めをおいしく作るポイントだ。
フライパンを強火にかけ、
- ゴマ油 大さじ2くらい
- ちぎった鷹の爪 1本
を入れる。
煙がモウモウと立ってきたところで、漬け込んだレバーに「片栗粉・大さじ1くらい」を手でまぶし、フライパンに入れて炒める。
時間にして2~3分、レバーにこんがり焦げめが付くくらいまで炒めたら、ざく切りにしたニラ1把、それにきのうは、冷蔵庫に余っていたシメジも入れた。
30秒ほど、ほんとにサッと炒めたら、
- オイスターソース 大さじ1
- 砂糖 小さじ1
- しょうゆ 小さじ1
の合わせ調味料を入れてサッと炒め、最後に「酢・小さじ1」を加えて、ひと混ぜしたら火を止める。
ガッツリご飯と盛り合わせる。
プリプリのレバーは、たまらないわけである。
あとは残り物の吸物おでん。
やはり残り物の大根梅酢あえ。
だし殻と大根の皮のじゃこ炒め。
酒は、焼酎お湯割り。
ガッツリとしたご飯があるから、酒はそれほど飲めないが、その前に支度をしながらたらふく飲むから、問題はないのである。
「本当にスッとおさらばできるの?」
その時になってみないと分からないけどな。
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